戦争
戦時
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 13:38 UTC 版)
国際情勢の緊張が高まり、造船については艦艇受注増など活況を呈した。一方1940年(昭和15年)に工場は海軍管理工場に指定を受け、1942年(昭和17年)には重要事業場に、1944年(昭和19年)には陸軍管理工場その他の指定を受け戦時体制となっていた。太平洋戦争により艦船工場は多忙を極めた。このため潜水艦専用の造船所として大阪府泉南郡多奈川村(現在の岬町)の海岸を埋め立て、泉州工場を建設した。ここにはドック3基、船台4基、艤装海岸などが設置された。同工場は1939年(昭和14年)から用地の取得を開始し1942年10月28日に開設された。なお戦後の民需転換には立地が悪く1949年(昭和24年)6月30日に閉鎖されている。 日本海軍からの要請により、占領地のオランダ領東インドでオランダ軍が破壊した工場設備を修理し、1943年(昭和18年)にジャカルタ造船工場を開設した。ここでは主に修理工事に従事した。また1944年(昭和19年)に陸軍の委託でジャワ第2船舶工場も稼働し、木造船を修理した。 鉄鋼製品の需要も高まり、1941年(昭和16年)、西宮市に特殊鋼工場(JFEスチール西宮工場の前身)を設置した。その他、岩手県久慈町に鉱山部を設置し、青森県の大湊鉱山を買収して第2鉱山部を設置した。更に兵庫県印南郡伊保村(現在の高砂市)に1943年、大型鍛造品の製造を目的とした伊保工場を設立する。なお伊保工場は終戦時に未完成であり、軍需依存が大きかったため1948年(昭和23年)に閉鎖が決定されている。また同年に葺合工場が被害を受けた際の代替工場として愛知県半田市に知多工場(現・JFEスチール知多製造所)を建設した。 1944年末から日本各地は空襲の被害が増大し、川崎重工でも1945年(昭和20年)3月17日に神戸空襲で艦船工場が被害を受けたのを始め、6月5日にも空襲を受け被害が広がった。他の工場でも空襲による大きな被害を出して終戦を迎えた。被害の大きさから工場が継続できるかどうか、判らなかったという(『昭和造船史 第1巻』p48による)。
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「戦時」の例文・使い方・用例・文例
- 戦時禁制品
- 我々は戦時中,幾多の困難を耐えぬいた
- 戦時体制にある
- 芸術家たちによる最もすぐれた作品のいくつかは戦時中に作られた
- 戦時中深刻な石油不足にみまわれた
- 戦時中
- 戦時統制
- 私はたまに戦時中の話とかを聞きます
- 戦時加算の期間は約10年5ヵ月である。
- それは戦時では別れではない。
- 彼女は戦時中に病気で夫を亡くした。
- 戦時中政府は肉を配給にした。
- 戦時中はしばしば砂糖無しで済まさなければならなかった。
- 戦時中、彼は陸軍に所属していた。
- 戦時に起こったとしたなら、これは災難になるだろう。
- 我々は戦時中は石油なしで済まさなければならなかった。
- 戦時の耐乏生活.
- 戦時禁制品.
- 平時[戦時]編制.
- 冷戦時代.
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