戦いの直前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/14 07:52 UTC 版)
ボードゥアンが両陣営からの賄賂を拒絶した後、サラディンは北シリアでの反乱から関心を外し、ヤコブの浅瀬とシャステレへと関心を集中させた。彼は更なる交渉は時間の無駄であり、猶予を与えればボードゥアンが大規模な砦を完成させることを悟ったのである。1179年、シャステレの建設が始まって僅か数ヶ月、サラディンはイスラムの大軍を召集してヤコブの浅瀬へ向けて南東へと進軍した。計画は単純明快で、エルサレムないし近隣地域からの援軍がやってくる前に砦とその居住者を包囲することだった。一方、ボードゥアンはガリラヤ湖に面するティベリアスに居り、ヤコブの浅瀬までおよそ半日の距離があった。あらゆる攻撃が彼の計画に降りかかれば、援軍の到着は比較的速く可能になるだろう。さらに、ヤコブの浅瀬の砦は、少なくともそれが完成すれば比較的強力なもので、包囲されたとしても救援が到着するまでは恐らく持ちこたえることができたはずであった。ある従軍したものは著書にて断言しつつ根掘り葉掘り問うている。「包囲は事実上競争であり、ラテン側の援軍が到着する前にイスラム軍は砦の防衛に参るのだろうか」。
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