成熟期
成熟期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/31 04:47 UTC 版)
イネスは、1860年にニューヨーク市からマサチューセッツ州メドフィールドに移り住み、更に1862年から1863年にはボストンに移り、そこで後に画家となったチャールズ ドルモン ロビンソンの美術教師を勤めた。 その後、1864年にはニュージャージー州イーグルズウッドに引っ越した。1870年春にはイタリアのローマに移り住みそこからチボリ、アルバーノとベニスへの旅に出かけた。 1878年にはニューヨークに戻りニューヨーク大学ビルにアトリエを設けた、また同じ年、パリ万博に参加し、ニューヨーク・イブニング・ポストとハーパーズ・ニュー・マンスリー・マガジンに美術批評を発表した。 1860年代と1870年代の作品、例えば母国の景色を描いた『秋のオークス』(1878年、メトロポリタン美術館蔵)や『キャッツキル山脈』(1870年、シカゴ美術館蔵)、多くの海外旅行、特にイタリアとフランスの風景に触発された『モンク』(1873年、アディソン・ギャラリー蔵)や『エトルタ』(1875年、ミルウォーキー美術館蔵)ではしばしば、雲が立ちのぼる空や今にも降りだしそうな空を配したパノラマ的また絵のように美しい風景絵を描く傾向が強く表れ、構成、図面の的確さ、および色の感情的な利用等とあいまって、イネスをアメリカで最高かつ最も成功した風景画家と位置づけた。 最終的にイネスの芸術観には、「自然界のすべての物は霊的なものと相互通信を行っており、継続的に存在するために神からの "流入"を受け取る」と云う概念のエマヌエル・スヴェーデンボリの神学の影響が認められる。また、彼の思考には、更にスヴェーデンボリ主義の信奉者ウィリアム・ジェームズの影響が見られる。特にジェームスの「"思考の流れ"としての意識および神秘的な経験がいかにして自然に向き合う人の視点を形作るか」という思想に触発されている。 1884年にアメリカ美術協会(American Art Association)が主催したイネスの大規模な回顧展が開かれ全米から熱狂的な歓呼をもって賞賛された。更に1889年のパリ万国博覧会で金メダルを受け、国際的な名声を獲得した。
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