懐信可汗
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懐信可汗(かいしんかがん、拼音:Huáixìn Kĕhàn、? - 805年)は、回鶻可汗国の第7代可汗。氏は阿跌[1](エディズ:Ädiz)氏、名は骨咄禄(クトゥルグ:Qutluγ)。骨咄禄将軍(クトゥルグ・センギュン:Qutluγ säŋün)とも表記される。可汗号はテングリデ・ウルグ・ボルミシュ・アルプ・クトゥルグ・キュリュグ・ビルゲ・カガン(Täŋridä uluγ bolmiš alp qutluγ külüg bilgä qaγan)[2]であり、唐より懐信可汗の称号を加えられた。
- ^ 原文では𨁂(足偏に夾)跌と表記。
- ^ 「天より福を授かりし勇猛にして幸を授かりし誉れ高き賢明なるカガン」の意。
- ^ 『旧唐書』では「滕里羅羽録没蜜施合汨咄禄胡禄毘伽懐信可汗」(本紀)、「滕里羅羽録没蜜施合胡禄毘伽懐信可汗」(迴紇伝)すなわち「Täŋridä uluγ bolmiš alp qutluγ külüg bilgä 懐信 qaγan(天より福を授かりし勇猛にして誉れ高き幸を授かりし賢明なる懐信カガン)」とあり、『新唐書』では「愛滕里羅羽録没蜜施合胡禄毘伽懐信可汗」すなわち「Ay Täŋridä uluγ bolmiš alp külüg bilgä 懐信 qaγan(月天より福を授かりし勇猛にして誉れ高き賢明なる懐信カガン)」とある。
- ^ 森安孝夫『興亡の世界史05 シルクロードと唐帝国』p285
- 1 懐信可汗とは
- 2 懐信可汗の概要
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