ごよう‐たし【御用▽達】
御用達
御用達
御用達
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/29 02:09 UTC 版)
大判の墨判は品位を証明するもので、墨書が消えた場合は後藤役所に持参して墨判料を支払い書き改めを受けた。大判鋳造は始め京都で行われたが、元禄年間以降は江戸で行われるようになり、墨判の書き改めは京都、江戸の両方で行われた。 大坂にも後藤役所の出張所が設けられ、当初分銅の吹所は大坂大和橋東詰四丁目(大阪市中央区)に置かれていたが、文化期より分銅の鋳造は京都に移された。徳川幕府は度量衡の統一、不正防止を目的に計量器の統制を行い、枡は寛文年間に江戸の樽屋藤左衛門と京都の福井作左衛門、秤は承応年間までに江戸の守随彦太郎と京都の神善四郎のつくるものが公定枡および秤とされ世襲制とされた。これらも枡座および秤座といった御用達町人による請負事業であった。そして分銅の製作は後藤四郎兵衛家が請負い、分銅座が形成された。分銅座の形成時期は明らかではないが、寛文5年3月(1665年)に江戸、京都、大坂に「似せ分銅」取締の触書が出されている。両替屋は使用する分銅について定期的に分銅改めすなわち検定を受けなければならず、検定された分銅の検極印料を収入とし、検極印の無い分銅は使用厳禁とされ没収の対象となった。
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