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後期武官総督の時代とは? わかりやすく解説

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後期武官総督の時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 00:26 UTC 版)

台湾総督府」の記事における「後期武官総督の時代」の解説

二・二六事件陸軍青年将校起したものだったが、事件後の綱紀粛正の名のもとに海軍からも大将2名を予備役編入することになった。この貧乏くじ引いたのが連合艦隊司令長官退任したばかりの小林躋造海軍大将で、その処遇のために彼を台湾総督にしたのは当時新聞が「異例中の異例人事」と評するほどの驚愕人事だった。 小林在任4年半の間に現地人皇民化政策推進したが、ちょうどこの頃海軍南進策国策として固まったことから、次の台湾総督海軍出身者ということになり、長谷川清海軍大将がこれに決まった。この長谷川もそろそろ予備役編入されおかしくない年齢だったが、台湾軍事拠点化推進するという建前もあって現役のまま総督就任、ここに武官総督復活することになった。ただし台湾軍指揮権依然として台湾軍司令官のもとに、後にはこれを改編した第10方面軍司令官のもとにあり、長谷川武官総督といってもその性格前期のそれとは大きく様相異にするのだった。 ところが太平洋戦争日本敗色濃くなった1944年暮、人材の不足や台湾決戦想定して指揮系統一本化するという名目のもと、第10方面軍司令官安藤利吉陸軍大将台湾総督を「兼任させられると、前期総督同等強大な権限を持つに至った一方で台湾人にも帝国議会選挙権被選挙権与えられるなど、日本人との台湾人の関係対等化も進んだものの、翌年終戦によって、台湾総督府閉鎖機関指定され解体されることになり、1945年10月25日台北公会堂安藤陳儀中華民国台湾省行政長官との間に降伏文書交わし半世紀わたった台湾総督府歴史に幕引いた

※この「後期武官総督の時代」の解説は、「台湾総督府」の解説の一部です。
「後期武官総督の時代」を含む「台湾総督府」の記事については、「台湾総督府」の概要を参照ください。

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