後期春柳社とは何? わかりやすく解説 Weblio辞書

後期春柳社とは? わかりやすく解説

後期春柳社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/28 11:00 UTC 版)

春柳社」の記事における「後期春柳社」の解説

1912年旧暦正月陸鏡若・欧陽予倩らは新劇同志会上海結成四月旗揚げ公演をおこなう。日本演劇影響受けた新劇同志会上海観客にあまり受け入れられなかったので、しばらく地方公演をおこなう。1913年旧暦正月湖南省行き長沙長期公演をおこなう。1913年夏の第二革命失敗により秋頃から湖南省でも反革命起きたため、分散して上海に戻る。1914年陽暦4月15日より某得利(Moutrie)劇場借りて公演をおこなう。劇団名は新劇同志会であったが、劇場春柳劇場看板掲げ上演広告でも春柳名乗るなど自らも春柳社継続任じたため、一般に春柳社みなされた。今日では、1912年以降一括して後期春柳社とみなされている。代表作に『家庭恩怨記』(陸鏡若作)、『不如帰』(柳川春葉脚色翻案)などがある。必ず劇本(台本)のある劇を演じると宣言するなど他の文明戯劇団異なり芸術派”の傾向強かったが、経営的に苦戦していた。1915年9月中心人物陸鏡若の死により解散春柳社直接産み出した演劇は、伝統演劇遺留物多数残した文明戯早期話劇)だったが、文明戯なければ五四運動新文化運動以降話劇誕生はありえなかった。 春柳社については、日本新派影響指摘されてきたが、近年文芸協会すなわち日本新劇影響も受け近代劇要素もあり、二重性をもっていたことが指摘されている。近代劇要素があることが、春柳社中国話劇最初とする重要な根拠となっている。

※この「後期春柳社」の解説は、「春柳社」の解説の一部です。
「後期春柳社」を含む「春柳社」の記事については、「春柳社」の概要を参照ください。

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