後期の政歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 13:54 UTC 版)
「ヘンリー・シーモア・コンウェイ」の記事における「後期の政歴」の解説
1761年4月、コンウェイはテットフォード選挙区(英語版)でイギリス庶民院議員に再選、同年7月4日に枢密顧問官に任命された。彼はホイッグ党ロッキンガム派(英語版)の一員として、ジョージ3世による改革派ジョン・ウィルクスへの訴追(1763年)に反対、その結果として1764年に寝室宮内官と第1王立竜騎兵連隊長を罷免された。これにより政府が政敵を軍から追放すると恐れられ、多くの人々がパンフレットを出版してお互いを告発することとなった。 1765年7月、ロッキンガム侯爵の首相就任とともに入閣、南部担当国務大臣を務めた後、1766年5月に北部担当国務大臣に鞍替え、1768年1月にさらに無任所大臣に鞍替えした。コンウェイは就任中にアメリカ植民地への中道政策を支持、印紙法廃止にも支持したほか財務大臣チャールズ・タウンゼンドの徴税政策に反対した。
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