後期の多岐にわたるスタイル、そして解散
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 16:08 UTC 版)
「ジンサク」の記事における「後期の多岐にわたるスタイル、そして解散」の解説
この状況を打破するため、1996年からはパーマネント・サポートでのバンド体制を解消し、ジンサクは櫻井と神保だけによる活動体制に入る。ライブの度に毎回違うフィーチャリング・アーティストを招いたり、ジンサク側から他アーティストのセッションに参加するなどして活動の幅を広げた。 演奏者が二人だけによる「JIMSAKU 100%」と銘打ったライブも行うようになり、ベースとドラムのテクニックの限界を超えた超絶技巧の洪水に観る者の度肝を抜いた。話題を振りまいたこの年は角松敏生にプロデュースを依頼し、日本語ボーカル曲をフィーチャリングしたアルバム『DISPENSATION』、翌1997年には当時流行っていたドラムンベースをモチーフにJIMSAKU 100%のスタイルを投入したアルバム『MEGA db』を発表。既存のフュージョンの枠を脱した活動を行うようになる。しかし、振り返ってみればこれらはジンサク結成の理念を揺るがすものであった。 そして折からの二人別々のソロ活動に比重が高まっていたこともあり、1998年1月、ジンサクとしてのラストライブを開催し、そして翌月2月、ジンサクの名をはずした櫻井&神保によるセッションのライブにてジンサクの解散を正式発表。8年に及ぶ活動に終止符を打った。
※この「後期の多岐にわたるスタイル、そして解散」の解説は、「ジンサク」の解説の一部です。
「後期の多岐にわたるスタイル、そして解散」を含む「ジンサク」の記事については、「ジンサク」の概要を参照ください。
- 後期の多岐にわたるスタイル、そして解散のページへのリンク