征韓建白書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/25 23:27 UTC 版)
琴秉洞によれば、明治維新後政権の中枢で征韓論を唱えたのは吉田松陰の弟子である木戸孝允だったが、それを草の根に広げ日本中を熱狂させたのが佐田白茅であり、明治初年には「朝鮮は応神天皇以来、(朝貢の)義務の存する国柄であるから、維新の勢力に乗じ、速やかに手を入れるがよろしい」という建白書を政府に提出した。以後3度にわたって建白書を提出し、佐藤信淵にならって朝鮮征服は「30大隊あればことが足りる」と述べており、琴秉洞は「朝鮮従属を早くから提唱した佐田白茅の朝鮮蔑視の根は深い」と評している。
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