きょう‐せい〔キヤウ‐〕【強請】
読み方:きょうせい
もがり【強=請/虎=落】
強請(ゆすり)
強請
強請
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 19:41 UTC 版)
1990年2月16日、神奈川県警や坂本弁護士が所属していた横浜合同法律事務所あてに「(長男)が眠っている。だれかが起こして(長男)を煙にしようとしている。早く助けてあげないと!2月17日の夜、煙にされてしまうかも。早くお願い、助けて!」と、坂本弁護士の長男がすでに殺害されていることを示唆する手紙、遺棄現場を×印で示した周辺の地図と写真、遺体の遺棄状況を克明に記した見取り図、以上を同封した匿名の手紙を新潟県上越市の郵便局から2月16日付の速達で送付する。それまで県警に寄せられてきた情報は、霊感情報が目立ち、一家の目撃情報もあったが、いずれも信憑性に欠けていた。この匿名の手紙は、最も具体的な情報だった。 さらに横浜法律事務所と神奈川県警に坂本堤弁護士と妻の遺棄現場の資料を東京駅で投函しつつ、麻原に電話をかけ、口止め料現金1000万円を要求。現在の所持金が170万円であることを伝えると麻原は差し引き830万円を振り込むことを約束した。830万円で『手打ち』した後、坂本弁護士と妻の遺棄現場を記載した手紙を横浜の郵便局で回収した。 1990年2月21日、長野県警が主体となり約40人態勢で大町温泉郷近くの湿地帯周辺を捜索したが、当時現場には約1メートルの積雪があり、手掛かりは得られなかった。この際、神奈川県警は捜査員4人を派遣しただけで鑑識課員は派遣されず、「投書には信憑性はない」「数多い情報をつぶす作業の一環」として、わずか1日で捜索を打ち切っている。1990年5月、雪解け後に改めて捜索を行ったが長男を発見することは出来なかった。 1990年9月1日 - 9月14日、神奈川県警は投書について"悪質ないたずら"といったんは結論付けたが、同時期に麻原の側近といわれた岡﨑が教団を脱会していたことや、教団から830万円を受け取っていたことがわかり、岡﨑に対しポリグラフも投入して2週間にわたり事情聴取を行った。岡﨑は投書について「麻原さんに頼まれた」と自らが書いたことを認めたが、坂本さん失踪については「何も知らない」「もっと大きな権力の力がはたらいているはず」などとかわし否認、金についても「退職金だ」と繰り返した。
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