弁護士として入信
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 12:45 UTC 版)
大学卒業後、司法修習(第36期司法修習生)を経て弁護士となった。弁護士になったきっかけは公害、薬害スモン被害者と知り合ったことである。日本共産党員でもあった。 1984年(昭和59年)、大阪市の「なにわ共同法律事務所」に入所し、西淀川公害訴訟などを手がけた。 満員の近鉄電車内で押されたことが原因で発症した腰痛の治療のためにヨガ道場に通い始めたところ、それがオウム真理教の主催しているものであったことから麻原彰晃の著作を読むようになった。本人談によれば、このヨガ道場での修行で腰痛が快癒したと語っている。 また、中川智正と同じくオウム真理教の音楽コンサート「龍宮の宴」に感銘を受けたという。青山は歌が上手で弁護士仲間の間でも評判であり、後にオウムソングの歌手としても活躍している。 青山は1988年(昭和63年)2月にオウム真理教に入信、翌1989年(平成元年)秋には「なにわ共同法律事務所」から独立し、柏原市に「青山法律事務所」を開設した。
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