康熙年間
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1683年(康熙22年)、施琅により台湾が清朝版図に帰属するようになると、同年7月、台湾は福建省の所管となり、翌年には台湾府及び鳳山、台湾、諸羅の3県が設置された。鳳山県県治は興隆荘埤子頭(左営旧城)に設置され、初代知県に楊芳声が着任すると、1684年(康熙23年)、楊芳声は興隆莊に文廟を建立し、1704年(康熙43年)には知県の宋永清により県公署及び崇聖祠を、1709年(康熙48年)には興隆里に学田90甲を設置し教育財源の確保を、翌年義学書院を文廟に隣接して建設、官学私学が盛んに行われるようになった。1719年(康熙58年)には『鳳山県志』が完成している。
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