序二段への陥落
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 17:28 UTC 版)
2018年6月25日に7月場所の番付が発表、東幕下6枚目にしこ名が掲載され正式に幕下への陥落が決定した。大関経験者、幕内最高優勝経験者が幕下に陥落するのはこれが初めて。また、この日に東京都内の病院で両膝の手術を受けた。師匠の伊勢ヶ濱親方(63代横綱・旭富士)は再起を目指す意向を明言しているが、この手術により7月場所を全休することを表明した。そのため9月場所は東幕下47枚目まで番付を落とし、自身の持っていた元大関の最低地位の記録を大幅に更新する形となった。更にその9月場所も初日からの休場を表明。元大関・幕内最高優勝経験者の幕下陥落で既に前代未聞のところ、9月場所も全休したため、翌11月場所では三段目(西27枚目)へと陥落してしまった。その11月場所でも全休を表明。次の2019年1月場所での復帰を見据えて治療とトレーニングを行っていたが、その西三段目88枚目まで番付を落とした2019年1月場所でも全休(休場は5場所連続、全休は4場所連続)することになり、翌3月場所で西序二段48枚目へと陥落した。序二段陥落は大関はおろか三役経験者としても初めて。四股などの基本運動は再開しており、伊勢ヶ濱親方は「関取に上がるためにやっている。万全の状態にしないといけない」と話している。 3度目の膝の手術をした頃は洋式トイレに自力で座れないほどの状態であったといい、そのような状態から師匠に引退を申し出ることも5、6回あったという。2019年の正月に誉富士に挨拶した際、相撲を辞めてモンゴルに帰郷して仕事を探すことを伝えたが、伊勢ヶ濱に説得されて現役続投を選んだ。「辞めるにしても辞めないにしてもまずは病気を治せ」とアドバイスを受けた。応援してくれる周囲の人々のためにも相撲を取り続けようと思ったという。土俵で相撲を取る稽古は1日10番しか取れない体調だが、関取復帰に向けてウエイトトレーニング、ウォーキングで体力を作り、摂生に努めた。序二段まで陥落したが、付け人は免除してもらい、大関時代に付け人だった力士が雑用を手伝ってくれた。3月場所から土俵復帰し、4日目の2番相撲は同じ元幕内の天風であることからニュースになった。その天風との取組では、天風が出たところを小手投げで転がして連勝をもぎ取った。因みに幕内経験者同士が序二段で対戦するのは、昭和以降史上初。その後、4番相撲となった7日目の寺尾翔戦に勝利し、4連勝で2017年5月場所以来の勝ち越しを決めた。5番相撲では復調を確認しようと35秒の長い相撲を試し、危なげなく白星。6番相撲は速攻相撲を心掛けて4秒で白星を決めたが、稽古が満足にできておらず「腰が下りていない」と本人は振り返った。元大関であるにも関わらず序二段まで番付を下げてもなお現役続投を選んだ背景には年寄名跡取得へ帰化申請中という事情があるとする報道もある。最終的に7戦全勝で締めくくり、狼雅との優勝決定戦に臨んだが、敗れて優勝を逃した。東三段目49枚目で臨んだ翌5月場所は、中日の4番相撲で大翔成に逆転で押し出される黒星はあったが、他は全て勝って6勝1敗で取り終えた。東幕下59枚目へと番付を戻した7月場所では、11日目の6番相撲で、3月場所の優勝決定戦で敗れた狼雅を極め出しで破って雪辱を果たすなど、4日目の2番相撲に大野城に敗れた以外は全て勝って6勝1敗で場所を終えた。9月場所は東幕下27枚目で、初日から6連勝で来たが、13日目の7番相撲で幕内経験者千代の国との6戦全勝対決に敗れ、幕下優勝はならなかった。
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