平氏方として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 02:20 UTC 版)
『吾妻鏡』治承4年(1180年)8月23日条によると、石橋山の戦いにおいて祐信は平氏方として参戦しており、源頼朝と敵対する立場であった。しかし戦況が不利となると、同10月18日条に「曾我太郎祐信等、手を束ねて参上すと云々」とあるように源頼朝の元に投降する。また同11月17日条に「今日曽我太郎祐信厚免を蒙る」とあり、宥免されている。 一方真名本『曽我物語』では「鎌倉殿石橋山の合戦に打負けて杉山に入せ給ふ時、梶原平三景時、曾我殿と二人心を合せて助け奉りし故に(巻四)」と記され、梶原景時とともに石橋山の戦いで敗戦した源頼朝を助けたとあるが、これは虚構であるとされる。
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