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帝立教会堂とノルマンディにおける石造天井の出現とは? わかりやすく解説

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帝立教会堂とノルマンディにおける石造天井の出現

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 05:00 UTC 版)

ロマネスク建築」の記事における「帝立教会堂とノルマンディにおける石造天井の出現」の解説

盛期ロマネスクは、時代区分としてはおおよそ1070年から1150年までの時代を指す。レコンキスタ進めイベリア半島除けば西ヨーロッパ情勢比較平穏で、10世紀から始まる農業生産力の向上と経済活動急速な復興によってヨーロッパ全体人口増加し芸術活動もたいへん活発になった。 木造の平天井けた帝立大聖堂第一シュパイアー1061年献堂されたが、1080年から1108年頃にかけて再建工事が行われた。この第二シュパイアー盛期ロマネスク建築きわめて重要な、そして完成され教会堂である。天井石造交差ヴォールト構成され、各ヴォールト壁面付柱から伸びる半円アーチによって縁取られる。これによって身廊明瞭に分節された。高窓クリアストーリ)も、それまでの壁に穿たれ単純な開口部から相互に連結するアーチになっており、壁で構成され建築というよりも、フランス盛期ゴシック建築のような骨組みによる構成に近いことが分かるシュパイアー大聖堂完成度は非常に高いが、当時建設され教会堂一般的な形式というわけではない。しかし、その革新的な技術は、同じく皇帝によって建設されマインツ大聖堂において直ち採用された。 シュパイアー大聖堂建立するほどに強化され神聖ローマ皇帝威厳であったが、この権力は、実際に各勢力微妙なバランスの上成り立った危ういものであった世俗権力との結びつきによる弊害強く意識するクリュニー修道院教会改革掲げ、やがてこれは司教修道院長任命権を巡る皇帝ローマ教皇との対立いわゆる叙任権闘争)に発展する1122年ヴォルムス協約において、この闘争ローマ教皇が有利となり、神聖ローマ皇帝権力基盤一翼担っていた聖職者はその勢力から切り離された。その結果皇帝から神権失われザリエル朝時代弱体化していた諸公はこれにつけこんで再び勢力拡大することになった教会改革運動そのものは、ロマネスク建築直接的な影響及ぼしていないが、結果的にロマネスク建築多様化促すことになる。 フランス王国は、1180年フィリップ2世即位するまで国王権力小さく地方建築活動はたいへん大きな差異示した。最も重要な建築残したのはやはりノルマンディノルマンディ公征服されイングランドで、石造天井建築技術いち早く取り入れ12世紀初頭には大規模な石造天井を持つ教会堂出現した1093年から1133年にかけて建設されダラム大聖堂は、天井全体交差リブ・ヴォールト採用した最初の教会堂で、このために、第二シュパイアーとともに盛期ロマネスク建築の最も重要な建築物となっている。身廊は、太い円柱天井達す付柱配した複合交互に配置する構成で、天井横断リブ複合対応するこのため横断リブの間で交差ヴォールト2度繰り返され未だ完成されていないという印象与えるが、これはその後出現する六分ヴォールト代わる唯一のヴォールト架構と言ってよい。 ゴシック建築引き継がれ六分ヴォールトは、カンサン・テティエンヌ成立した木造の平天井を持つ教会堂1077年完成したが、その20年から30年ほど後に天井全面的に石造換えられた。身廊アーケード構成するにはあらかじめ天井到達する付柱があり、リブ・ヴォールトけられたときには付柱沿ってリブ設けられた。サン・テティエンヌ場合ダラム大聖堂同じよう柱間2つおきに設けられたが、その間2つ交差ヴォールトをかけるのではなく交差ヴォールト横断するようにリブ設けられ六分ヴォールトという決定的な形態出現したシュパイアー大聖堂がそうであるように、ダラム大聖堂カーンサン・テティエンヌノルマンディ例外的な建築物である。双方地域では、12世紀前半まで、ほとんどの教会堂木造の平天井であった。特にイングランドイタリアでは、石造技術十分に発達した13世紀においても、意図的に木造の平天井を持つバシリカ建設され続けた。これは、単に技術的な遅れや建築材料不備木造天井を造らせたのではないということと、石造天井構築当時の人々にとって必ずしも進歩的であるということ意味しなかったということ示している。

※この「帝立教会堂とノルマンディにおける石造天井の出現」の解説は、「ロマネスク建築」の解説の一部です。
「帝立教会堂とノルマンディにおける石造天井の出現」を含む「ロマネスク建築」の記事については、「ロマネスク建築」の概要を参照ください。

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