帝立教会堂とノルマンディにおける石造天井の出現
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「ロマネスク建築」の記事における「帝立教会堂とノルマンディにおける石造天井の出現」の解説
盛期ロマネスクは、時代区分としてはおおよそ1070年から1150年までの時代を指す。レコンキスタを進めるイベリア半島を除けば、西ヨーロッパの情勢は比較的平穏で、10世紀から始まる農業生産力の向上と経済活動の急速な復興によってヨーロッパ全体の人口が増加し、芸術活動もたいへん活発になった。 木造の平天井を架けた帝立大聖堂、第一シュパイアーは1061年に献堂されたが、1080年から1108年頃にかけて再建工事が行われた。この第二シュパイアーは盛期ロマネスク建築のきわめて重要な、そして完成された教会堂である。天井は石造の交差ヴォールトで構成され、各ヴォールトは壁面の付柱から伸びる半円のアーチによって縁取られる。これによって身廊は明瞭に分節された。高窓(クリアストーリ)も、それまでの壁に穿たれた単純な開口部から柱を相互に連結するアーチになっており、壁で構成された建築というよりも、フランスの盛期ゴシック建築のような骨組みによる構成に近いことが分かる。シュパイアー大聖堂の完成度は非常に高いが、当時建設された教会堂の一般的な形式というわけではない。しかし、その革新的な技術は、同じく皇帝によって建設されたマインツ大聖堂において直ちに採用された。 シュパイアー大聖堂を建立するほどに強化された神聖ローマ皇帝の威厳であったが、この権力は、実際には各勢力の微妙なバランスの上に成り立った危ういものであった。世俗権力との結びつきによる弊害を強く意識するクリュニー修道院は教会改革を掲げ、やがてこれは司教や修道院長の任命権を巡る皇帝とローマ教皇との対立(いわゆる叙任権闘争)に発展する。1122年のヴォルムス協約において、この闘争はローマ教皇が有利となり、神聖ローマ皇帝の権力基盤の一翼を担っていた聖職者はその勢力から切り離された。その結果、皇帝から神権が失われ、ザリエル朝の時代に弱体化していた諸公はこれにつけこんで再び勢力を拡大することになった。教会改革運動そのものは、ロマネスク建築に直接的な影響を及ぼしていないが、結果的にはロマネスク建築の多様化を促すことになる。 フランス王国は、1180年にフィリップ2世が即位するまで国王の権力が小さく、地方の建築活動はたいへん大きな差異を示した。最も重要な建築を残したのはやはりノルマンディとノルマンディ公に征服されたイングランドで、石造天井の建築技術をいち早く取り入れ、12世紀初頭には大規模な石造天井を持つ教会堂が出現した。1093年から1133年にかけて建設されたダラム大聖堂は、天井全体に交差リブ・ヴォールトを採用した最初の教会堂で、このために、第二シュパイアーとともに盛期ロマネスク建築の最も重要な建築物となっている。身廊は、太い円柱と天井に達する付柱を配した複合柱を交互に配置する構成で、天井の横断リブは複合柱に対応する。このため、横断リブの間で交差ヴォールトが2度繰り返され、未だ完成されていないという印象を与えるが、これはその後出現する六分ヴォールトに代わる唯一のヴォールト架構と言ってよい。 ゴシック建築に引き継がれた六分ヴォールトは、カンのサン・テティエンヌで成立した。木造の平天井を持つ教会堂は1077年に完成したが、その20年から30年ほど後に天井は全面的に石造に換えられた。身廊のアーケードを構成する柱にはあらかじめ天井に到達する付柱があり、リブ・ヴォールトが架けられたときには、付柱に沿ってリブが設けられた。サン・テティエンヌの場合もダラム大聖堂と同じように柱間は2つおきに設けられたが、その間に2つの交差ヴォールトをかけるのではなく、交差ヴォールトを横断するようにリブが設けられ、六分ヴォールトという決定的な形態が出現した。 シュパイアー大聖堂がそうであるように、ダラム大聖堂とカーンのサン・テティエンヌはノルマンディの例外的な建築物である。双方の地域では、12世紀前半まで、ほとんどの教会堂が木造の平天井であった。特にイングランドやイタリアでは、石造技術が十分に発達した13世紀においても、意図的に木造の平天井を持つバシリカが建設され続けた。これは、単に技術的な遅れや建築材料の不備が木造の天井を造らせたのではないということと、石造天井の構築が当時の人々にとって必ずしも進歩的であるということを意味しなかったということを示している。
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