尼子軍の追撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/06 09:32 UTC 版)
長い遠征の影響もあったのか、元就は山吹城の落城が容易ではないことを悟った。また、この頃に豊前国の毛利氏の拠点である門司城(北九州市)を大友義鎮が攻め始めた(第三次門司城の戦い)こともあり、元就は退却を決意する。 毛利軍は降露坂を下りながら温泉津方面へと撤退し始めたが、この撤退中に尼子軍の追撃を受けた。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}それまで動きを見せていなかった常光率いる山吹城守備兵や他城守備兵が合力して(晴久の本隊も合流して攻撃に当たったとされる)[要出典]一気に追撃すると、坂を下っている途中だった毛利軍は思わぬ攻撃に驚き、敗走を余儀なくされた。 この敗走は、元就も命からがらに逃げるという混乱状態に陥ったと言われる。降露坂はかつて大内義隆の出雲遠征失敗(第一次月山富田城の戦い)時にも毛利軍の撤退ルートとなっており、家臣の渡辺通ら7騎が元就の身代わりになったと伝わるが(七騎坂)、このエピソードは降露坂の戦いでの出来事とする説もある。
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