小説と文体
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:30 UTC 版)
初期からジェイムズ・ジョイスやマルセル・プルーストなどのモダニズム文学の影響を受けて、英国風の風俗性とユーモア、知的な味わいを重視し、近代日本の従来の私小説的な文学風土に対する強い批評意識のもとに、小説を書いてきた。芥川賞受賞直後の吉行淳之介との対談では「日本のいわゆる風俗小説ではなく、イギリス風の風俗小説。ぼくは、精神風俗を含めた意味での風俗を扱って、作品の具体性を増し、厚みのある小説を書きたいと思っている。同時代史というのかな。イギリスの小説家で言えば、グレアム・グリーンにしろ、アイリス・マードックにしろ、ジョイスだってそうだと思うんですが、みんな風俗小説的な骨格が通ってるんですよ」と述べている。また、長編小説に主力を注ぎ、本人も、周囲も、長編小説家と見なすことが多い。 『エホバの顔を避けて』は、本人も習作としている。旧約聖書の「ヨナ書」を基本的な枠組みにしたこの作品は、ジョイス『ユリシーズ』やトーマス・マン『ヨゼフとその兄弟』のような、20世紀文学の特徴である「神話的方法」を採用したもので、エホバとの関係を通して、圧倒的な権威によって抑圧され、そこから逃れようとする魂の状況を描いている。またジョイスの影響によって取り入れられた内的独白の手法は、長編第二作『笹まくら』において、より大きなかたちで完成を見ることになる。 『笹まくら』は、「十五年戦争中を徴兵忌避者としてすごした男が、戦争が終わって後もその過去が彼にさまざまな影響を与えつづける」という精神の様相を描いたもので、『エホバの顔を避けて』以来の主題、すなわち戦争の気持ち悪い実感を描き切った(鹿島茂に「『笹まくら』は戦争後遺症小説である」という言がある)。池澤夏樹は、作品の成功の一因は、主人公が逃亡中、どういう生活をしていたか、何をしていたか、細部にわたって書き込まれていることだと指摘している。山崎正和はこの作品を「戦後文学誌における事件」と評し、米原万里は「情景や登場人物たちの微妙な心理の綾やその空気までが伝わってくる。と同時に国家と個人というマクロな主題が全編を貫いている。」とその文章表現を評している。 『たった一人の反乱』に見られるユーモアは、ドストエフスキー初期の滑稽小説の影響によることを自身で語っている。『たった一人の反乱』の英訳版(1986年)についてアンソニー・バージェスは、この作品で扱われるユーモア、アイロニー、哲学的達観、寛容さなどに触れて、「この小説は英語を常用する国々に、現代の滑稽小説の優秀な作家の一人として、すなわち人間の内なる本質のあばき手として、世界に通用する一つの声として、彼の地位を確立させるに違いない」と評した。また三浦雅士は、登場人物の俗物性や不真面目さ、滑稽さを表現することで、読者の感情移入ではなく、批判、評価を促し、従来の日本文学の詩の魅力に近いものとは別の、散文の魅力を生んでいると評している。 音楽ではクラシック音楽、特にモーツァルト、ハイドン、及び弦楽四重奏を愛好し、その知識を活かした『持ち重りのする薔薇の花』では、また小説の登場人物は職業における社会生活が語られるべきという、初期からの近代日本文学への批判を込めて書かれている。短篇小説では「単に長さが短い小説ではなくて、長篇小説とは異質の、短篇小説独特のおもしろさを読者に味ははわせたいと考えた」、また『樹影譚』について「そんな気持ちが最もあらはに出てゐる」「わたしの短篇小説の代表となる資格を持つてゐるはずだ」と述べている。文化勲章受章を祝う会の挨拶では、私小説反対の立場を貫き、村上春樹、池澤夏樹、辻原登など世界文学に通じる作家が現代日本文学の大勢となってきたことに貢献してきたと、授賞理由で初めて触れられたと述べた。 文芸雑誌などに発表する文章では、歴史的仮名遣い(ただし、漢字音については字音仮名遣を採用していない)を用いている。清水義範に『猿蟹合戦とは何か』(『国語入試問題必勝法』に収録)で『忠臣蔵とは何か』のパロディを書かれたこともあるが、丸谷は『国語入試問題必勝法』の文庫版に「解説」を寄せており、その中で清水の才能を認めながらも、同時に『猿蟹合戦とは何か』を評価できかねる気持ちを正直に告白し、複雑な心境をうかがわせた。また、フリーウェアの旧字旧仮名遣い変換辞書「丸谷君」の名は、丸谷才一に由来する。ジェローム・K・ジェローム『ボートの三人男』の翻訳における文体について井上ひさしは、「場面に応じてさまざまな文体を次々に繰り出すこの手管、しかも、それらをもう一つ高い次元で統一しくくっていく作業。ユーモア小説を創出するときに要求される、この二つの至難の事業が見事にここに完成をみている。」と評している。
※この「小説と文体」の解説は、「丸谷才一」の解説の一部です。
「小説と文体」を含む「丸谷才一」の記事については、「丸谷才一」の概要を参照ください。
- 小説と文体のページへのリンク