封印切
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 04:00 UTC 版)
「亀屋」で梅川とは縁を切るとおすわに約束したはずの忠兵衛ではあったが、結局「梅川にたった一言、暇乞いやら言い訳やら」いうつもりでと、新町の梅川のもとを訪ねることになる。忠兵衛にはじつは梅川への未練が残っており、その点は『けいせい恋飛脚』と同様であるが、そこをさらに後押しするように、梅川の使いの者に呼ばれるという話の流れになっている。井筒屋の門口にまで来ると頭に手ぬぐいを置き「梶原源太は俺かしらん」と、和事のじゃらじゃらとした二枚目ぶりを見せる。「梶原源太」云々とは、人形浄瑠璃の『ひらかな盛衰記』(元文4年〈1739年〉初演)で色男の梶原源太が遊郭に通う様子になぞらえたのである。そのあと井筒屋に入った忠兵衛は十日ぶりに会った梅川と口説のあと、舞台上手の二階座敷へともに入る。 槌屋治右衛門が来て梅川とのやりとりのあと、八右衛門が身請けの金を持って現れ忠兵衛について散々悪口すると、上手の二階座敷から堪えきれなくなった忠兵衛が、階段を降りて八右衛門の前に出る。ここで忠兵衛は八右衛門にそれまでいわれた悪口に対し、言葉を返すことになるが、十三代目片岡仁左衛門はこの忠兵衛について、和事の役として「終始受け身で、台詞も動きもいじめられ役の心得でやること」、「つまり忠兵衛は辛抱立役、すなわちじっと耐える役という性根で演じます」と述べている。 このときの二人の口論は客席を沸かせるが、ほとんどアドリブで演じられるため融通無碍な技量が必要である。初代中村鴈治郎の忠兵衛と四代目市川市蔵演じる八右衛門とのやりとりは漫才のようで面白かったという。このあと忠兵衛が封印を切り、金をばらまいて「ど、ど、どんなもんじゃい」と大見得を切るところが眼目であるが、この封印を切る型にも立って切るやり方や座ったままで切るやり方など、役者によっていろいろと違いがある。他にも井筒屋の大道具の作り、また幕切れの忠兵衛の引っ込み、さらに忠兵衛が足袋を履いているか否かなど、役者により細かい違いが見られる。 八右衛門は、忠兵衛を追い詰める重要な役どころで、即興で上方の言葉使いを駆使する上に憎々しさと愛嬌とが混ざり合った演技を必要とする。腕の良い役者が演じると忠兵衛の悲劇が強まる効果が生じ、その意味では戦前の市蔵と、戦後に初代吉右衛門の忠兵衛に付き合った六代目市川團之助とが最高のレベルであった。近年では、二代目中村鴈治郎、十七代目中村勘三郎、五代目中村富十郎などの幹部俳優が好演し、現在では、五代目片岡我當、九代目市川中車などが得意としている。 亀屋忠兵衛は初代中村鴈治郎や二代目實川延若、さらに十一代目片岡仁左衛門も演じ、得意とした役である。彼らの芸は後に、子の世代の二代目鴈治郎・三代目延若・十三代目仁左衛門から、孫の世代の四代目坂田藤十郎や十五代目仁左衛門へと継承された。他方、東京においても初代中村吉右衛門、また近年では十八代目勘三郎、十代目松本幸四郎、四代目市川猿之助、六代目片岡愛之助ら、多くの役者によって演じられてきた。とは言え、上方歌舞伎の代表的な演目・役柄に変わりはなく、四代目鴈治郎は前名の五代目翫雀および鴈治郎、それぞれの襲名披露で忠兵衛を演じている。
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