対立を決定的にした事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 20:43 UTC 版)
「日中共産党の関係」の記事における「対立を決定的にした事件」の解説
東京都文京区の善隣学生会館は、昭和10年(1935年)に、日本の傀儡だった「満州国」皇帝溥儀の寄付行為によって設立された「満州国留日学生補導協会」が中国人留学生寮-「満州国留日学生会館」として建設したものである。日本の敗戦後、旧外務官僚らによって設立された財団法人善隣学生会館に所有権が引き渡されようとしたが、会館は中国の財産であると主張する中国人学生や在日華僑との間で所有権をめぐる紛争が1952年から1962年まで続き、1962年2月に和解が成立し、財団法人の管理権を認めるとともに、会館は中国人学生寮および中国文化センターとして、もっぱら使用することで合意した。これを機に、日中友好運動に関係のない賃借人は退去することになり、日本中国友好協会は日中友好運動のまとめ役として、同会館内に事務所を構えることになった。ところが、同協会の分裂後、会館に残った日中友好協会は中国との交流を妨害する姿勢を強め、これに反発した会館内の中国人寮生が、壁新聞を張って、日中友好運動を行わない日中友好協会は偽の日中友好協会だから、会館を退去するべきと主張した。1967年2月28日に、壁新聞を日中友好協会の職員が破り、協会事務所内に入ったので寮生が事務所に行って抗議したところ、日本共産党が事務所を襲撃されたとして、500名の民主青年同盟員などで会館を包囲し、また事務所内にヘルメットやこん棒などの武器を持ち込んだ。3月2日に、日中友好協会の事務所から出てきたヘルメットとこん棒で武装した部隊が、正当防衛を口実に、事務所の付近にいた寮生らをこん棒で殴打し、在日中国人学生や支援の日本人に重傷者7人を出す流血事件善隣学生会館事件が起きた。 同年8月には北京空港事件があり、北京を退去しようとした日本共産党員2名が中国の紅衛兵や日本の留学生らに集団暴行された。こういった事件により日本共産党と中国共産党は完全に対立関係となった。
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