安住の地
安住の地
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「ファーギー・フレデリクセン」の記事における「安住の地」の解説
音楽に対する情熱が再度湧き上がり、旧友フィリップスとレコーディング作業に入る。1994年に復帰作『フレデリクセン/フィリップス』をリリース、アバンドン・シェーム時代の楽曲(「ベイビー・ブルー・アイズ」と「キャプチャード」)も日の目を見ることとなる。97年、ジョセフ・ウィリアムズのソロ・アルバム『3』にバック・ボーカルで参加。1999年には、ソロ・アルバム『イクィリブリアム』を発表した。1997年頃からは、元ステッペンウルフのニック・セント・ニコラス、マイケル・モナーク、元サンタナのアレックス・リガートウッド、元ジャーニーのエインズレー・ダンバーらとWorld Classic Rockersの一員として参加、ライブ録音盤を複数製作、フレデリクセンにとっては安住の地のひとつとなっていた。メンバーの入れ替えが時々あり、2010年頃元ボストンのフラン・コスモが固定メンバーとなっていた。コスモが歌う時はバック・ボーカルを務めていた。 2000年代に入ると、若い頃のような渡り鳥傾向は完全消滅、スタジオ録音作品はほとんどすべてトミー・デナンダー・ファミリーの人脈上で作成されている。レコーディングの安住の地である。デナンダーのプロジェクト、レディオ・アクティヴの3作品『セレモニー・オヴ・イノセンス』『YEAH』『テイクン』にリード・ボーカルを提供。2002年にはメッカのデビュー・アルバムに参加し、高い評価を受ける。2007年にはフレデリクセン・デナンダー名義でアルバム『バプティズム・バイ・ファイア』を発表。燃え尽きた男が完全復活を遂げる。他のデナンダー関連の作品では、フランスのギタリスト、フレデリック・スラマのプロジェクト「AOR」の作品『ナッシング・バット・ザ・ベスト』『Journey To L.A』にボーカルを提供する。ノルウェーのバンド「ノーザンライト」の同名アルバムや、イタリアのバンドマイランドのアルバム『ノー・マンズ・ランド』日本盤ボーナストラックで、1曲ずつ歌っている。 2012年6月には初代TOTOボーカリストのボビー・キンボール、元シカゴのビル・チャンプリン、元ジャーニーのスティーヴ・オージェリーと東京・大阪・名古屋で「Voice Of AOR」として来日し、アルバム『アイソレーション』からなどTOTOナンバー4曲を披露し、ビル・チャンプリンとのデュエットでシカゴの「忘れ得ぬ君に」を歌唱した。
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安住の地
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第1回公演WIP『生成』(2017) 第2回本公演『来世のご縁ということで』(2018) 『してない方のこちらから』(2018) PLOW#1『impedance mismatch』(2018) 第3回本公演『ポスト・トゥルースクレッシェンド・ポリコレパッショナートフィナーレ!』(2019) 安住の地とバカがミタカッタ世界。『岸辺にて』(2019) 第5回本公演『であったこと』(2020) 『やきいものや! はやさしいのや!』(2020) 『ボレロの遡行』(2021)
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