ふよ【扶余/夫余】
夫余
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夫余(ふよ、拼音: 、朝鮮語: 부여、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満洲)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[注釈 1]とも表記される。
注釈
出典
- ^ 『漢書』武帝紀
- ^ 『漢書』王莽伝
- ^ 『後漢書』光武帝紀
- ^ a b 『後漢書』安帝紀
- ^ 『後漢書』順帝紀
- ^ a b 『後漢書』東夷列伝
- ^ 『三国志』烏丸鮮卑東夷伝
- ^ 『後漢書』本紀、東夷列伝
- ^ 『三国志』魏書文帝紀「濊貊、扶餘單于、焉耆、于闐王皆各遣使奉献」
- ^ 『三国志』魏書東夷伝
- ^ 『三国志』魏書烏丸鮮卑東夷伝、『晋書』四夷伝
- ^ 『晋書』四夷伝
- ^ 『資治通鑑』巻第九十七、『晋書』載記第九
- ^ 三上次男・神田信夫編『民族の世界史3 東北アジアの民族と歴史』1989年、山川出版社、202-203頁
- ^ 宮本一夫「考古学から見た夫余と沃沮 (共同研究 『三国志』魏書東夷伝の国際環境)」『国立歴史民俗博物館研究報告』第151巻、国立歴史民俗博物館、2009年3月、99-127頁、doi:10.15024/00001695、ISSN 02867400、NAID 120005748724。
- ^ 木山克彦「紀元前後〜7 世紀における極東・サハリン・北海道北部の考古学的様相」新しいアイヌ史の構築 : 先史編・古代編・中世編、2012年3月。
- ^ 三上次男・神田信夫編『民族の世界史3 東北アジアの民族と歴史』1989年、山川出版社、197-198頁
- ^ 三宅俊彦 (sep 1992). “西団山文化の墓葬に関する研究”. 駒沢史学 (駒沢大学歴史学研究室内駒沢史学会) 44: 30-55. ISSN 04506928. NAID 110007003006.
- ^ a b c d e f g h 『三国志』魏書烏丸鮮卑東夷伝
- ^ 『三国志』魏書烏丸鮮卑東夷伝 高句麗「東夷舊語以為夫餘別種,言語諸事,多與夫餘同」、『後漢書』東夷列伝 高句驪「東夷相傳以為夫餘別種,故言語法則多同」
- ^ 『三国志』魏書烏丸鮮卑東夷伝 東沃沮「其言語與句麗大同,時時小異」、濊「言語法俗大抵與句麗同,衣服有異」、『後漢書』東夷列伝 東沃沮「言語、食飲、居處、衣服有似句驪」、濊「耆舊自謂與句驪同種,言語法俗大抵相類」
- ^ 『三国志』魏書烏丸鮮卑東夷伝 挹婁「其人形似夫餘,言語不與夫餘、句麗同」、『後漢書』東夷列伝 挹婁「人形似夫餘,而言語各異」
- ^ 川崎真治『混血の神々 日本人と日本語の起源』(1973年)
夫余
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『魏志』東夷伝・夫餘に「昔、北方に高離の国というものがあった。その王の侍婢が妊娠した。〔そのため〕王はその侍婢を殺そうとした。〔それに対して〕侍婢は、『卵のような〔大きさの〕霊気がわたしに降りて参りまして、そのために妊娠したのです』といった。そのご子を生んだ。王は、その子を溷(便所)の中に棄てたが、〔溷の下で飼っている〕豚が口でそれに息をふきかけた。〔そこで今度は〕馬小屋に移したところ、馬が息をふきかけ、死なないようにした。王は天の子ではないかと思った。そこでその母に命令して養わせた。東明と名づけた。いつも馬を牧畜させた。東明は弓矢がうまかった。王はその国を奪われるのではないかと恐れ、東明を殺そうとした。東明は南に逃げて施掩水までやってくると、弓で水面をたたいた。〔すると〕魚鼈が浮かんで橋をつくり、東明は渡ることができた。そこで魚鼈はばらばらになり、追手の兵は渡ることができなかった。東明はこうして夫餘の地に都を置き、王となった。」とある。一方、『史記』巻四・周本紀に「周の后稷、名は棄。其の母、有邰氏の女にして、姜原と曰う。姜原、帝嚳の元妃と為る。姜原、野に出で、巨人の跡を見、心に忻然として說び、之を踐まんと欲す。之を踐むや、身動き、孕める者の如し。居ること期にして子を生む。不祥なりと以為い、之を隘巷に棄つ。 馬牛過る者皆な辟けて踐まず。 徙して之を林中に置く。 適會、山林人多し。之を遷して渠中の冰上に棄つ。飛鳥、其の翼を以て之を覆薦す。姜原以て神と為し、遂に收養して長ぜしむ。初め之を棄てんと欲す。因りて名づけて棄と曰う。」という牛馬が避け、鳥が羽で覆って守った、という周始祖后稷の神話が記載してある。内藤湖南は、夫余と后稷の神話が酷似していることを指摘しているが、「此の類似を以て、夫餘其他の民族が、周人の旧説を襲取せりとは解すべからず。時代に前後ありとも、支那の古説が塞外民族の伝説と同一源に出でたりと解せんには如かず」といい、同様の神話が、三国時代の呉の康僧会が訳した『六度集経(中国語版)』にもあることを指摘し、「此種の伝説の播敷も頗る広き者なることを知るべし」とする。
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