「夫余(フヨ)」の意味や使い方 わかりやすく解説 Weblio辞書

夫余とは? わかりやすく解説

ふよ【扶余/夫余】

読み方:ふよ

[一]前1世紀5世紀中国東北地方から朝鮮半島北部活動したツングース系民族また、その建てた国。1〜3世紀全盛期迎えたが、494年に同じツングース系勿吉(もっきつ)に滅ぼされた。

[二](扶余)大韓民国忠清南道の郡。538660年百済(くだら)の都の置かれた地。半月城百済王陵などの遺跡がある。プヨ


夫余

読み方:フヨ(fuyo)

古代の中国東北方面から朝鮮半島東北部族名、国名

別名 扶余


夫余

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/08 13:47 UTC 版)

夫余(ふよ、拼音: Fúyú朝鮮語: 부여正字体:夫餘)は、現在の中国東北部満洲)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[注釈 1]とも表記される。


注釈

  1. ^ 扶餘(扶余)の語は『日本書紀継体天皇紀で初めて使われ、日本以外では五代十国時代以降の史書(『旧唐書』、『新唐書』、『旧五代史』、『宋史』、『三国史記』など)から使われるようになったものであり、実際に夫余国として存在した南北朝時代までの呼び名としては夫餘(夫余)である。
  2. ^ 後漢書』東夷列伝、『三国志』魏書・烏桓鮮卑東夷列伝所引『魏略』にも同様の記述がある。
  3. ^ 対して、貴人の母が日光に当たって妊娠するという北方系神話の日光感精神話がある。

出典

  1. ^ 『漢書』武帝紀
  2. ^ 『漢書』王莽伝
  3. ^ 『後漢書』光武帝紀
  4. ^ a b 『後漢書』安帝紀
  5. ^ 『後漢書』順帝紀
  6. ^ a b 『後漢書』東夷列伝
  7. ^ 『三国志』烏丸鮮卑東夷伝
  8. ^ 『後漢書』本紀、東夷列伝
  9. ^ 『三国志』魏書文帝紀「濊貊、扶餘單于、焉耆、于闐王皆各遣使奉献」
  10. ^ 『三国志』魏書東夷伝
  11. ^ 『三国志』魏書烏丸鮮卑東夷伝、『晋書』四夷伝
  12. ^ 『晋書』四夷伝
  13. ^ 『資治通鑑』巻第九十七、『晋書』載記第九
  14. ^ 三上次男神田信夫編『民族の世界史3 東北アジアの民族と歴史』1989年、山川出版社、202-203頁
  15. ^ 宮本一夫「考古学から見た夫余と沃沮 (共同研究 『三国志』魏書東夷伝の国際環境)」『国立歴史民俗博物館研究報告』第151巻、国立歴史民俗博物館、2009年3月、99-127頁、doi:10.15024/00001695ISSN 02867400NAID 120005748724 
  16. ^ 木山克彦「紀元前後〜7 世紀における極東・サハリン・北海道北部の考古学的様相」新しいアイヌ史の構築 : 先史編・古代編・中世編、2012年3月。 
  17. ^ 三上次男神田信夫編『民族の世界史3 東北アジアの民族と歴史』1989年、山川出版社、197-198頁
  18. ^ 三宅俊彦 (sep 1992). “西団山文化の墓葬に関する研究”. 駒沢史学 (駒沢大学歴史学研究室内駒沢史学会) 44: 30-55. ISSN 04506928. NAID 110007003006. 
  19. ^ a b c d e f g h 『三国志』魏書烏丸鮮卑東夷伝
  20. ^ 『三国志』魏書烏丸鮮卑東夷伝 高句麗「東夷舊語以為夫餘別種,言語諸事,多與夫餘同」、『後漢書』東夷列伝 高句驪「東夷相傳以為夫餘別種,故言語法則多同」
  21. ^ 『三国志』魏書烏丸鮮卑東夷伝 東沃沮「其言語與句麗大同,時時小異」、濊「言語法俗大抵與句麗同,衣服有異」、『後漢書』東夷列伝 東沃沮「言語、食飲、居處、衣服有似句驪」、濊「耆舊自謂與句驪同種,言語法俗大抵相類」
  22. ^ 『三国志』魏書烏丸鮮卑東夷伝 挹婁「其人形似夫餘,言語不與夫餘、句麗同」、『後漢書』東夷列伝 挹婁「人形似夫餘,而言語各異」
  23. ^ 川崎真治『混血の神々 日本人と日本語の起源』(1973年)


「夫余」の続きの解説一覧

夫余

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 06:53 UTC 版)

建国神話」の記事における「夫余」の解説

魏志東夷伝・夫餘に「昔、北方に高離の国というものがあった。その王の侍婢妊娠した。〔そのため〕王はその侍婢殺そうとした。〔それに対して侍婢は、『卵のような大きさの〕霊気がわたしに降りて参りまして、そのために妊娠したのです』といった。そのご子を生んだ。王は、その子を溷(便所)の中に棄てたが、〔溷の下で飼っている〕豚が口でそれに息をふきかけた。〔そこで今度は〕馬小屋移したところ、馬が息をふきかけ死なないようにした。王は天のではないか思った。そこでその母に命令して養わせた。東明名づけた。いつも馬を牧畜させた。東明弓矢うまかった。王はその国を奪われるではないか恐れ東明殺そうとした。東明は南に逃げて施掩までやってくると、弓で水面たたいた。〔すると〕魚鼈浮かんでをつくり、東明は渡ることができた。そこで魚鼈はばらばらになり、追手の兵は渡ることができなかった。東明はこうして夫餘の地に都を置き、王となった。」とある。一方、『史記』巻四・周本紀に「周の后稷、名は棄。其の母、有邰氏の女にして、姜原曰う姜原、帝嚳の元妃為る姜原、野に出で巨人の跡を見、心に忻然として說び、之を踐まんと欲す。之を踐むや、身動き、孕める者の如し。居ること期にして子を生む不祥なりと以為い、之を隘巷に棄つ。 馬牛過る者皆な辟けて踐まず。 徙して之を林中に置く。 適會、山林多し。之を遷して渠中の冰上棄つ飛鳥其のを以て之を覆す。姜原以て神と為し遂に養して長ぜしむ。初め之を棄てんと欲す因りて名づけて棄と曰う。」という牛馬避けが羽で覆って守った、という周始祖后稷神話記載してある。内藤湖南は、夫余と后稷神話酷似していることを指摘しているが、「此の類似を以て、夫餘其他の民族が、周人の旧説を襲取せりとは解すべからず時代前後ありとも、支那古説塞外民族伝説同一源に出でたりと解せんには如かず」といい、同様の神話が、三国時代の呉の康僧会訳した六度集経(中国語版)』にもあることを指摘し、「此種の伝説の播敷も頗る広き者なることを知るべし」とする。

※この「夫余」の解説は、「建国神話」の解説の一部です。
「夫余」を含む「建国神話」の記事については、「建国神話」の概要を参照ください。

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夫余

出典:『Wiktionary』 (2021/08/20 13:22 UTC 版)

別表記

固有名詞

(ふよ)

  1. 紀元前1世紀から5世紀にかけて中国東北部存在した民族また、その国家


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