大陸へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/01 09:56 UTC 版)
「ウィリアム・トマス・ベックフォード」の記事における「大陸へ」の解説
10歳の時にリューマチ熱で父が死去した。16歳の時スイスのジュネーヴに留学し、法学、哲学、物理学、園芸学を修め、フランス語とイタリア語に熟達する。さらに『千夜一夜物語』の世界に憧れて、アラビア語、スペイン語、ポルトガル語を習得する。ヴォルテールとも交遊した。 1781年、成人に伴って亡父の莫大な遺産を相続。遺産の内訳は、100万から150万ポンドの現金やフォントヒルの地所、ジャマイカにある複数のサトウキビ農場だった。農場からは年に7万から10万ポンドの利益が、黙っていても入って来た。これらの資産によって俗世の労働から解放され、高級趣味人として執筆・芸術・建築に耽溺した。バイロンからは「イングランドで最も豊かな御曹司」と羨望された。 イギリスの名門子弟のご多分に漏れず、彼もまた大陸巡遊旅行(「グランドツアー」Grand Tour; 18世紀から19世紀初頭にかけて、英国上流社会の青年が教育の総仕上げにおこなったヨーロッパ各地巡遊旅行)に出発し、1782年にイタリアを旅すると、ただちにイタリア紀行を著した。1783年のDreams, Waking Thoughts and Incidentsがそれである。
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