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大船観音とは? わかりやすく解説

大船観音寺

(大船観音 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/22 00:00 UTC 版)

大船観音寺おおふなかんのんじ
所在地 神奈川県鎌倉市岡本1丁目5番3号
位置 北緯35度21分10.7秒 東経139度31分42.3秒 / 北緯35.352972度 東経139.528417度 / 35.352972; 139.528417座標: 北緯35度21分10.7秒 東経139度31分42.3秒 / 北緯35.352972度 東経139.528417度 / 35.352972; 139.528417
山号 仏海山
宗派 曹洞宗
本尊 聖観音
創建年 1981年昭和56年)
開基 絶海勝俊、乙川瑾瑛(開山)
正式名 仏海山 大船観音寺
別称 大船観音
公式サイト 大船観音寺
法人番号 9021005001849
大船観音寺
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大船観音寺(おおふなかんのんじ)は、神奈川県鎌倉市岡本一丁目にある曹洞宗大船観音と通称される全長約25メートルの巨大白衣観音像で知られる。

概要

JR東日本東海道本線横須賀線根岸線)、湘南モノレール大船駅西口より徒歩10分程度。

シンボルともなっている大船観音の他にも、原子爆弾による犠牲者を弔う「原爆被災祈念碑」・「戦没慰霊碑」など第二次世界大戦による犠牲者を弔う碑や、地蔵尊などが立ち並ぶ。

沿革

護国観音を建立するために1927年昭和2年)2月、護国大観音建立会の趣意書を作成。1954年(昭和29年)11月2日、護国大観音建立会が消滅し、財団法人・大船観音協会を設立。なお、大船観音協会には、曹洞宗管長の高階瓏仙や、東京急行電鉄(現在の東急)の初代社長・五島慶太の名前を始め、各界の著名人の名が見える。

1979年(昭和54年)12月25日、大船観音協会の解散と宗教法人への移行を決定。財団法人・大船観音協会は、1981年(昭和56年)11月30日に解散し曹洞宗の包括下にある大船観音寺として、1981年(昭和56年)11月20日に宗教法人となった[1][2]

大船観音

大船観音は1929年(昭和4年)、護国観音として築造が開始され、1934年(昭和9年)には輪郭が出来上がっていたが、昭和恐慌など経済情勢の悪化により、築造は中断。その後、20年以上放置される。第二次世界大戦後、財団法人大船観音協会が設立され、1960年(昭和35年)4月に完成した[3]

観音本体は地上に見えている部分のみの胸像であり、下半身のある立像が山の中に埋まっているものではない。当初は奈良の大仏の2倍近い立像となる計画であったが、建設地の調査を行った結果、立像を築造した場合に地山が東に崩壊する可能性が判明し胸像に変更されている。内部にはサロン風の展示室が整備されており、「大船観音協会 施工大成建設」のプレートや縮小版の観音像、写真パネル等を見ることができる。

現在、大船観音は大船のシンボルとして位置付けられ、夜間にはライトアップされるなど、観光名所となっている。ライトアップの色は、2006年平成18年)より、それまでの緑色からオレンジ色に変更された。

さらに観音像へは、日本人ばかりではなく、東南アジア(特に華僑上座部仏教信者)などからの参拝客も多く、奉納された灯籠には多国籍な名前が並ぶ。こうしたアジアからの参拝客の増加を受け、1999年(平成11年)より台湾スリランカなどから僧を招き、法要を行い、各国の民族舞踊を奉納する「ゆめ観音in大船」という祭りが開催されるようになった。2009年(平成21年)、正力松太郎賞を受賞。

ギャラリー

キャラクター

のんちゃん - 2012年(平成24年)に誕生した大船観音のゆるキャラ。

その他

NHKtvk大船観音中継局は、大船観音寺境内地内(ましてや観音像の頭上)に設置されているのではなく、道路を挟んだ南側の別の山の上に設置されている。

脚注

  1. ^ 大船観音寺 沿革”. 大船観音寺. 2017年10月15日閲覧。
  2. ^ 宗教法人名簿(鎌倉市)”. 神奈川県. 2017年10月15日閲覧。
  3. ^ 清田昌弘『かまくら今昔抄60話』 第三集、冬花社、2013年5月5日、17頁。ISBN 9784925236867 

関連項目

外部リンク


大船観音

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大船観音寺」の記事における「大船観音」の解説

大船観音は1929年昭和4年)、地元有志発起により、護国観音として築造開始され1934年昭和9年)には輪郭出来上がっていたが、戦局の悪化により、築造中断その後20年以上放置される第二次世界大戦後財団法人大船観音協会設立され1960年昭和35年4月完成した観音本体地上見えている部分のみの半身像であり、下半身のある立像が山の中に埋まっているものではない。また内部にはサロン風の展示室が整備されており、縮小版の観音像写真パネル等を見ることができる。 現在、大船観音は大船のシンボルとして位置付けられ夜間にはライトアップされるなど、観光名所となっている。ライトアップの色は、2006年平成18年)より、それまで緑色からオレンジ色変更された。 さらに観音像へは、日本人ばかりではなく東南アジア(特に華僑上座部仏教信者)などからの参拝客も多く奉納され灯籠には多国籍な名前が並ぶ。こうしたアジアからの参拝客の増加を受け、1999年平成11年)より台湾スリランカなどから僧を招き法要行い各国民族舞踊奉納する「ゆめ観音in大船」という祭り開催されるようになった2009年平成21年)、正力松太郎賞受賞。 なお、NHKtvkの大船観音中継局は、大船観音寺境内地内(ましてや観音像頭上)に設置されているのではなく道路挟んだ南側別のの上設置されている。

※この「大船観音」の解説は、「大船観音寺」の解説の一部です。
「大船観音」を含む「大船観音寺」の記事については、「大船観音寺」の概要を参照ください。

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