大秦景教宣元至本経および大秦景教宣元至本経幢記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 04:51 UTC 版)
「景教経典」の記事における「大秦景教宣元至本経および大秦景教宣元至本経幢記」の解説
1976年に洛陽から出土した経幢(石柱)に書かれていた。経幢はしばらく放置されたのちにいったん盗まれたが、2006年に江蘇省無錫で見つかり、洛陽に戻された。大秦景教宣元至本経は日本のものと10行目までが一致する。残りは今回はじめて知られたもの。また、経幢記は当時の洛陽にキリスト教徒のソグド人が住んでいたことを明らかにした。
※この「大秦景教宣元至本経および大秦景教宣元至本経幢記」の解説は、「景教経典」の解説の一部です。
「大秦景教宣元至本経および大秦景教宣元至本経幢記」を含む「景教経典」の記事については、「景教経典」の概要を参照ください。
- 大秦景教宣元至本経および大秦景教宣元至本経幢記のページへのリンク