大秦景教大聖通真帰法讃および大秦景教宣元至本経
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「大秦景教宣元至本経」経幢の拓本 「宣元至本経」は冒頭10行(「大秦景教宣元本経」と題す)と末尾30行が残る。この経名は「尊経」の2番目に記されている。末尾部分と「大聖通真帰法讃」はもと李盛鐸の所蔵であったものを小島靖が将来したといい、羽田亨は敦煌文献であると考えたが、林悟殊らはこれを疑い、贋作とした。内容は『老子道徳経』の注釈で、そこにキリスト教的な概念を盛りこんだもの。 「大聖通真帰法讃」は18行で、佐伯によると礼拝式に関する注意書きである。式で読まれる書の名として「天宝蔵経」(不詳)、「多恵聖王経」(ダヴィデ詩篇)、「阿思瞿利律経」(思は萬の誤り、福音書)などがあげられているが、これらはいずれも「尊経」に見える。 「宣元至本経」の末尾には開元5年(717年)、「大聖通真帰法讃」は開元8年(720年)の筆写年が記されているが、羽田亨はこの年代を疑わしいとして、晩唐のものと考えた。
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