大秦景教大聖通真帰法讃および大秦景教宣元至本経とは何? わかりやすく解説 Weblio辞書

大秦景教大聖通真帰法讃および大秦景教宣元至本経とは? わかりやすく解説

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大秦景教大聖通真帰法讃および大秦景教宣元至本経

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 04:51 UTC 版)

景教経典」の記事における「大秦景教大聖通真帰法讃および大秦景教宣元至本経」の解説

大秦景教宣元至本経経幢拓本 「宣元至本経」は冒頭10行(「大秦景教元本経」と題す)と末尾30行が残る。この経名は「尊経」の2番目に記されている。末尾部分と「大聖通真帰法讃」はもと李盛鐸所蔵であったものを小島靖が将来したといい、羽田亨敦煌文献であると考えたが、悟殊らはこれを疑い贋作とした。内容は『老子道徳経』の注釈で、そこにキリスト教的な概念盛りこんだもの。 「大聖通真帰法讃」は18行で、佐伯によると礼拝に関する注意書きである。式で読まれる書の名として天宝蔵経」(不詳)、「多恵聖王経」(ダヴィデ詩篇)、「阿思瞿利律経」(思は誤り福音書)などがあげられているが、これらはいずれも「尊経」に見える。 「宣元至本経」の末尾には開元5年717年)、「大聖通真帰法讃」は開元8年720年)の筆写年が記されているが、羽田亨この年代を疑わしいとして、晩唐のものと考えた

※この「大秦景教大聖通真帰法讃および大秦景教宣元至本経」の解説は、「景教経典」の解説の一部です。
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