多重事故
多重事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 06:16 UTC 版)
「1978年イタリアグランプリ」の記事における「多重事故」の解説
午前中のフリー走行でピーターソンの79がブレーキトラブルのためクラッシュ。スペアカーの79はアンドレッティ用のセッティングが施されていたため、旧型の78でレースに臨んだ。 午後3時半にフォーメーション・ラップが開始され、各マシンがグリッドに付き始めたが、後方のマシンが止まらないうちにグリーンシグナルが点灯した。前方のマシンは慌ててスタートを切り、後方のマシンはまだスピードが出た状態だったため前方の集団に追い付き、集団の前後が詰まった状態となった。さらに、モンツァのホームストレートは第1シケインに向けて横幅が狭まっていくたため、各車が密集した状態となり、シケイン手前で多重接触事故が発生した。 まず、後方集団に押し出される形でリカルド・パトレーゼ(アロウズ)が進路を変え、これをよけたジェームス・ハント(マクラーレン)がピーターソンの78の右後輪にヒットした。ピーターソンはスピンしてコース右側のバリアに衝突し、炎と黒煙が立ち上った。78は炎に包まれながらコースを横切り、ディディエ・ピローニ(ティレル)にぶつかって停止した。このほかクレイ・レガツォーニ(シャドウ)、パトリック・デパイユ(ティレル)、ヴィットリオ・ブランビラ(サーティース)など10台がこの事故に巻き込まれた。 レースはただちに赤旗中断となり、負傷者の救助作業が行われた。ピーターソンは炎上する車内からハント、レガツォーニらに引きずり出されたが、左足を2か所と右足を6か所、更には足の指も骨折していたのに加え、左腕と肩に火災による火傷を負っていた。また、ブランビラもホイールが頭部に直撃して重傷を負った。17分後に救急車が到着し、ピーターソンとブランビラはミラノ市内のニグアルダ病院に運ばれた。
※この「多重事故」の解説は、「1978年イタリアグランプリ」の解説の一部です。
「多重事故」を含む「1978年イタリアグランプリ」の記事については、「1978年イタリアグランプリ」の概要を参照ください。
- 多重事故のページへのリンク