外からの接近
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/12 14:38 UTC 版)
ディスカバリーは1901年8月6日にワイト島を出港し、ケープタウンを通過したあとは、南緯40度以南の磁気調査のために回り道し、11月29日にニュージーランドに到着した。最終準備のために3週間を使った後で、南に行く用意ができた。12月21日、大群衆に送られてリトルトン港を出港するときに、若い熟練船員チャールズ・ボナーが主マストの頂上から落ちて死んだ。群衆からの喝采に答えようと昇っていたものだった。その2日後、ボナーはポートチャルマーズで埋葬された。 その後は南に進んで1902年1月9日にケープ・アデアに到着した。短時間上陸し、ボルクグレヴィンクのキャンプ跡を検査した後、船はビクトリア・ランドの岸に沿って南下を続けた。マクマード・サウンドでは、東に転じ、ケープ・クロージャーで再度接岸し、予め設定していた連絡所を設置して、救援船が遠征隊の場所を掴めるようにした。その後はアイス・バリアを東端まで進み、1月30日にロスが予測していた陸地を確認し、エドワード7世半島と名付けた。 2月4日、スコットはバリアに上陸し、空中探査のために入手していた観測気球を出した。スコットがしっかり係留された気球に乗って急速に上空600フィート (180 m) まで昇った。2番目に上がったのはシャクルトンだった。二人とも見たのは果てしなく続くバリアの表面だった。ウィルソンは内心でその上昇を「全くの気違い沙汰だ」と考えた。
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