ほう‐しょう〔‐シヤウ〕【報償】
報償
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関連項目
報償
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 00:26 UTC 版)
「アウステルリッツの戦い」の記事における「報償」の解説
会戦後、ナポレオンは兵士たちを讃える演説を行った。 兵士たちよ、私は諸君に満足している。諸君は、アウステルリッツの戦いにおいて、私が諸君の勇敢にかけた期待を裏切らなかった。諸君は諸君の軍旗を不滅の栄光によって飾った。ロシア皇帝とオーストリア皇帝の指揮する10万の軍は、4時間足らずして、分断され四散させられた。諸君の砲火を免れた者も湖に溺れて死んだ。ロシアの近衛隊の40本の軍旗、120門の大砲、20人の将軍、3万以上の捕虜が、永久に栄光に輝くこの日の戦果である。諸君にはもはや恐れるべき敵はいない。兵士たちよ、我々の祖国の幸福と繁栄のために必要なことがなされたときには、私は諸君をフランスへ帰すであろう。国民は諸君の帰還を喜ぶであろう。そして諸君は、「アウステルリッツの戦いに加わっていた」と言いさえすれば、こういう答えを受けるであろう。「ああ、この人は勇士だ!」と。 ナポレオンは上級将校に200万フラン、兵士には各々200フランを下賜し、戦死した兵士の未亡人たちには多額の年金が与えられた。孤児となった子供たちはナポレオンが養子とし、洗礼名または家名に「ナポレオン」を称することを許した。一方で、彼はこの様な大勝利の後では通例である司令官たちの叙爵を行っていない。ナポレオンはアウステルリッツはあくまでも彼個人の勝利であり、他人を昇進させるべきものではないと考えていたためであろう。
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