地歴的概略
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 06:18 UTC 版)
荘園制(manorialism)という用語は、中世西ヨーロッパを説明する上で最もよく使用される。荘園制に先立つシステムは、後期ローマ帝国の農村経済にその初現を見ることができる。出生率と人口が減少していく中で、生産の重要な要素は労働であった。代々の支配者たちは、社会構造を固定することにより帝国経済の維持を図っていった。 父親の職は息子が世襲するものとされた。評議員(coucillor)は任期切れで退任し、コロヌスと呼ばれる耕作者層は居住する領地からの移動を禁じられた。これらの耕作者はserfと呼ばれる農奴となっていった。複数の要素が重なって、旧来の奴隷の地位と旧来の自由農民の地位を併せ持ったコロヌスという従属的な階級が生まれたのである。325年頃にコンスタンティヌス1世が発布した法令は、コロヌスの半奴隷的な地位を規定するだけでなく、法廷における告訴権を保証するものでもあった。帝国内への居住が認められた異民族foederatiが移住してきたため、コロヌスの数は増加していった。 5世紀に入ると、ゲルマン王国がローマ帝国の権威を継承したことにより、ローマ人領主は異民族に取って代わられた。8世紀には、地中海貿易が壊滅したことで、農村の自給自足体制が急速に確立されていった。歴史家アンリ・ピレンヌは、イスラム圏への征服活動が、ヨーロッパ中世経済の著しい農村化をもたらし、また多様な農奴階級が支える地域権力ヒエラルキーという伝統的な封建様式を引き起こしたとする説を展開している(ただし異論も少なからずある)。
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