困難に対して
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 13:39 UTC 版)
2018年のインタビューによると、「俳優をやめたいと思ったことは何度もあり、特に覚えているのは19歳と23歳のころ」と言う。19歳の頃は『星の大地に降る涙』『サムライ・ハイスクール』『ブラッディ・マンデイ シーズン2』と切羽詰まった役柄の主役が何本もあり、環境の変化が目まぐるしく、初めてのオーバーワークに直面、挫折とパニックに陥った。自分の時間が無くすべてに自信を失うほど精神的に参っていたという。「役者をやめて俺は農業の道に行こう」「とにかく今の状態から逃げ出したい、故郷へ戻りたい」という一心だったという が、母親に説得され思い止まった(2012年2月5日放送『ホンネ日和』(TBS系)寺脇康文との対談等)。この時の状況は、後に本人が何度か語っており、20歳時には「当時は弱かった」「今までは何か問題を抱えても自分の力だけでどうにか解消してきたが、ギリギリまで追いつめられると意外と近くの人には相談できないものなんだなと思った。というのも、周りのみんなが輝いて見えて、だからなおさら相談できなくなる……。弱みを見せたくないという気持ちは確実にあった。でもそれを吹っ切って、家族やスタッフ、友人に話をして浮上するキッカケを掴んだ。叱咤激励され背中を押してもらって少しずつ回復していき、ようやく「本当にこの仕事が好き」と言えるようになった」と語っている。その後には以下のように持論として語っている。 当時は大人になりきれておらず甘えており自分の仕事をこなす要領が悪かった。今同じことをやれと言われたら平気でこなしちゃうと思う。周りのたくさんの人に支えられて乗り切った。壁を越えてからは見えてくるものが明らかに違い、20歳になってからは仕事に対する熱意・やる気が増え、それを感じている自分が楽しくなった。やりたいことがあるならば尚更、壁を一度越えなければ次に進めない。誰でも忙しさなどに負けそうになって落ち込み、逃げたくなるかもしれない。でもそこからさらに頑張る、というところまでいかないとだめだと思う。 また、23歳のときは「仕事が忙しかったし、プライベートなこともいろいろ重なった」と言う。その際は「違う何かに触れる」ことで乗り越えた。例として、それまでアルバイトをしたこともなかったが、俳優とは全く違う現場でしばらく力仕事の経験をし「目を向ければいろんな仕事があって、頑張っている人がたくさんいる。世界は広いんだなと思ったし、以前よりも社交的になった。昔は何考えているか分からない感じだったんじゃないかな。取材でもこんなにしゃべれなかったし。スタッフさんとの距離も縮まったような気がします」と語っている。また、旅に出たり海外に身を置いたりすることにも救われた、と振り返っている。
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