商船としての航海
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/07 14:15 UTC 版)
「ケダー・マーチャント」の記事における「商船としての航海」の解説
1696年4月、アルメニアの商人団が、インドのコワジーという人物が所有する350トンのケダー・マーチャントを借り上げた。北西インドの都市スーラトを出航する彼らを手助けしたのは、収入の足しにとフリーでも仕事を請け負っていたイギリス東インド会社の現地総督、オーガン・ペリー・カレンダー(Augun Peree Callendar)だった。ジョン・ライト(John Wright)が船長をつとめるこの航海には、2人のオランダ人航海士、1人のフランス人砲手、90人以上のインド人乗組員たちと、30人のアルメニア人商人が参加していた。 幾度か出航が遅れた後、クルーは綿花を積み込んでスーラトを発ち、インドの先端を回って1697年暮れにベンガルに到着した。アルメニア商人はこの地で売った綿花で、モスリンその他の服地1200枚、黒砂糖1400袋、生糸84梱、アヘン80箱、その他、鉄や硝石を仕入れた。彼らはフランス東インド会社総督フランソワ・マルタン(François Martin)に安全な通行を願い出た。要請は聞き届けられ、船は再びインドの先端を回って帰途に就いた。
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