和訳の由来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 21:24 UTC 版)
日本における洋式簿記の導入は、1873年(明治6年)の福澤諭吉・加藤斌・大蔵省による洋式簿記書の刊行を嚆矢とするが、1874年(明治7年)以前の英語辞書では Bookkeeping の訳は多くの場合「帳面算用を主ること」とされ、「簿記」の訳語はまだ使用されていなかった。 西洋式簿記導入以前の日本固有の帳簿記入は「帳合(ちょうあい)」と称されており、福澤諭吉はこれを踏まえて訳語に「帳合」を充て、 "Bryant & Stratton's Common School Book-keeping" を翻訳し『帳合の法』を著したが、後に福澤全集緒言において「ブックキーピングを帳合と訳して、簿記の字を用ひざりしは、余り俗に過ぎたる故か、今日世に行はるるを見ず」と述べている。 一方、『商家必用』は「記簿法」という語を簿記書として最初に使用したものであるが、記簿法という語自体は明治5年8月の文部省学制において既に使用されていた。また文部省は小・中学校の教科書として1875年(明治8年)に日本初の学校用簿記教科書『馬耳蘇氏記簿法』を、1876年(明治9年)に『馬耳蘇氏複式記簿法』を刊行するなど、「記簿法」の語は文部省を中心に広く用いられた。 『銀行簿記精法』は大蔵省に招かれたスコットランド人アラン・シャンド (Alexander Allan Shand) の原著を大蔵省が翻訳・校正した日本初の複式簿記書で、1872年(明治5年)8月に公布・11月に施行された国立銀行条例に基いて設立された国立第一銀行など150行ほどの銀行が、統一的な銀行簿記を行わせる目的で編集されたものである。同条例第24条には「銀行簿記」とあり、これが書名『銀行簿記精法』に採り入れられた。明治初期、諸官庁では「帳簿に書きしるす」という広い意味で「簿記」の語が既に常用語として使われていた。これは、1869年(明治2年)の集議院建白取扱規則に「…姓名月日を簿記すべきこと」とあるのが最初の用例とされる。以降、次第に今日の簿記の意味に限定されて大蔵省の組織名(例: 簿記課)や通則などで使用されるようになり、前述の国立銀行条例でも用いられることとなった。『銀行簿記精法』は銀行簿記のバイブル的存在として国立銀行のみならず普通銀行にまで幅広く適用され、その後刊行された『銀行簿記例題』『銀行簿記用法』などと共に実業界にも広く普及した。 このように Bookkeeping の訳語としては、初め明治6年に「帳合」「記簿」「簿記」などが充てられた簿記書が刊行されたが、「帳合」は1879年(明治12年)・1880年(明治13年)ごろ、「記簿」は1882年(明治15年)・1883年(明治16年)以後標題には見られなくなり、明治20年には簿記書の標題に「簿記」の語を使用することが一般的となっていった。 なお、Bookkeeping(ブックキーピング)を「ブッキー」や「ボッキー」と略し、それが「ブキ」「ボキ」となり、漢字を充て「簿記」の語源となったとする説について、簿記史研究者・日大商学部教授の西川孝治郎は論文『簿記の語源について』(1964年)の中で「茶話に過ぎないことは明らかである」と述べ、退けている。
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