同盟市戦争
同盟市戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 09:43 UTC 版)
「ルキウス・コルネリウス・スッラ」の記事における「同盟市戦争」の解説
詳細は「同盟市戦争」を参照 この戦争でマリウスは体調面の不調から、総指揮官の職を他者に譲らざるを得なかった。対照的にスッラはこの戦争で大いに名を揚げることになる。 スッラは自分が必要とする場合は媚びるが、逆に必要とされた場合は尊大で、その二つの性質が混在していた。ささいな失敗で死刑にするかと思えば、重大な失敗には寛容だった。後の復讐心に満ちたスッラからすれば、この時期は兵を掌握するため寛容に振る舞っていたとも考えられる。兵たちの奮起を期待して将軍を処罰するなど先を見据えており、ミトリダテス6世戦を狙って兵をかわいがった。 紀元前90年からの同盟市戦争ではクラッススの父プブリウスらと共に執政官ルキウス・カエサルの下でレガトゥスを務めた。一方マリウスはポンペイウスの父ストラボらと共にもう一人の執政官プブリウス・ルプスのレガトゥスとなった。ルキウス・カエサルはサムニウムと戦ったが苦戦し、ノラやアエセルニアを奪われたものの後に巻き返した。プブリウス・ルプスはマルシ人との戦いで命を落としたが、マリウスは敵の指揮官を倒すなど活躍した。アエセルニア付近で不意打ちを食らったスッラは、和平交渉を行ったものの合意には至らなかった。しかしこの休戦で敵が油断していることを見抜き、ラッパ吹きを偽装に残して撤退した逸話が残っている。アケッラエではスッラとマリウスが共同してマルシ人と戦い勝利しているが、マルシ人は非常に好戦的な民族で、彼らに勝利して凱旋式を挙げたのはこの一度だけであったという。 翌紀元前89年4月30日、スッラはスタビアエ(現カステッランマーレ・ディ・スタービア近郊)の街を破壊している。スッラがノラの近郊にあったサムニウムの要塞を攻撃する前に神々に生け贄を捧げていると、祭壇の下から蛇が出てきた。これを見た占い師はスッラにすぐに攻撃するよう助言したといい、これを占領している。また、ポンペイの将軍を打ち破り、ノラに逃げ込む敵を2万人以上を殺害すると、更にヒルピニ族の街アエクラヌム(現ミラベッラ・エクラーノ近郊)を策略で陥落させ略奪し、ヒルピニ族を降伏させた。他にもサムニウムの将軍を打ち破りボウァヌムといった街を陥落させている。 ルキウス・カエサルの提出したユリウス市民権法(Lex Iulia de civitate latinis et sociis danda)による政治的解決で、内戦が形式的には終結すると、スッラは執政官(コンスル)に選出された。この戦争でスッラの名声は響き渡り、将軍としての勇気と実力も執政官となるに十分と見なされたという
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