口承
![]() | この記事のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。(2025年1月) |

口承(こうしょう、英: oral tradition)は、歌いついだり、語りついだりして、口から口へと伝えること、あるいは伝えられたもの。
口頭での伝承(口頭伝承)・口伝(くでん)、口伝え(くちづたえ)での伝承(口伝伝承)ともいう。
口承のうち、限られた選ばれた者だけに、伝承することを口秘という。
口承の内容が石碑に刻まれたもののように永くから変わらず伝わっている、という意味で口碑ともいう。
概要
口承または口伝えの文化は、文字体系のない文明において、人から人もしくは世代を超えての情報伝達の手段であったが、その一方では芸能としての側面も存在し、文字体系が確立されてからも、口承は世界各地で今日も行われている。こういった活動はヒトが人間(社会を形成するヒト)として言葉を獲得して以降に自然発生的に見出されるもので、それに関する文化・記録は洋の東西・古今を問わず見出され、普遍的である。
情報を伝える行為のひとつであり、文字文化以前に情報を保持する役割を果たしてきたものでは、舞や踊りのほか儀式など身体を使う様式化した所作、壁画といった図画を用いるもの、意味のある文様を織り込んだ布や結縄などがある。
書き留められる前に口承文学とオーラル・ヒストリー(口述された歴史)とが組み合わされた代表的な例として、前8世紀の古代ギリシアの詩人ホメロスの叙事詩『イリアス』(イーリアス)・『オデュッセイア』(オデュッセイアー)がある。
伝承されるもの
その内容は社会や文明が確立される以前のものが多く含まれ、貴重な民俗資料として研究されることが多い。
神話や歴史や文芸もしくは法などから、生活の術や生活環境情報や知識や知恵。説話(昔話・伝説・世間話)、俗曲・俗謡・民謡、民俗語彙、ことわざ・謎、諺詩・俚諺など多岐にわたる。
研究史
研究分野としての口承は、オスマン帝国治下のセルビアの学者で、グリム兄弟の同時代人ヴーク・カラジッチ(1787-1864)の学績にその起源がもとめられる。カラジッチはグリム兄弟同様「伝承を救う」として、ロマンティックな、また民族主義的な関心のもと、のちにユーゴスラビアに集められた南スラヴ諸地域の同族の伝承の研究を進めた。しばらくして、ただし同じ学術的な動機から、テュルク学者のワシリー・ラドロフ(Vasily Radlov、1837-1918)は、のちにソヴィエト連邦領となるカラキルギスの歌を研究した。
参考文献
![]() | 出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。 |
関連項目
口碑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 04:57 UTC 版)
高知県の各地に白鳳地震の地変や津波に関する口碑が伝わる。しかし、その多くが後世の宝永地震後から明治時代にかけて書き記されたもので、「五十余万頃」という膨大な数字に驚いて誤解したと思われ、大言壮語や信頼し難いものも少なくない。白鳳地震により陥没して土佐湾が生じたと解釈するのは誤りとされる。 「白鳳地震陥没の地面は、東の方室戸岬より西の方足摺岬に達する一大地積にして黒田、黒土、上鴨、下鴨の四郡に分石高二十六万石程の地なり」。黒田、黒土、上鴨、下鴨の四郡は黒田郡あるいは黒田郷と呼ばれる。「陥没の音が京都まで聞こえた」。 「昔、大良千軒、小田千軒などといえる繁栄の市あり、白鳳地震の時陥没して今海底に帰せり。」(高岡郡、吾川郡南部海浜に残る言い伝え) 「昔白鳳の前、須崎の海上に大坊千軒と称する繁栄の浦あり一日漁人其浦にて奇異なる人魚を獲たりしが浦中の一少女がこれを舐ぶりしに成長し極めて長寿を享け諸国を遍歴し若狭の国に留まり八百歳の齢に達し為に八百比丘尼の名を獲しが後に土佐にかへり産土神なる鴨社に石塔を寄進せり大坊の浦の大震の時海底に帰せしが鴨社の石塔は今に現存せり」(高岡郡多之郷村) 「高知市街の入口なる浦戸港の北方を孕(はらみ)という。距離六、七町の小海峡をなす。白鳳大変の時、大浪南方より打寄せ、この山脈を蹴破りて小海峡をなせしが、当時その打欠ぎたる山の一部をば、なお浦勢にて北に押流し、孕より二十丁程北方に坐らしめたり。これ今日の比島なり。」
※この「口碑」の解説は、「白鳳地震」の解説の一部です。
「口碑」を含む「白鳳地震」の記事については、「白鳳地震」の概要を参照ください。
「口碑」の例文・使い方・用例・文例
- >> 「口碑」を含む用語の索引
- 口碑のページへのリンク