取り口
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リーチを生かした突っ張りから右を差して左おっつけから上手を引く相撲が北尾の型で、相手によっては頭をつけることも厭わず、寄り、上手投げ、掬い投げを得意とした 。ほぼ2メートルの長身でありながら腰高や脇甘は顕著でなく、番付を上げるにつれ腰高や脇甘を招く諸手突きはめっきり減った。機敏さもある程度持ち合わせていた。がっぷりに組めば、当時の第一人者であった横綱・千代の富士をも苦しめることがあり、外四つになって肩から覆いかぶさる相撲や喉輪でも力を発揮した。 左の上手を欲しがるあまり、左に変わる癖があり、1986年5月場所の千代の富士との相星決戦ではこの変化を読まれて黒星を喫し、初優勝を逃している。しかし翌7月場所の千代の富士戦(本割)では、左へ変わりながら執念で左上手をつかみ、上手を切られてもさがりをつかみながら執念で左をさぐり、とると親指をがっちりと入れた。この執念が本割での勝ちにつながった。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/27 06:46 UTC 版)
前捌きのうまさから、右前ミツ、左ハズ、または右差し一気の寄りが持ち味であった。さらには巻き落としや蹴返しなども得意の、速攻相撲の技能派だった。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 10:01 UTC 版)
得意技は左四つ・寄り。新十両昇進時の報道によると、スピードと腰の重さを活かした取り口を磨いていたという。上手からも下手からも投げを打てる面もあるが、抱えたり掬ったりすることは少ない。 2019年9月場所11日目の石浦戦で見せたような腹を出して差しながらの右のおっつけは荒磯(元横綱・稀勢の里)から「基本の相撲ではないが稽古した人間にしか分からない相撲」と評された。 四つ相撲の取り手だがツラ相撲の傾向があり、2019年1月場所などは初日から2連敗、3日目から6連勝、9日目から5連敗、14日目から残りを2連勝と、白星か黒星が必ず連続していた。 立合いでは相手に先に手を付かせてから自分が手を付く。相手が横綱でもそれは変わらず、2019年11月場所6日目の白鵬戦でも白鵬に先に手を付かせた。これに関して18代藤島は「上位とやるときは若い明生が先に仕切って待つのが普通。礼儀として、弁えてもらいたい」と批判した。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 10:03 UTC 版)
押し相撲が持ち味であり、関取昇進後は稽古と食事で体格と持久力を向上させた。一方、下から突き上げられて前に出られると、残り腰がないタイプである。 2020年3月場所は力のある突き押し、右を差して素早く寄る相撲も目立ったが、2020年5月に本人が語ったところによると「自分の相撲をつかみ始めたのは出稽古を積極的にするようになった3、4年前くらいからです」とのこと。 怪我に強い力士であるのも特徴であり、場所中でも痛そうだと整体師の母に判断されたら母がすぐ治療しに行くため、大きな怪我に発展しづらい。 貴景勝が部屋に移籍して以降は彼との稽古で強くなった。2020年9月場所4日目の大栄翔戦では相手の押しをいなして下から押す相撲で勝利し、藤島から「地力がついているということだ」と評された。 2021年1月場所前に舞の海は自身のコラムで「右を差して出ると勝ったようなものであるという安定感があるが、激しい相撲、横からの攻めには弱い」という内容の指摘をしていた。 2021年3月場所中、北の富士は肩幅を活かした右四つの相撲を評価した一方で、押し相撲に徹するべきだと話した。 2022年5月場所中、花田虎上は自身のコラムで、それより数場所前は頭から行って右を差すという1つの動作しかなかったのが、この場所では突っ張ってみたり差した右は下手を取って投げを打つなど攻撃のバリエーションを増やしたと評している。また、場所前に課題に挙げていた出足もこの場所では速さが目立った。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 21:29 UTC 版)
2019年には立合いの当たりを強化して右四つの相撲を取りたいと述べていた。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 07:14 UTC 版)
入門前のレスリング経験を活かし、立ち合い直後に相手の懐に潜り込んで狙うような足取りで勝利することが多く、特に2017年は年間25勝のうちほぼ半分に充当する12勝が足取りであった。足取り以外の決まり手とされた白星でも、勝利する過程で足取りの体勢になることもしばしばである。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 17:55 UTC 版)
全盛期は立合いの馬力と突き押しを武器に、三役、幕内上位に定着して活躍。魁皇、武双山とともに御三家と称され、大関候補と目された時期もあった。全盛期の立合いの馬力は幕内で一二を争う威力を誇り、立合いでの頭からの強烈な当たりから突き押しに転じ、再度頭からぶちかます取り口である。しかし、腰高で上半身に比べ下半身が脆く、はたきや引き技に屈して前に落ちる悪癖によって負けるケースも多かった。土俵際まで追い詰めておきながら、捨て身の叩きや突き落としに屈することもしばしば見受けられた。ベテランの域に入ってからは馬力・足腰の衰えが顕著で、自分より軽い相手でも容易に押せない展開になることが増えたり自らが引き技に出る展開が増えた。副次的な手段として右四つで相撲を取ったり、頭を付けて食い下がる事もあったが、基本的には愚直に押す相撲を貫いていた。 入幕当初は均整の取れた体つきであり動き勝つ相撲が多かったが、2年ほど経過した頃には20kg増量して足腰に対して上半身の大きさが目立つようになり、筋力は増したが突き押しか叩きという大味な相撲に傾いた。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 08:30 UTC 版)
左を差してから体格を生かして寄るのが矢後の相撲。しかし、2019年1月場所では右四つ力士に十分の体勢を許しがちであった。また、2019年3月場所前の相撲誌の記事では花田虎上から顎が上がる癖と腰高を指摘されている。2019年5月場所9日目の石浦戦などは相手をよく見て突いたのにもかかわらず、腰高を突かれる形で潜られて負けている。考え込み過ぎて本来の相撲が取れないのも弱点。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 06:41 UTC 版)
右四つを得意とするが左四つでも十分取れる。立合いは主に鋭く踏み込み、右でカチあげて素早く右を差し込んで左上手を狙う取り口が主体である。体質が極めて柔軟で、腰が重く、摺り足も良く、全盛期は193cmと現代でも大柄な部類に入る力士ながら常に低い体勢で腰が割れている。上手投げと寄り身が武器である。柔軟な体質を活かして「横綱相撲」が出来る力士である。しかし幕内に上がってきた頃の取り口は、前に攻めるよりも投げや引き技で安易に勝負を決めてしまう傾向があった。そのような中でも立合いから左前褌を狙って踏み込む相撲には光るものがあり、しだいにその形が身についていった。 白鵬と言えば左前褌というほど取り口が玄人筋には定着しており、NHKアナウンサーの三瓶宏志は「白鵬は左前褌を取るというパターンがあるから実況しやすい」という趣旨のコメントを雑誌に残している。ただ大関時代に研究されて立合いに左前褌が取れなくなり、綱取りを逃したこともあって、両差しなど他の型の相撲も見せるようになった。得意の右四つは2011年をピークとしており、右を差し込むだけで相手が棒立ちになるような力強さも出ていた。 同じ平成の大横綱として貴乃花とよく比べられる事があるが、それぞれと取組をした経験のある力士は「白鵬はどんどん白鵬の有利な形にしていく強さがあり、貴乃花はこちらが何をしようとしてもそれを殺してくる強さがあった」「白鵬は思いっきり首を絞めてくるような強さ、貴乃花はジワジワと締めてくるような強さだった」と語っている。また、15代浅香山(元大関・魁皇)は歴代の対戦力士で一番強かったと思うのは誰かというインタビューに対し、「タイプは全然違うけど、全盛期の貴乃花と白鵬」と答えていた。 2012年以降は稽古不足や加齢などから衰えが見られ、前捌きや反応の良さに頼る相撲が増え、元々それなりにできた突き押しの比率も増えている。代わりに左前褌を取ってそのまま走る相撲は減っており、右四つになっても勝てない場面が増えた。とったりも時折見せるがこれは白鵬にとって良い相撲ではなく、緒方喜治も2014年3月場所前の相撲雑誌において「悪い癖」と言い切っていた。また、同時期、北の富士はすぐカッとなる土俵態度を指して「威嚇しながら、強さを誇示しているのかもしれない」と分析していた。 懇意にしていた大鵬が死去して以降、白鵬に意見することができる者がいなくなったためか、右ひじをサポーターで厚く巻いた上での荒々しいかち上げや張り手が増えていった(遅くとも2018年になると、相撲雑誌ですらエルボーと指摘して非難するほど)。杉山邦博は脇が空くというかち上げの短所を指摘しており、そのようなことから「食らう相手が勉強不足」と話している。 2017年3月場所後の座談会では20代錣山(元関脇・寺尾)から「また昔の白鵬の相撲を思い出して取れれば、また勝てると思っています。さばいて勝つから後手、後手に回るのです」とコメントされている。全勝優勝で終えた2017年5月場所について場所後の座談会で16代振分(元小結・高見盛)と12代阿武松(元関脇・益荒雄)が語った内容をまとめると「バタバタしている部分はあるが、相手によって相撲を変えたり、かち上げや突っ張りで相手を近づけさせなかったりする」という風になる。それでも2017年7月場所13日目の高安戦ではのど輪や突き押しで攻め最後は厳しい右のおっつけで土俵上に押し倒す相撲が見られ、ある元横綱は「馬力の高安に馬力勝ちして見せたのには驚いたよ。(若手に)はたいたり引いたりしたのは横綱相撲ではないという声もあるみたいだが、力の差があるからできるんだ」とあきれたように感心した。 四股やすり足など、徹底した基礎運動へのこだわりと柔軟な体質によって怪我は少なかった が、2012年頃から衰えにより細かい怪我は増えた。2015年ごろから横綱として休場する場面がみられるようになり、2017年3月場所前には「無理をするとどこかを痛めるようになってきた」と怪我について自覚するコメントを残している。 2017年11月場所は15番中10番以上が張り手、かち上げを絡めた相撲であり、横綱審議委員会から「これは横綱相撲とは言えない、美しくない」と批判を受けた。一方花田虎上は、「張り差しやかち上げをやると脇が空くから簡単に相手が勝てるようになるのであって、それで勝てないのであれば相手が悪い」という趣旨の持論を展開した。2018年3月場所前の14代二子山のコラムによると、基本的に怪我の影響がなければ、簡単に叩きを食う力士ではないという。2019年1月場所あたりになると相手も弱体化した白鵬の前では雰囲気に飲まれることも無くなっており、2019年3月場所前の相撲雑誌のコラムで舞の海がこれを指摘していた。 勝負勘、体の柔らかさはベテランの域になっても健在で、2019年3月場所中日の栃煌山戦では背中を見せた状態から小手投げで勝つという形でそれらを発揮している。 2019新型コロナウイルス感染拡大の影響が依然強かった2020年7月場所では「今場所は稽古の制約があって、どの力士も稽古不足気味。そんな状況では経験豊富な白鵬が有利かもしれない」と評された。 花田虎上からは2021年1月場所前のコラムで「休場制度をうまく利用している印象」と言われており、2020年11月場所前の合同稽古で正代を圧倒しながら出場を見送ったことが根拠に挙げられている。一方、2020年10月の合同稽古で正代と三番稽古を行い19勝1敗、貴景勝と取って13勝2敗と圧勝したことなどから、体調さえ戻ればまだまだ現役を続ける可能性があることを示した。同時に、白鵬に歯が立たない大関陣を指して大相撲のレベルダウンを嘆く声もある。 2021年3月場所は、右膝の悪化の影響で右膝を曲げることがままならなくなり、立合いは普段のように右膝を曲げて左足から出るのではなく左膝を曲げて右足から出ていた。 2021年7月場所14日目の正代戦では諸差し警戒で徳俵で構えて立合い張り手を放ち、この相撲に北の富士は「私は、今までは白鵬の理解者と自負してきたが、この日を限りでやめることにした」と愛想を尽かせた。館内からも仕切り前の段階でどよめきが起こり、実況の藤井康生アナウンサーも土俵後方へ下がった白鵬の動きに「どうしたんですか?え?どよめきが起きる。こんなのは横綱白鵬の21年の土俵で初めて見ます」と声を上げたほどであった。この場所千秋楽結びの一番の照ノ富士戦で激しいかち上げを放って白星を収めた際は、この取組があった2021年7月18日におけるTwitterに「エルボー」「かち上げ」がトレンド入りする事態となった。 12代芝田山(第62代横綱・大乃国)は、同年8月11日に毎日新聞に掲載のコラムで7月場所14日目の正代戦と千秋楽の照ノ富士戦に言及した。「五穀豊穣を願う神事から生まれた大相撲は本来、力士同士がぶつかり合い、自らの力と技を尽くして攻防を展開するものだ。白鵬の仕切りは、相撲の醍醐味を放棄するようなものに感じた」と述べている。千秋楽の照ノ富士戦で見せた肘打ちとガッツポーズなどの振る舞いに「いずれは後進の指導に当たるのだろうが、長く日本の伝統と文化を伝承してきた大相撲を変えてしまってはならない。もちろん勝つことは大事だが、礼に始まり礼に終わる精神にはほど遠い気がする」と将来の相撲界に与える悪影響を憂慮している。 批判を受け続けた荒々しい相撲は白鵬本人が自分の頭で何を為すべきか考えた上での振る舞いであったといい、怪我に苦しんだ中で「鬼になって、勝ちにいくこと」を覚悟し、それを自分の考える「横綱相撲」として貫いた結果であるという。普段は「仏」と評されるほど温和な白鵬を知る者にとって、これは本心とは思えないほど意外な考えであった。
※この「取り口」の解説は、「白鵬翔」の解説の一部です。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 05:52 UTC 版)
突き押しを得意とする一方で、足癖や動き勝つ相撲も見せる。三役昇進後の相撲は、叔父譲りの組んで良し、離れて良しの万能型である。一方、突き押し力士に対しては組めないと脆く、そのまま突き押しを受けるのが負けパターンである。 新入幕からしばらくした頃までは廻しを取らないと勝ち味が薄く、相撲が大き過ぎることが弱点であった。 2021年5月場所7日目の貴景勝戦で敗れた際、八角理事長から下からの攻めを忘れて安易に上手を取る相撲を指摘され、その様子について「今どきの若い者にありがち」と苦言を呈された。18代錦島も、変化で安易に右上手を狙う相撲を批判した。2022年5月場所5日目の若隆景戦でも、変化で安易に白星を拾った相撲に北の富士から「こんな相撲で勝っても何も得るものはない。これは師匠も厳しく指導するべきです。角界の将来を背負う力士が、今から楽をして勝ってほしくない」と苦言を呈された。 2021年7月場所後のコラムで15代武蔵川は足癖と動く相撲を評価しつつも、体重を増やすことで持久力を付けるべきだと注文を付けた。 2021年11月場所中日のNHK大相撲中継の解説を務めた21代間垣は「『これだ!』っていう型をつくったら、横綱大関は近いのかなと思います」と期待を寄せた。 新三役昇進会見では、入幕時に131kgだった体重が142kgまで増えたことで相手が押せなくなったと実感していると語ったが、師匠は相変わらずこれと云った強力な型の無さを指摘していた。 2022年3月場所後、15代武蔵川から「まだまだ雑な相撲が多いんだけれど、攻める相撲だし、今後、まだまだ伸びるはず。足技を出したり余計な動きが多いから、まずはそれを減らしてみてね」と評された。 稽古熱心な力士であり、2021年12月の報道によると、明生、天空海の関取衆や若い衆相手に連日、30番から40番の稽古をしている。2022年5月場所前の報道によると、多い時で70番取るという。 2022年5月場所7日目の取組後の特別中継でインタビュアーを務めた21代間垣は「鋭い出足はおじさんに似てきたね」と評した。場所後に15代武蔵川は、相手の出方によって取り口を変える半端相撲であったとまとめていた。
※この「取り口」の解説は、「豊昇龍智勝」の解説の一部です。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 02:00 UTC 版)
基本的に突き押しを得意とするがとっさの変化も見られる。藤島は新入幕を迎えた御嶽海を「力が強いというよりも、瞬発力なんです。ほかの力士よりコンマ何秒か速いのです」と評しており、NHK大相撲ジャーナルの編集長である緒方喜治は「藤島親方の若いころを思い出すのではないですか」と感想を漏らしている。阿武松は「いちばんいいのは、膝が常に曲がっていることです。だから体の芯がブレません。叩きも食いにくいのです」と評する一方で「ただ、押し切れないときに差すことがありますが、差してしまうとまだまだ。これからの課題です」と注文を付けている。四つ相撲もある程度取れるがどちらかというと右四つ得意であり、左四つで胸が合うと弱い。 中学生の時にもろ差しになって密着する相撲を取っていたので四つになることもあるが、部屋でも「まわしがないと思って取れ」と押し相撲に徹するように指導されている。あまり稽古熱心でないことでも知られており、2016年11月場所前の座談会では出羽海部屋の部屋付き親方でもある中立からは「入門以来、がっちり稽古をした日はないかもしれない(笑)。何というか、周りに合わせて稽古をしているというか。だから、そのうち、大きな怪我をするんじゃないかな。そこが心配だね。ちょっと痛かったりするとすぐに逃げようとするから」と苦言を呈された。朝日山は2016年11月場所前に押しをベースとしてその流れで廻しを取って攻める相撲を評価しており、今後この相撲をどう取ればよいかについて「具体的に話すと、まずは、丸い体でバンと一発頭から当たります。背中を丸めて、当たる角度も考えます。そして、パンパンパンと弾くような突っ張り、または伸びのある突っ張りで相手をのけぞらします。そして、もう一回しゃがんで中にもぐりこむのです。理想的な形としては嘉風のようなイメージです」と話している。 2017年1月場所中の朝日新聞の記事では御嶽海の指導に当たる中立が、場所4日目に鶴竜を破った相撲を指して「俺らの方がビックリしているよ。場所前のけいこでは、春日野部屋の力士に歯が立たないんだもの。でも、本場所の一番になると力を出す。あいつは『場所相撲』だな」とうなった。おっつけは相撲の流れの中で多用することがあり、2017年3月場所7日目の日馬富士戦では敗れはしたがおっつけで土俵際まで追い詰めた。2017年5月場所前の元黒姫山の論評では、土俵の真ん中で四つになることをせずに土俵際まで押し込んで最後に四つになるケースが増えれば、2ケタ白星も楽に狙えるだろうと言われた。ケガを訴えても直後の場所では平気で土俵に上がるタイプであり、2017年5月場所前の西岩(元関脇・若の里)は「何場所か前でしたけど、場所直前にケガをして自力で立てなかったのに、初日はケロッとしていい相撲を取っていましたからね。御嶽海のケガは信用できません(笑)」と発言しており、同時に「いかにも現代っ子というか、入った部屋が良かったんですね」と感想を述べている。2017年5月場所の相撲を見た尾車は「以前は押し相撲だったが、組んでも相撲が取れるようになった」とこの時点での御嶽海を評している。2017年7月場所前のコラムでは、舞の海が「当たってもろ差しといういい意味での癖がついています。また塩を取りに行く時、厳しい顔つきで肩を回したりしますが、朝青龍や日馬富士のように、自分を乗せていくのが上手いと思います」「御嶽海は、稽古で負けながらも、相手の癖とか強いところをチェックしているのではないでしょうか。御嶽海は稽古場では死んだふりをしているので、それにだまされちゃいけないんですよ(笑)」2017年7月場所後の記事では緒方喜治が、一瞬不利な体勢になっても瞬時に立て直す相撲センスなどを評価している。同時期の座談会では、錣山が「相撲がはっきりしなくてこれだけ勝っているのですから、すごいと思いますね」と感心している。2017年9月場所前の記事では中立(元小結・小城錦)が「決まり手は寄り切りや押し出しになるが、そこに至るまで相手の嫌がる方に、かいなや足を素早く運べる。教えて出来る技ではなく、子どものころから培われた天性の素質」と言っており、八角理事長は「高安には厳しいかち上げを受け、白鵬には張り手を、どんどん受けたらいい。四つになっても勝てるなんて勘違いしたらいけない」ときついコメントを残している。 2018年1月場所の相撲を14代二子山は、貴景勝、阿武咲、北勝富士とまとめて「自分はこれが強いというものがあまりないですね」と指摘している一方で、相撲の臨機応変さを評価している。2019年1月場所後の記事では、県相撲連盟選手強化副部長で、子供の頃の御嶽海を指導した中村協和はもろ差しで巨漢力士の重心を上げる相撲を評価する一方、体重を同時点での170kgよりも増やさないようにと体重管理を訴えた。2018年3月場所前には舞の海から、概して「大兵や怪力の相手には二本差しにして上手を取られる前に出るかどうかが肝心」という論評を受けている。 2019年11月場所中、14代玉ノ井から前屈みになって背中を丸めて前に出ることを忘れ、上体だけで相撲を取っていると指摘された。その場所の負け越しを確定させた際、7代高砂が「頭同士で当たって裂傷を負うなど相撲には付きもの。そんなことを嫌がって、こわごわと取っていては大関になどなれない」と一刀両断している。14日目の白鵬戦の完敗について、荒磯は「今のままでは大関は厳しいと言わざるを得ません。考えてもダメであれば体をつくって稽古をするしかありません。彼の強さ、うまさ、才能も知っているだけに、あえて厳しく言いますが、本当に残念です」とコメントしている。11月場所後、15代武蔵川は張られないように顔を上げず顎を引くべきだと指摘している。2020年始に八角理事長も7代高砂同様に2019年11月場所に右目の上を切って意気消沈してしまったことを残念がるコメントをしていた 2019新型コロナウイルス感染拡大防止のため出稽古が禁止されていた中で行われた2020年7月場所は好調であったが、その要因として「普段から稽古熱心な力士ではないだけに、逆に幕下との稽古で疲れが残らず、場所が進むにしたがって調子が上がっていくのではないか」と分析された。突き起こして前に出て押し込む相撲が取れないまま差されると脆く、同場所9日目の霧馬山戦での黒星はその一例である。 2021年5月場所中、北の富士勝昭から安易な変化、場所の勝ち越しが濃厚な状況での投げやりな相撲を非難された。 調子の良い場所では頭から当たる立合いが冴え渡り、2021年9月場所6日目の琴ノ若戦はその好例である。2021年9月場所中、花田虎上のコラムで「懐に入った相撲は本当に強い」と評された。 精神面の甘さが弱点の1つであり、2021年9月場所7日目の逸ノ城戦で敗れた際に八角理事長は「気持ちがこもっていなかった。精神的に甘いところがあるから、こういう相撲になる。15日間、気持ちをこめて、いい立ち合いをするには場所前の稽古で、ちゃんとやらないと難しい。普段の稽古が、こういうところでモノをいう」と残念そうなコメントを並べた。 2021年11月場所中、花田虎上は足がしっかりと出る立合いとやはり得意の下からのおっつけで起こす相撲を評価した。そして、2桁白星を挙げてから稽古場で力を抜かないことを3場所続ければ大関になると助言した。一方この場所12日目の遠藤戦を北の富士は、前捌きの応酬で左差しを封じられて自ら土俵外に足を出したと、諦めが早すぎると指摘した。 2021年は押しの決まり手で28勝(押し出し27勝、押し倒し1勝)を挙げたが、これは2021年の幕内で1位の記録で、自身が2021年に幕内で挙げた55勝の約半分を占める。御嶽海が押しに拘るのには、取組時間を短くする、突き指などの四つ相撲を取ることによる怪我のリスクを低下させる、といった本人の狙いがある。 2022年5月場所直前に北の富士は3月場所の相撲について「相変わらず下位力士に取りこぼす相撲が多すぎます。それさえ注意をしたなら優勝はさほど難しいとは思いません」と評していた。しかし5月場所2日目の豊昇龍戦で一気の出足からの押し出しに完敗した際は「それにしても、御嶽海は実に下位力士によく負ける。これでは、横綱はとても望めそうにない」と酷評された。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 22:01 UTC 版)
入門当初は100㎏に満たなかった体格に合わせ、投げや足技などを駆使した相撲ぶりを特徴としていた。十両時代や取的時代には前述のとおり足技や八艘飛びなどの多彩な技を駆使した。入幕したころからは正攻法の立合いが多くなり、2017年3月場所中一度も立合い変化をしなかったことなどはその好例である。2017年1月場所前の座談会ではお笑い芸人のチロが「舞の海さんとはタイプが違いますね」と感想を述べており「当たって左に動くことはあっても、立合いでいきなり変化することはないですからね。あの体で立派ですよ」と評価している。だがその正攻法の相撲から体重の影響が大きく出ることがあり、2017年3月場所には初土俵以来初となる2場所連続での負け越しを喫するなど苦難を経験している。ウエイトトレーニングなどで鍛えた筋肉が評価されることがあるが、父は寧ろ機敏な動きを評価しており、本人もテレビのインタビューで巨体の力士を相手にすることに関して「あれはでかいだけだと思うことにしている」などと自分の機動力に自信を持っているかのような発言をしたことがある。父はまた、舞の海と石浦はかなり違うタイプの力士同士であるとしており、父は自著で「日本相撲協会の力士データによれば、舞の海の決まり手は、下手投げ38%、送り出し14%、その他36%でした。これに対して石浦の決まり手は、押し出し19%、寄り切り17%、送り出し13%、その他51%になっています(2017年3月場所終了時点での、過去6場所の取組結果に基づいて算出したもの)。(中略)このように石浦は、まだ舞の海ほど多彩な技を知らないという面もあるでしょうが、意外に寄り切り、押し出しなどの正攻法の攻めが多いという特徴があります。石浦が幕内最軽量の小兵ながら、2016年11月場所で10連勝し、敢闘賞までもらえたのは、動きのよさに加えて、正面からの正攻法を心掛けていたからだと思います」と解説している。2017年5月場所6日目の妙義龍戦では、ロケットのように突っ込んで体格で勝る突き押し力士の妙義龍を押し出したことが話題になった。石浦に押しの力があることを表わす一番である。現役時代、90㎏の軽量を活かして走るしかなかった父に似たのか相撲が速く、2017年7月場所などは5秒以内で終わった相撲が15番中6番、3秒以内が6番であった。十両昇進以降は大勝ちも大負けもしない波の少ない成績を残すのが特徴で、新十両から新入幕までの10場所は一度も二桁の勝ち負けは無かった。2017年9月場所で大敗を喫した原因として、同年11月場所前のコラムで舞の海は余計に動いてバタバタし、上手を引き付けて以降足を土俵から離してその瞬間に吊られるなど自滅が目立ったという趣旨の論評をしている。最近ではかつての機動力を生かした取り口も加えながら、三役定着を目標としている。貴闘力忠茂は自身のYouTubeチャンネルで、筋肉質だが下半身に全く力が入っておらず腰が非常に軽いと指摘していた。
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取り口
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鋭く当たってから突っ張りと身のこなしを活かすのが千代の海の相撲。押し切れない場合は引きや叩きで仕留め、投げはあまり打たない。取り口は兄弟子の千代の国譲りであり、千代の海の相撲は千代の国との稽古の産物である。
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取り口
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得意技は右前ミツ・投げだが、廻しに拘らずに突き押しで攻める相撲も取れる。巨漢に対しては横に付いてから後ろに回り込むのが主な勝ち筋。身長169cm、体重116kgは共に関取の中で最も小さな炎鵬の次に小さい数字である(2019年7月場所時点)。 ただの技巧派ではなく、幕内昇進前の十両時代には力自慢で知られた大砂嵐に2回吊り出しを決めている。 2019年11月場所13日目の琴恵光戦で突き落としを決めてこの場所の勝ち越しを決めた際には照強は「突き落としはもともと得意。頭の中でイメージできていた」と語っていた。 自身の短躯については2020年1月場所中に「小さくてイヤだなんて思ったことはない。小さいと、相手がイヤでしょう。190センチあったら逆に相撲取れないッスよ」と武器として前向きに受け入れる発言をしている。 2020年7月場所前時点では夏場所と相性が良いとされており、2019年には幕内で12勝3敗を記録して敢闘賞を獲得した。同時期に「僕は結構、夏が好きなのでみんなへたるときに自分の体力で頑張れたらと思います」とコメントしていた。 2020年7月場所14日目の朝乃山戦で足取りにより白星を挙げたが、これは当時付け人であった錦富士と共に前日の夜に立てた作戦を実行した上での結果であった。照強はこの取組を終えて「照ノ富士関が負けたんで、もう1度単独首位に立たせてやろうと。それが実現できてよかった」と優勝争いに挑んでいた部屋の元大関を思うコメントを残した。 2021年9月場所初日の隠岐の海戦では立合いで足を目掛けて飛び込み、足取りを狙ったが隠岐の海が怖がらずに冷静に対処したため失敗(寄り切りで黒星)。ABEMA大相撲中継解説を務めた花田虎上も「あれは何という立ち合いなんですかね?」と驚く場面があった。 2021年9月場所2日目の宇良戦では、激しい張り手の連続で宇良が大量の鼻血を流していた(取組は叩き込みで照強の白星)。 2022年7月場所9日目の大奄美戦では、大奄美の怪我をしていた左足を狙って足取りを行い、白星を獲得。これにはABEMA大相撲中継解説の旭道山も勝負の厳しさに徹しているとして理解を示した。 十両から幕内へと上がるころから足取りを覚えたが、2022年7月場所などは多用し過ぎて13日目の王鵬戦で露骨に足を取りに行ったところを狙われる(取組は上手出し投げで黒星)など覚えられてしまった。
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取り口
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子供の頃は突き押しを得意としていたが、大学に入学してから四つになることが段々多くなった。柔軟な下半身と相撲の基礎に支えられた四つ相撲を得意とする。重心の低さや、当たりの角度、上手の位置が絶妙であると評されている。土俵際での器用な足さばきで逆転を狙う技術もある。大至伸行は2014年3月場所前の座談会で「立合いも腰から出る」と下半身の強さを評価している。一方で、廻しが取れないと苦戦を強いられる傾向があり、強い立合いの当たりを受けると多くの場合は一気に土俵外へ出される。「圧力をもっとつけて、自分から攻めていかないと大ケガにつながる。」と受け身の相撲の弊害を指摘する声もあり、本人もこれについて「当たってからいなされたり、はたかれたりすることを気にしないことが大事。」と自覚している。2016年の文献では北の富士が「あれの偉いのは、真っ向勝負で行くから。立合いに変化しないしね。その辺が人気があるんじゃないですかね」と評している。精神面に関しては、角界入りする前に田中英壽は「最近の子供には甘さがあります。遠藤も精神的な弱さがあって、大事な大会では負けていました」と前置きしつつも、大学3年生の頃の怪我を経験したことについて「振り返ると、それが成長につながり、プロでも対応できる根性がつきました」と気持ちの部分での成長を褒めた。柔軟性に頼った受けの相撲を取るため2015年から右足を中心として足腰のけがに悩まされるようになったが、2016年の後半あたりから足腰の状態が良くなった。2016年11月場所7日目の鶴竜戦は突き落としで敗れたが、勝った鶴竜が「いい当たりをしてきたので変わったな、と思った。前は頭で突っ込んでくることはなかった」と成長ぶりを認めている。 2017年3月場所前の座談会では竹縄(元関脇・栃乃洋)が「遠藤は九州場所あたりから相撲に重みが出てきた」と評しており、甲山(元幕内・大碇)も「体もひと回り大きくなって、いよいよ三役も近い印象です」と話している。それほど力強さがあるわけではなく、舞の海は「遠藤の相撲は分かりやすいですね。馬力のある人には土俵際も残せない。そうでない人には組み止めて勝つ」と思うところを述べている一方で「後は患部がどこまで回復するかです。相撲は直すところが全くない」とその相撲の完成度に触れている。2017年5月場所11日目に嘉風を破った際、嘉風は「ああ疲れた。遠藤は左を差したらうまい。攻めたようだが、攻めさせられた」と遠藤の取り口について触れている。大兵を相手には下からの攻めが冴え、2017年5月場所初日に照ノ富士を破った際には「相手が大きいので、臆せず下から攻められた」と自身の取り口について示唆している。2017年7月場所後の武蔵川のコラムでは、立合いも流れも遅く、然して大きくない体で胸から当たる点を指摘され、頭から当たるなど相撲自体を変えていくように助言された。武蔵川は2017年9月場所後になると「年齢的にもまだまだ一皮むけところだし、それには出稽古に行ってボコボコにしてもらってこないといけない」とさらに稽古を積むよう相撲誌の記事で助言した。2017年11月場所前の座談会で舞の海は、遠藤は相変わらず馬力のある力士には弱くて組み止められないと指摘しており、以前他の識者が指摘したように立合いの強化をするように言っている。 2018年9月場所前の記事では花田虎上が「ちょっと体が弱いのかな。どういった稽古、トレーニングをしているのかは分かりませんが、体幹を鍛えるのがいいのでは」という助言をしていた。同時期、舞の海からは「組んだ時の上手さを知っている力士達の張り差しや張り手などは研究するべきだ」という趣旨の論評を出されている。2018年1月場所終了時点では上位総当たりに近い場所を7場所経験している中で絶不調だった1場所を除くと、対横綱の勝率は20%とそれほどでもないが、対小結関脇の勝率は43%、そして対大関の勝率は56%。しかし上位総当たりに近かったその6場所で、対平幕の勝率は49%。相撲ライターの西尾克洋によると、「取りこぼしが多いというよりも自身の懸賞金の多さが相手のモチベーションを上げてしまうために相手に会心の相撲を取られてしまう」とのこと。 2019年頃になると、突き押し力士に対して叩きで上手く対抗することができるようになった(2019年1月場所9日目の阿武咲戦など)。土俵を割るとすぐに力を抜く悪癖があり、これに関しては2019年3月場所前の相撲雑誌のコラムで花田虎上からも「目についた」と酷評されている。同記事で花田からは「土俵下に落ちたらしっかりと受け身を取らないと、自分がけがをするだけではなく、お客さんも巻き込まれてけがをしてしまいます」と注意されている。2019年3月場所中の12代阿武松の談話によると、左右の動きに気を付けながら出るので押し相撲相手には力負けさえしなければ安定して相撲を取れるという。2019年頃には勝負勘の良さで評価されるようになり、同年5月場所中日の栃ノ心戦では一瞬の隙を突いて左からひねり、右前みつから出し投げを打って白星を収めた(決まり手は上手出し投げ。)これには北の富士も自身の論評で「やはり遠藤はただのイケ面力士だけではなかった。あの出し投げは、なかなか真似のできるものではない。お見事の一言」と唸った。 2020年1月場所中日の炎鵬戦の解説をAbemaTVで務めた花田虎上はその日の取組について、かつて他の識者が受け身の相撲を指摘していたように「受けすぎる」と評価し、さらに「遠藤の相撲は優しすぎる」と感想を述べた。2020年1月場所9日目の阿炎戦では立合いで左に代わってから手繰る相撲を見せており、AbemaTVで解説を務めていた20代錣山は「いつもの遠藤の立ち合いじゃないですね」と普段は変化しない力士であることを示唆していた。15代武蔵川は「“圧”も出てきたね」とその1月場所の相撲を評したが、後半のスタミナ切れも指摘している。スタミナ不足を解消するために場所中も申し合いを積極的に行って体を作ることを15代武蔵川は提案している。安易に引く相手なら突き放して取ることもでき、2021年5月場所10日目には、この場所引く相撲が目立った琴ノ若を突き押しで一気に攻めて押し出しで破った。片足でも踏ん張り、顎を引き、決して手から落ちない残す相撲は、幼少期からうるさく指導されたことによるものである。
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取り口
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突っ張りを主体とした突き押し力士だが、弟弟子の阿炎とは異なり動き回るというより愚直に突っ張って押し込んで土俵外に出すタイプ。精神面が課題であり本場所に弱いため、錣山は何回か座禅に連れて行ったという。 叩き癖がそれまであったが、2018年頃から改善され、それにより十両昇進を掴んだ。
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取り口
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突き押し相撲で関取昇進を掴んだが、十両昇進時点では廻しを取って負ける相撲が多いことが課題。
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取り口
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前述のとおり、多彩な技を武器とする他、正攻法の押し相撲も強い。低い体勢で相撲を取るので魁聖などの腰が高い大兵には「小さ過ぎるよ。下に突っ張る感じで全然効かない。みんなの(嫌がる)気持ちがやっと分かった」とその相撲ぶりを嫌がられている。幕内石浦の父で、逸ノ城や照ノ富士を育てた鳥取城北高校相撲部監督である石浦外喜義は宇良の居反りに関して「あまり勧められない」「首の神経を痛めたら相撲を取れなくなる恐れがある」と評している。2017年7月場所後の座談会では「体重が自分と同じくらいや少し重い力士には差しても押してもいいのですが、大きい力士に対して同じように差します。すべて自分の計算どおり、段取りどおりになったときはすごい相撲になります。これを毎場所、毎場所やっていたら危ないです。どんなに体幹が強くても、自分の倍くらいある力士には差してはだめだと思います。差さない相撲を取らないと体を預けられますから、取り口を改善してほしいですね」と阿武松に注文を付けられている。2017年9月場所前の座談会では舞の海から「常に攻め続けるというよりも、相手の様子をうかがいつつ、待つ時と攻めどきをいろいろ考えながら相撲を取っているのが分かります。敢えて下がって俵を利用して踏ん張ったりとか、弾みをつけて押したり、その辺もよく考えていますね。自分の場合は中に入らなければ相撲になりませんでしたが、宇良は中に入るというよりも離れて押し合いの方が強さを発揮します。ちょっと自分とタイプが違うかなと」と評されている。2017年11月場所前の座談会で舞の海が2017年の力士の傾向について、宇良個人を指しているのではないが「怪我をした瞬間を見ると、変にねじれたり、おかしな方向に曲がったりしているわけではないのに、膝を痛めている。やはり重すぎるのが問題だと思う」と、宇良自身は大柄ではないものの体重過多について警鐘を鳴らしていると同時に、宇良個人については「宇良は体の可動域が広すぎて、どこまでも粘れるのでひやひやします」とその傾向を指摘しており、座談会に同席していた阿武松も「あれだけの相撲を、入門してから取れるようになった力士ですから、攻撃相撲に変えたほうがいいのではないですかね。片足で残って、という相撲はもうやめてもらいたいです。ファンとしては、はらはらします。相撲界の宝だと思っていますから」。作戦面では所作の時点で変更するなど柔軟な姿勢を取っている。2017年9月に左手甲の手術を受けた際は左手の握力が35kgwまで落ちていたが、2018年の時点では稽古とリハビリの甲斐あってそれ以前までの50~60kgwという記録を上回る70kgwを記録。その後、アメリカのアイアンマインド社の「キャプテンズ・オブ・クラッシュ・グリッパーズ」を使用して急激に数値が伸び、2019年2月5日の相撲診療所における握力測定では左右共に100㎏オーバーを計測。膝の怪我を抱えて以降は、かつての変則的な相撲は影を潜め、決まり手に押し出しが大半を占めるようになり、正統派の押し相撲になってきている。2020年7月場所は元々自分の相撲ではない四つ相撲の稽古をして迎えた。この場所の6番相撲で上手投げにより白星を収めた際には「自分は四つ相撲ではないが、そういう流れになった時のため、(練習していたことが)生きてよかった。(取り口の)バリエーションが増えるのはいい」と話した。関取復帰を果たした2020年11月場所では、初日の相撲を見た北の富士から「相撲勘は全然鈍っていない」と復調について触れられた。2021年7月場所12日目の栃ノ心戦では怪力で知られる栃ノ心に力負けしない相撲で白星を収めた。この場所では体重が143㎏まで増え、持ち前の素早さに、相手を引かせる押しの力強さが加わった。14日目の明生戦では、左差しを許しながらがっぷり四つで前褌を取って力勝負で寄り切っている。同じ押し相撲に対して立合いで後手に回ると弱く、2021年9月場所3日目の阿武咲戦はその好例である。決して非力な力士ではなく、2021年9月場所5日目には160㎏の大栄翔を送り吊り出しで破る力相撲を見せている。北の富士が聞いたところによると「握力は計器を振り切るほど強いらしいが、腕力も相当なものだ」とのこと。実際、2021年2月の協会公式YouTubeチャンネルで握力測定した際、100㎏まで測定できる握力計の針が降り切っていた(本人は握力トレーニングの専門家からアドバイスを受けた結果としている)。2021年9月場所10日目の照ノ富士戦では、裏返しの体勢になりながらなおも一枚回しにしがみついて何とか体勢を立て直そうとするしつこさを発揮し、これには北の富士も「恐るべきしぶとさと、勝負に対する執念だろうか」と驚嘆し、同時に「宇良はしぶといのは結構だが、このような誰が見ても挽回不能なことになったら、手は離さなければ相手にけがをさせるかもしれない。力士はこんな相撲を素人相撲と言って一番に嫌うから今後は注意をした方がいい。それは宇良のためでもある」と忠告した。花田虎上も「照ノ富士戦の最後の場面は、まわしから手を離さないといけません」も自身のコラムで注意し、花田自身廻しを離さなかった旭鷲山との一番で右大腿二頭筋を断裂したことを引き合いに出していた。2021年11月場所中に8代尾車は、両膝の怪我を経て筋肉を付けるなどの肉体改造に着手した結果サーカス相撲から馬力相撲に変貌したと評価しており、6日目の高安戦でも動きに重さが加わった足取りで高安を破ったことも8代尾車に触れられている。4日目の翔猿戦で引き落としに敗れた際は、ABEMA大相撲中継の視聴者から受け身の上手さに触れたコメントが続々寄せられた。2022年1月場所中にも北の富士からやはり粘り過ぎる無茶な相撲を指摘された。再入幕以降は肩透かしも武器に加わっている。
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取り口
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右前ミツからの攻め、突き押し、引き技が得意技。相手が安易に真っ直ぐ引いたところを手を伸ばして追尾してそのまま押し切るのが旭大星の勝ちパターン。一方、それほど大柄ではないので負ける時は押し出しで負けることが多く、突き押し力士は苦手な方。また、体重が140kg台に乗った2018年頃からそれほど動きが早い訳ではなくなったため、その影響で石浦などの軽量の力士には動き負けることもある。 2019年頃になると稽古不足なのか体の張りに欠けるようになり、同年5月場所9日目の隆の勝戦のように立合いで先んじても挽回されてそのまま押し負ける相撲も目立つようになった。 柔道の経験もあって、取的時代はちょん掛け・蹴手繰りで白星を多く挙げていたが、関取になって以降は技が拡張し、下手を用いた技による白星は少なくなった。
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取り口
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突き押しが得意だが、引き癖が弱点。筋力が付いて突き押しの馬力が増したことによって十両昇進をつかんだ。十両昇進の際に舞の海から「四つ相撲を覚えてほしい」と期待された。 2021年1月場所の相撲について15代武蔵川は、腹を出し過ぎた高い体勢で当たることと手の力が足りないことを指摘し、ぶつかり稽古のイメージで当たる事、鉄砲の稽古をもっと積むことを勧めた。 新入幕の際に師匠の17代大嶽は「脇の甘さ、腰の高さという欠点があったが直ってきていると思う」と相撲ぶりを評した。 2022年3月場所から手足をしっかりと前に運ぶ稽古を重点的に行い、ランニングと休養を大事にした調整を行った。
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取り口
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短躯肥満の体型を活かした突き押しが持ち味で、立合いのもろ手突きに始まりそのまま突き切るのが貴景勝の勝ち筋とされる。しかし、一方で四つになると全くと言って良いほど相撲にならず、捕まえられるとすぐに寄られるか投げられるかで負けることが非常に多い。大関昇進以降も、四つ相撲での弱さは千代大海をも凌ぐと言われる。後述する御嶽海戦でも慣れないもろ差しの体制から強引に出ていこうとした結果、怪我を負う結果になってしまっている。また、その体型での押し相撲から大関昇進後はスタミナ不足や怪我のリスクを親方衆に指摘されている。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 14:31 UTC 版)
臥牙丸は200キロ超える巨体を生かした突き押しが最大の武器で、立合いの出足が鋭く一気に相手を持っていくこともあった。しかし上体に肉が集まったバランスの悪い体型であるため、引きや叩きに脆く負ける時はしばしば腹から落ちることがある。2014年3月場所前の座談会では元小結・和歌乃山から「前に落ちるってことは、体重が多すぎるってことじゃない?」「稽古が足りないな(笑)」と一蹴され、尾崎勇気からも「自分の体重を活かしきれてないってことですよね。武蔵丸さんは臥牙丸よりも体重があったけど、俊敏さがありましたよね」と厳しく言われている。以前は200キロを超える力士とは思えないほど腰が軽く、廻しを取られると簡単に体が浮いて投げられてしまったが、2014年頃から四つになってもそれなりに相撲を取れる。2015年頃から太り過ぎからか加齢からか立合いの出足が鈍くなり、手を付いて起き上がるだけの立ち方が目立つようになった。2019年5月場所9日目には、十両以下の対戦成績を含めて5勝8敗と不利であった東龍に左を差して一気の寄り切りで勝っている。このように、廻しを引かれると不利な相手にも左を差して巨腹を活かして出れば勝つ場合もある。縦ミツは緩く、北の富士からも苦言を呈されるほどである。 明治神宮例祭奉祝 奉納70回全日本力士選士権大会 相手は把瑠都関(2011年10月3日撮影) 靖国神社奉納大相撲 相手は千代大龍関(2017年4月17日撮影)
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取り口
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得意手は右四つ、寄り、上手投げ。十両昇進の際に師匠は「ここ(十両)で形を作って、実力をつけて上がっていってほしい。左の上手をしっかり磨いていこうと思った。(立ち合い)頭でいって、浅く取って相手に相撲を取らせない形を作っていきたい」と注文した。
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取り口
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体重120kg台と軽量力士の部類に入るが、前傾姿勢で土俵を擦るような独特の立ち合いから低く当たり、下から突き起こしていく相撲を持ち味とする。形になれば一気に相手を持っていく威力があるが、軽量故に立ち会いで跳ね返されて守勢に入ると脆い傾向がある。また、その独特の立ち合い故に変化に弱く、前傾姿勢を保つ取り口ははたきに落ちることも多い。
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取り口
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軽量ながら右四つに組み止めて寄り切る相撲が持ち味。上手投げ、肩透かしなども得意手としてあるが、足が出なかったり途中で一呼吸置いたりすると軽量を突かれて逆転されがち。 2020年1月場所前の舞の海のコラムでは、贅肉が付いていない体幹の強い体、引きやいなしに対してくの字に曲がった体勢が崩れない相撲が評価されていた。 2021年3月場所後に武蔵川から、下から上への攻めが巧いと評価された。「下から」は若隆景の代名詞となっている。同時期、荒磯からは、右おっつけとハズ押しで大関を狙えると評された。 2021年5月場所中、14代玉ノ井からやはり攻めにおいて一呼吸置いてしまう点、大兵相手にまともに右を差してしまう点を指摘された。一方同場所中、北の富士勝昭から変化を恐れず頭から当たりに行く度胸、強い当たりを受けながら一歩も後退せずに前に出る強靭な足腰を評価していた。 2021年7月場所中、同時点で127㎏の体重を10kgほど増やして場所後半に疲れが出にくい体を作るべきだと北の富士に助言された。 2021年12月の記事では「小兵ながら押し相撲で幕内上位をキープし続けている」と評された。 2022年3月場所9日目には、体重200kgを超える逸ノ城との2分を超える相撲を制する腰の重さと持久力を見せ付けた。この場所の優勝争いの中でも終始にじませていた冷静さも評価されている。優勝決定戦の髙安との一番では、土俵際まで追い詰められて右膝が「くの字」に曲がりながら上手出し投げで逆転勝ちを収めており、この土俵際での粘りにNHK大相撲中継の解説を務めていた舞の海秀平は「あの体勢から残せる力士はそういない」と驚いていた。大学の浜野文雄監督は、この粘りの源となる膝の強さは天性のものだと在学中から見抜き、この点に着目する形で若隆景に角界入りを勧めたという。場所千秋楽の取組後、花田虎上は廻しを取っての相撲を磨くことを今後の課題として挙げた。 動きが良いとよく言われるが、3月場所直後に15代武蔵川は自身のコラムで「若隆景をみんな絶賛してるけれど、僕に言わせれば他のお相撲さんたちがデレッとしていて動きが遅いんだよ(笑)」と評している。 5月場所は立合い変化で自滅するなど自分らしからぬ迷いのある相撲が目立つ。 7月場所前に北の富士はおっつけ・絞り一本槍の相撲に対して前褌や差し手にも拘るべきだ、上手からの投げを身に付けるべきだと注文を付けた。
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取り口
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立合いでは手を付ける仕草を見せるだけで全く手を付けない。中腰で低い重心から立合いかちあげるか、右上手を引いて、相手を吹き飛ばすかのように土俵外へ出すのが代表的な取り口。左四つに組み止めての右上手投げには威力があった。両廻しを充分に引きつけ、腰をよく落としての怒涛の寄り、巨腹に乗せた吊りも得意とし、相撲用語で言う「糞袋が重い」(腰が重い)という長所も手伝って地力の強さは際立った。一方で巻き替えが上手く、取り組みで常に多用したため、評論家からは「横綱の相撲としてはいかがなものか」と批判された。しかし、安芸ノ海には「あの巻き替えがあるから勝てるのだ」と絶賛されていた。右四つになっても右腕を返して腰を下ろせば盤石で、こうなったときの識者からの評価は高かった。突っ張りもあり、関脇までは突き押し相撲が主体だったが、足首を怪我してからは四つ相撲に改めた。右四つの力士に強く、金城に対して29戦全勝と圧倒していたことに関して本人は「オレは右四つ大好きだから」と語ったことがある。巨体ながら非常にスピードがあり、器用さも兼ね備え、その相撲には独特の躍動感があった。がっぷりに弱い上に指が短く上手が切られやすいため胸が合うと上手も取れずもがいてそのまま土俵を割る相撲が多く、太寿山や隆の里などがっぷりの得意な力士は特にこの弱点に付け込むことで北の湖戦で活躍した。廻しが固い力士を相手にする時に指の短さの不利が現れたが、一枚廻しになると廻しを握り付けてそのまま吊り上げるなど逆に怪力ぶりを十二分に活かすことができた。1980年7月場所の頃にはそれまでの左四つ一辺倒からなまくら四つへと変化。立合いもかち上げから下から掬うものへと変わっていった。 負ける際は、土俵際でしぶとく粘ったりせず、案外あっさりと土俵を割ることも多かった。比較的怪我が少なく、10年以上横綱を務められた理由は、無理な体勢で頑張ることが少なかったからという意見がある[要出典]。 復活優勝した1984年5月場所後も再度の活躍が期待されながら、同年9月より当時の春日野理事長の施策として手つき立合いが徹底がされたことから、北の湖は自身の特徴である中腰立ち合いが許されなくなり、そのせっかちさも相まって以降の芽を摘まれることとなった。
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取り口
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突き押しの相撲を得意とするが、高校2年次に右手首の手術を受けた後は四つ相撲を取っていた時期がある。怪我の回復に伴い、2020年3月場所時点では押し相撲に戻している。
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取り口
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概して長めのリーチを活かして突きで相手を後退させてからそのまま押し出すか途中で引き落としや叩き込みで仕留める相撲を取った。三段目時代までは前に出る相撲に徹していたが幕下から引き技を取り入れるようになった。2011年11月場所に挙げた12勝中引き・叩きが7番を数えていたことなどから苦言を呈されることがある一方で、全盛期には高い圧力の突き押しにより相手が分かってても引きを食ってしまうことから新三役特集で「引き技も立派な技能」と評価されることもあった。十両に陥落してからは出足が鈍り引き技の精度も落ちているが、それまでのように離れて相撲を取るだけでなく徐々に左四つに組む場面が増えた。
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取り口
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100キロに満たない軽量であるのに反し、相撲は真っ向勝負の傾向があった。その正攻法の相撲故地力の通用する十両では大勝したが、やはり軽量が災いし幕内の壁には阻まれ十両に陥落というパターンを何度か繰り返した。新十両時よりその軽量から発揮される高い機動力が注目されたが本人曰く「技の名前もよく知らないし、狙って出す余裕もない」とのことであり、このころはあくまでも流れで繰り出す副次的な取り口として位置づけられていた。体格面での不利から、師匠の鳴戸親方(元幕内・隆の鶴)からは「場所中2・3度は変化を入れた方がいい」という、異例のアドバイスを受けたことがある。本人も相撲が正直過ぎるところの反省を生かし、2012年1月場所では積極的に掛け投げを取り入れた。2012年7月場所からは立合いで当たらずすぐに手繰りを狙う機動型の取り口に変えたが次第に取り口から圧力が無くなっていったことで却ってこれが通用せず、8場所連続で小幅の負け越しを繰り返していた。2013年9月場所に一本背負いを積極的に試したことが裏目に出て5勝10敗の負け越しを喫したこともある。引退時には体重が95kgを切るなど体力の衰えが顕著であった。
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取り口
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得意手は押し。 基本的に遅攻の部類に入るが、大型力士が相手の場合は早めに勝負を決める傾向がある。
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取り口
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押し相撲が武器であり、2021年11月場所に部屋の若隆景から「寺井さん(荒篤山の本名)は押し相撲なので、立ち合いで思い切り当たることによって持っていけるから、そこだけ意識強く持って」と助言をもらい、本人によると「それを稽古場で意識するようになって、新入幕できたことにつながった」という。
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取り口
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基本的に右四つ、寄りを得意としており、取的時代から吊りの技術も評価されており、次第に現役の中でも吊りの名手として名前が挙がるようになった。2013年9月場所中の『どすこいFM』では二子山(元大関・雅山)が「力士の大型化が進む中、吊りを得意とする力士は他にいない。千代皇はその点で魅力的な力士。」と位置づけていた。11月場所2日目には解説を務めていた当時の岩友親方が吊りについて言及し、その技術を生かして体重215kgの徳真鵬を寄り切った相撲は岩友から「相当驚いた」と絶賛された。副次的に突き押しも使用する。新入幕を果たしたころには右四つから強く当たって攻める相撲にも注目が集まった。2017年3月場所前の座談会では雷(元小結・垣添)から「やっぱり、この力士も後手に回ることが多いですね。立ち合いで先手を取って右四つに組み止めて前に出る相撲が増えれば、番付も上がっていくと思います」と話しており、竹縄(元関脇・栃乃洋)も「組んだら強いけど、幕内の力士は当たりも強くて圧力もあるし、なかなか思い通りには取らせてもらえないでしょうからね」と付け加えている。 かつては固太りの体を活かした力相撲が持ち味であったが、力任せな取り口が災いして下半身を負傷し、一時期幕下での低迷を余儀なくされた。2020年に関取に復帰して以降は右四つ左上手という自分の型を身につけたことで、以前[いつ?]よりは安定感が出てきた。
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取り口
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基本的に父と同じく右四つになって寄る速攻相撲を得意とし、立合いも真っ向勝負が多い。本人曰く、立合いのスピードは父に及ばないが、父よりも手足が長いので父から『お前には俺にはない投げがある』と評されている。新入幕会見では境川が佐田の海が昇進を掴んだ取り口について「投げも出ながらになり一つ一つの技の思い切りがよくなった」と証言している。しかし相撲が一本調子になりがちであり、父からも「相手を弾いて距離を作らないと。一発、二発、突き放してそこから中に入って行くことができれば、横綱・大関陣に対してひょっとしたら、というのが出てくるかもしれない。今は当たってすぐ懐に入ろうとするから、大きな相手には引っ張り込まれてしまう。しかも軽いから勝てない相手には全く勝てない」と評されている。速攻が得意である一方土俵際での粘りも強く、2015年の幕内で物言いがついた取組49番のうち6回が自身の取組であるという記録を持っていることから、「行司泣かせ」の異名を持つ。本人はこの土俵際での粘りについて「攻めて物言いがつくのはツメが甘いから。土俵際で逆転するのは下がっているから。下がっちゃうのは入門したときからの癖」と反省の言葉を並べている。2016年11月場所前の座談会では中立から「どういう相撲を取りたいのか、いろんなことをやるでしょ。立ち合いで当たって中にもぐりたいのか、上手を取りたいのか。どれか一つ、これというのを決めてもらいたいなと思っているんだけど」と半端相撲を指摘されており、同時に「ちょっと圧力をかけられると横に飛ぼうとするから、辛抱がないんだよね」と厳しいコメントを出されている。30代に入ってからは調子の悪い場所で引き技に沈む場面が目立つようになった。普段は四つ一辺倒だが、2019年5月場所9日目の千代翔馬戦のように露骨に諸手突きで張り差しに対処して白星を収めたケースもある。この日のNHK大相撲中継で解説を務めた13代粂川によると「普段は諸手突きなどやらない」とのこと。部屋の厳しい稽古によって足の裏の感覚が鍛えられており、2022年5月場所7日目に碧山を破ってこの場所の全勝を消滅させた後に「立っているだけで、足の裏全体で土俵をつかむというより、包んでくれている感覚。『親指に力を入れて相撲を取れ』と入門したときから言われていることだが、よりよい感覚が今つかめている。すごく(土俵に)なじんでいる」と語っている。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 02:11 UTC 版)
若い頃はもろ差しを使用して柏戸など突進力のある相手に対する守りを固める相撲を得意としていた。入幕したばかりの頃は立合いの当たりや突っ張りがそれほど強くも鋭くもなかったものの、これらは差し身によく繋がった。自分より差し身の良い相手には突っ張ってから差し、自分より差し身の劣る相手にはいきなり差しに行く相撲を取った。 非常に手堅く、胸を合わせずに前屈みになって腰を引く「逆・くの字」の体勢で相手の攻めを防ぎ、横へ回りながら自分有利の体勢に持ち込み、投げで崩すか寄り切る。差すと必ず差し手を返し、一度掬って相手の出足を止め、その後は腰を落として寄っていくが、左四つの場合は出ておいての右上手投げで決めた。体勢、とりわけ懐の深さに加え、真綿やスポンジに例えられるほど身体が柔らかく、どんな当たりをも受け止めても崩れない相撲を可能にした。立合いも上手く、最晩年の1971年(昭和46年)3月場所では初挑戦の大雪嶺登が奇襲として一度目の仕切りで立った際も難なく捕まえて勝利している。 大兵にも関わらず、前捌きや回りこみが巧みで冷静・緻密な相撲を取った。投げ技の中では上手投げも強かったが、特に左差し手を十分に返してから放たれる掬い投げの上手さが際立っており、伝家の宝刀と称された。前傾姿勢で腰を引く構えによって相手に廻しを取りにくくさせたが、自分も廻しが遠くなるため、掬い投げを多用した。1970年(昭和45年)5月場所の千秋楽では北の富士の上手投げを掬い投げで打ち返して全勝を阻止したが、北の富士は「柔らかさ負けしたよ」と嘆いた。通常、廻しを取らずに下手から投げる掬い投げは上手投げより効果が薄いとされるが、大鵬の場合、懐の深さに加えて柔軟な長身で上体の大きなひねりが可能だったことが、掬い投げを非常に有効にさせていた。突っ張りも強く、突っ張ってからの叩き込みも懐の深さ故によく決まった。だが、左膝を痛めた1968年(昭和43年)以後は叩き込みなどの引き技に頼る相撲が目立つようになって批判を浴びている。 一方で大鵬には反り腰がなく、上体が反ると残すことができなかった。この腰の脆さが弱点で、普段は「逆くの字」の体勢、身体の柔らかさ、懐の深さで弱点を補っていたが、胸を合わせてがっぷり四つになるとなかなか勝負に出られず、立合いから上体を起されて押されると一方的に攻められることもしばしばあった。そのような弱点を露呈させることが多かったのは、対戦経験の少ない平幕や押し相撲が相手のとき、彼らとの取り組みが多い序盤戦で、「序盤・平幕・押し相撲」が大鵬の鬼門と言われた。押し相撲に苦戦していたことは引退後に自身も認めており、「『押されてはいけない』という先入観にとらわれ、差し身にこだわりすぎて、狙っていくところをいなされ、アワを食っているうちに、押し出されるというケースが多かった」と語っている。「引っ張り込んで動きを止めてから料理する」という大鵬なりの押し相撲対策が確立したのは「横綱になって2年目あたり」だったという。 基本的には左四つに組みとめての寄りと投げが主体のスタイルだが、押し相撲や右四つでも相撲が取れた。良く言えばオールラウンダーで、悪く言えば絶対的な型がなかった。この点は右四つの完成された型を持った双葉山定次とは対照的で、大鵬以前はこういった相撲は小兵のやることで横綱・大関には相応しくないとみられていた。また「逆・くの字」の体勢を「へっぴり腰」と揶揄されることもあり、腰の力で相手の攻めを受け止めて取る相撲を本格的とする立場の評論家(小坂秀二など)から「小さな相撲」と批判されたこともある。ただ、相手次第で取り口を変える柔軟性を持っていたという点では今でも非常に評価が高く、二所ノ関は「型のないのが大鵬の型」「名人に型なし」と批判に反駁した。大鵬が勝ち続けて昭和の大横綱へと成長すると、「型のない」大鵬の相撲は、状況に応じて相撲を変える「自然体」とも評価されるようになった。一方で、玉ノ海梅吉は大鵬がどれほど結果を残しても批判を止めなかった。玉ノ海は概して柏戸などのような速攻相撲の力士を好み、攻めの遅い大鵬は玉ノ海の趣向に反したようである。 その強さと出世の早さ故か、相撲の天才と呼ばれることも多かったが、本人は「人より努力をしたから強くなった」としてこれを嫌った。大鵬の素質に惚れ込んだ二所ノ関の徹底的指導によって鍛え上げられたが、その指導内容は四股500回、鉄砲2000回、瀧見山延雄による激しいぶつかり稽古というスパルタぶりだった。全盛期は1時間ものぶつかり稽古をこなすほどの持久力であり、稽古をさせるほど強くなると見込んでいた二所ノ関は大鵬に雑用やちゃんこ番をやらせなかった。本人は弟弟子の大麒麟將能の方が天才と呼ぶにふさわしいと発言している。大鵬の取り口を批判している玉ノ海にしても土俵に上がった大鵬を見て「これはね、大鵬の体は稽古をして大きくなった体ですからな」と褒め「ただ大飯を食らったんじゃない」と表現するなど稽古で素養を開花したことについては評価している。1966年頃の取材ではバーベルやエキスパンダーなどを使用した科学的トレーニングを取り入れていることが明らかになり、相撲の稽古だけにこだわらない一面もあった。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 07:01 UTC 版)
入門当初は差しに行ったり変化気味に深い上手を取りに行ったりする安易な相撲が目立ったが、部屋の関取衆・親方衆からの指導によりこれらの悪癖が抜け、十両昇進時点では前に出る相撲に徹するようになった。八角によると高校横綱としてのプライドが邪魔して入門から2年の間において前に出る押し相撲の重要性を理解しなかったのが、関取昇進までに約3年を要した原因だったという。2022年1月場所3日目、NHK大相撲中継解説の席についていた北の富士が「幕下時代よりも体がよく動いているし、伸び伸び取れてスケールの大きな相撲で、この相撲を磨きあげていけばいいんじゃないでしょうかね」と評していた。 しかし2022年7月場所6日目の千代栄戦で立ち腰でもろ差しを取られて右掬い投げに転がる相撲を北の富士から「いいところなしの完敗である。こんな相撲を取っているようでは将来はない。入門して3年。何の進歩も見られない。むしろ高校生のころの方が強かったと思う。先場所のけがが治りきっていないということだが、そんな言い訳は通用しない。けがはつき物だ。稽古不足に尽きる」と酷評された。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 06:47 UTC 版)
元々突き押し力士でありながら四つになってもそれなりに相撲を取れた。十両と幕下の間を往復していた頃は勝ち味が遅かったが、取組の映像を木瀬と共に見ながら「右手でまわしを取りに行くこと」「攻めを早くすること」を指導されたことで取り口を右四つの速攻中心に変えた。以前より北の湖からは「右を取れば強いのに」と言われており、木瀬は「右を取ったら上も下もうまいのに、本人だけが分かっていなかった」とこぼされていたが、取り口を変えてから入幕を果たした。 調子の良い場所だと懐の深さと体の柔らかさを活かして土俵際で突き落としを決めることができ、2021年1月場所6日目の照強戦はその好例である。 2021年になると自分の型になるまで攻め急がない老獪さを見せるようになった。また、この場所14日目には怪力で知られる栃ノ心を一発で持っていく力強さを見せた。同年3月場所の相撲を見た北の富士は、お世辞にも引き締まったとは言えない巨体に似合わぬ機敏な動きを評価した。 かつては右足を引いて斜めに構える独特の仕切りが特徴的であったが、動作の遅さから勝負審判に注意される場面もしばしば見られた。 タレントで元関脇・隆乃若の尾崎勇気は自身のブログにおいて、明瀬山の体型について「隆の鶴と増健を足して2で割ったような非常に柔軟な体つき」と評価している。 怪我に強い力士であり、2021年5月場所中日に途中休場するまで本場所は皆勤であった。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 07:14 UTC 版)
得意手は押しと叩き。入門からしばらくは柔道経験者にありがちな「脇がガラ空きになる」「投げに頼る」という癖が目立ち、懐に入られたら二丁投げ(柔道の払腰に相当)で自滅することがあったが、弟弟子の明生、豊昇龍との稽古で四つ相撲の技術を吸収。入幕時には柔道の癖は影を潜めた。 掛け投げも得意であり、2021年9月場所は9勝中4勝を掛け投げで挙げている。中日のNHK大相撲中継では、「今日も掛け投げ」と実況されていた。2021年11月場所前には「親方衆にも会う度に(掛け投げへの期待を)言われたりして…。できちゃうから狙っちゃう。今日もいけそうだと。来場所は狙わないように、体が動いて、自然と出れば」と語っていた。
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取り口
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得意手は左四つ、寄り、投げ。投げは特に下手投げが得意。新入幕を果たしたころには体重が増え、前まわしを引いて頭をつける攻めに迫力が増したという。基本的に廻しを取らないと勝ち味が薄く、新入幕からしばらくは相撲が大き過ぎることが弱点であった。 新入幕を果たした頃、部屋の横綱になっていた鶴竜からは「厳しい立ち合いをしていくことだ」と助言された。 2020年9月場所前は師匠の取組動画を研究して磨いた吊り出しに意欲を見せた。 2021年5月場所の取組を見た10代錦戸は、廻しを取らせない考える相撲を評価した。 左前褌と浅く取った右上手を瞬時に引き付けて浮かせる相撲が霧馬山の理想の相撲の1つであり、2021年9月場所6日目に正代を力相撲にねじ伏せた一番はその好例である。 2021年9月場所中には花田虎上のコラムで、腰を引くモンゴル相撲の癖が抜けて腰を前に出す大相撲の基本ができていると評された。 2021年10月25日に相撲教習所で行われた合同稽古では再び吊りの研鑽に取り組んだ。 2021年11月場所前の新三役会見では、それほど持久力はないがどうしても長い相撲になってしまうと語っていた。場所中は鶴竜親方から当たって前に出る時につま先立って上体だけで押しているため前に落ちやすい点をNHK大相撲解説の席で指摘された。 2021年は年間45勝中15勝を投げ手で挙げたが、これはこの年6場所幕内に在位した力士の中では最多の記録。モンゴル相撲や柔道の経験があり、モンゴル相撲で投げ手の感覚は掴んでいるようだが、幕下時代に投げを打った際に右膝を負傷したことがあるといい、それ以来投げには慎重になっているという。 2022年5月場所14日目の隆の勝戦では、四つに組んで勝負が長引くと思われたところ、焦って外掛けを仕掛けて自滅しており、北の富士からも強引な相撲運びを指摘された。 2022年7月場所中の北の富士のコラムでは、若隆景と共に動きの速い力士として名前を挙げられている。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 07:15 UTC 版)
新十両昇進会見の際に師匠の藤島は引き癖を指摘し、体格を活かした押し相撲に徹するべきだと注文を付けた。2021年3月場所初日の錦木戦では、立合いの攻めを躱されて突き押しが通じずに相手に体を寄せられるなど実力差を見せ付けられ、取組後は「全然ダメでした。当たりもないし、攻められて後手後手だった」と反省していた。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 06:31 UTC 版)
音羽山は「離れてよし、組んでよし。両方磨いていけば関取が見えてくる」「一番はハートが強い」と万能ぶり、メンタルの強さを評した。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 13:28 UTC 版)
体を丸くして相手を一気のハズ押しで持っていく取り口を自身の理想としている。 幕下上位の機動力に秀でた力士に対しては動き勝つ相撲もある。 おっつけを得意としている。16代荒磯は志摩ノ海について「しぶといおっつけは理想のおっつけです」「志摩ノ海は深く差されても絞り上げることができます。それも基本を徹底しているからで、私は技能賞に値する押し相撲と捉えています」と高く評価している。 良くも悪くも調子にムラがあり、新入幕の頃の記事には「そのまま三役まで上がるかもしれないし、幕下まで落ちるかもしれない」と師匠の木瀬が評していた。 2020年11月場所中には尾車から、頭を低くしてじわじわ前に出る相撲、腰の重さを評価されている。 2021年1月場所前の記事で舞の海はその前傾姿勢の押し相撲を「小さな琴ヶ梅」と評した。 2021年3月場所2日目の妙義龍戦を終えた際「(妙義龍も同じ押し相撲)自分はねちっこい押し相撲。向こうは速い押し相撲なんで研究してます」と妙義龍と比較した上で自分の相撲について自覚するところを語った。 2021年3月場所10日目の照ノ富士戦では驚異的な粘りで土俵際での突き落としを決め、ABEMA大相撲中継の視聴者達を騒然とさせた。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 10:20 UTC 版)
中アンコ体型を活かした右四つの相撲が特徴で、浅い上手を取れるかどうかに勝敗が比較的左右されやすい。多くの場合、前に出て勝つか寄り切られて負けるかの2つの1つであるが、偶に上手からの攻めで負けることもある。2019年5月場所9日目の大奄美戦ではもろ差ししからの攻めで3連敗中であった大奄美を下し右差し左上手だけの力士ではないところを見せたが、その日のNHK大相撲中継解説の21代音羽山曰く「狙ったのではなく偶々もろ差しになった」とのこと。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 10:19 UTC 版)
両差しになって前に出るのが竜電の相撲。2018年1月場所のように、先手を取って攻め、両差しになる相撲が冴え渡ると好成績を残せる。一方、小兵には手を焼く面があり、2018年1月場所5日目の石浦戦に関しては「小さい相手が苦手なんでいやだったんですけど」と同年3月場所前のインタビュー記事で答えている。2018年1月場所時点では、幕内上位で活躍する力士に対しては力量の差から両差しになっても攻め切れない一面がある。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/03 08:13 UTC 版)
著しい軽量ながらいわゆる注文相撲などは行わず、押し相撲に磨きをかけた。 軽量力士ならではの瞬発力にはかなりのものであり、長時間の力相撲より、一瞬の押し技で勝負を決めることが多かった。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 08:51 UTC 版)
下半身の硬さに難があることから四つ相撲には向かず、徹底して突き押しを磨いた。これが功を奏して順調に実力を付けていったが、その強さゆえに友綱一門には太刀山と稽古できる力士が少ないため、友綱は常陸山に「太刀山に稽古をつけて欲しい」と頼んだら快諾されたため、駒ヶ嶽國力と共に稽古を付けてもらった。その双手突きの威力は誰も二突きとは耐えられないという意味から、一突き半→一月半で「四十五日の鉄砲」と恐れられた。太刀山の双手付きは、大関時代の1910年6月場所3日目に小常陸由太郎を立合いの1発で桟敷まで突き飛ばし、足で桟敷を突き破った小常陸は負傷して翌日から休場、翌場所は全休することとなったほか、8日目には八嶌山平八郎が太刀山の強烈な突き押しを怖がって、太刀山が手を出す前に土俵から逃げ出した(太刀山は前に歩いたのみで、決まり手は「にらみ出し」と言われた)。 最初は突っ張っても常陸山に上手く返されて負けていたが、前頭筆頭だった1904年5月場所に常陸山が休場した隙をついて8勝1敗の優勝相当成績を挙げる。1905年5月場所には小結を飛び越して関脇、1907年5月場所でついに常陸山から初勝利を挙げ、8勝1敗と2度目の優勝相当成績を挙げる。
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取り口
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四相撲でも離れて相撲を取ることもできる。本人曰く、型にはまらない相撲を目指しているが、型がない分安定して相撲を取れないことも度々ある。 柔道の経験を生かし、足技も交えてた取り口も特徴の一つである。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/09 22:53 UTC 版)
取り口は基本的に突き押しだがもろ差しや右前ミツの相撲も時折見せる。入門前は奄美大島の"島相撲"を基本とした取り口を得意としており、同じく島相撲を取り口の基本としている同郷の慶天海はこれについて「自分も気づいていたらあのような相撲を取っていた。指導者も皆、同じ相撲だから」と証言している。入門後は師匠の意向で押し相撲に取り組んでいた(同部屋出身の関取・魁も同様)が入門から5年経過した頃には押し相撲に違和感を覚え、二本を差して一気に出る相撲や左を深く差して右前ミツを取る体勢などを稽古場で試すようになった。その末に自信を持ってからは上がり座敷から「差すな」「廻しにこだわるな」と檄を飛ばされても耳を貸さず本場所でこの取り口を操り、周囲もこの取り口を認めるようになった。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/27 05:07 UTC 版)
入門したばかりの頃は当たって左前ミツを取るばかりであったが、あるとき激しい稽古で頭がブヨブヨに腫れて病院送りになってしまったので、右上手を浅く引いて前に出る、出し投げを打つという相撲を覚えた。本人は栃ノ海が参考になったと語っている。前廻しを取って低い姿勢から寄っていく取り口が主体で、巧みな前捌きで相手に力を出させずに勝つ相撲を身上とした。右前ミツを引いての速攻、右上手出し投げは絶品の速攻相撲であった。好調時には前廻しを引いての速攻が冴え、「相手はまだこれからと思っているうち、いつの間にか土俵を割ってしまう」ことから「妖気の漂う土俵」とも称された。出羽海部屋の先輩横綱だった安藝ノ海と取り口が似ていることから、「安藝ノ海二世」と称されたこともある。「安藝ノ海二世」と評されたことに関しては「前ミツを取って頭を付ける自分の取り口もそうですが、体つきが似ていたということもあったんでしょうね」と話している。前捌きの一環として張り差しを多用し、1977年11月場所の輪島戦では、自身の張り手による相手の脳震盪によって寄り切りで勝利しているが、自分の体勢を作れないときは強引な張り手の連発で自滅することもあった。1977年11月場所の輪島戦で張り手を多用したのは、前夜に後援者の面々と食事していた時に三重ノ海の直近の対輪島戦の成績が悪い話題になり、場の雰囲気がまずくなりそうであったので「じゃあ、明日は張っていきます」と冗談で威勢良く言ってしまったためである。後援者達は「よし、だったらみんなで見に行こう」となったため、三重ノ海は「やべ、これはウソつけないな」と思い、張り手を多用することにした。しかしこの1番で結果的に張り手が成功し、以来大関として安定した成績を残せるようになり、ひいては綱取りにつながった。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/27 04:11 UTC 版)
著しい軽量であるため、立ち合いから相手に当たっていくことは殆どなく、相手をかわしながら廻しを取りに行く相撲が多い。華奢な体型ながら、柔道の経験を生かした投げ技・捻り技に長け、自身より遥かに重い力士相手にも星を上げることがある。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/27 09:52 UTC 版)
大まかな傾向として組んでからじっくり攻める右四つの相撲を得意としており、前ミツを取って食い下がったり出し投げを放ったりもした。2016年3月場所前の座談会では浦風から「阿夢露と栃ノ心は不器用な四つ相撲を取るイメージがある」と評され、高崎からは「瞬発力や敏捷性がもうちょっとあればという感じで」と注文を付けていた。入幕当初は軽量であったので突き押しに対して脆さを見せていたが、次第に体重が140キロ近くまで増え、幕内に定着したころになるとリーチのある突きで突き押しに対抗する場面も見られるようになった。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/27 15:48 UTC 版)
基本的に右四つ得意であるが、左前ミツを引いて攻める相撲も見せる。一方で立合いが甘い、左を取るのが遅いという弱点も存在しており、廻しが取れずに引いてしまう相撲も少なくない。幕下で足踏みしていた頃は立合いで頭から当たることを恐れていたが、それが解消されたことで十両昇進を掴んだとされており、錣山も十両昇進に際して「まわしを取るまでの技術を磨くこと。しっかり当たれば、引くこともない」と今後の課題を挙げていた。入門からしばらくは型が定まらず小手先に頼った雑な相撲が多かったものの、幕下上位に名前が載る頃にはこの経験を活かした形で突き押しを副次的な手段として用いるようになった。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 03:59 UTC 版)
右四つからの寄りが得意であるが、突っ張りによる相撲もこなせる。上手からでも下手からでも投げが決まり、引き技もある。懐が深く、四つ身で素早く寄るところは兄弟子の旭天鵬に似たところである。このオールラウンダーぶりは幕内に上がってから体格が大きくなったことによるものであり、振分(元小結・高見盛)がそのように解説したことがある。しかし型が無いことが弱点として指摘されており、2016年3月場所前の座談会で浦風(元幕内・敷島)が指摘している上に、高崎(元幕内・金開山)も「何でもできるけど、器用と言うわけでもない」「一応、右四つが得意なんだろうけど、四つになっても不安ですよね。何となく勝っている感じ」と話している。同年11月場所前の座談会では、突っ張りも突き切るものではなく寄りか叩きにつなぐことがしばしばであると鳴戸(元大関・琴欧洲)は分析しており、中立(元小結・小城錦)も「だから二、三発、付いて相手の上体を越して捕まえて寄るような相撲だったら、そんなに膝もケガしないと思うんだけど、飛んだり跳ねたりいろんなことをするからね」と返している。膝の怪我もあって負ける相撲はあっさりとしたものが多い。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 04:18 UTC 版)
基本的に突き押しを得意としており、立合いでは額から当たることが多い。引かれても咄嗟に両手を揃えて掌を上に向けて残す技術と1日500回の四股で養った強い足腰も備えている。千代鳳は2008年九州場所の大怪我以降、四股の重要性を思い知ったそうであり、それ以降「四股は腰を低く割ったまま踏むように」心掛け、それ以前より得意としていた四つから現在の突き押しに取り口を改造したという。その四股は師匠の九重が現役時代に部屋の兄弟子である松前洋(のち富士ヶ岳、最高位は幕下22枚目)の四股の型を綺麗だと思い真似たことから始まったとされ、以来九重の四股の型になりそれが千代鳳に伝わったという。 叩きに強く、引かれても容易に落ちないのも特長で、叩きに着いて行って勝利を収めることがしばしばある。一方で立合いの後の攻めが弱くなりがちな部分があり、2014年11月場所前の座談会では元日本テレビアナウンサーの原和夫が「二歩目をしっかり出して、もっと出足が出てくれば変わるかもしれない」と、元文化放送アナウンサーの坂信一郎が「何か一つ武器ができれば三役に定着できる」と改善策を提案した。 仕切りの動作は、時間いっぱいになると体のあちこちを叩き、顔を動かすという落ち着きのないものである。左膝の負傷が慢性化してからも前に落ちない相撲は健在であり、2017年1月場所時点で180kgを超えるアンコ体型でありながら前に落ちない相撲を取ることについてお笑い芸人のはなわから驚きの声を受けている。突き押し力士ではあるが組んでも強く、腰の重さも注目されている。 13代九重は生前、千代鳳に「ぶちかまして一発で持っていけば、横綱にも勝てる」と言葉を掛けたといい、2020年1月場所の関取復帰はこの言葉を取組前に必ず思い出して土俵に上がり続けた結果であった。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 17:58 UTC 版)
根は左四つであるが、日本相撲協会公式サイトの「大相撲データ」(外部リンク参照)や一部の書籍・雑誌(ベースボール・マガジン社の『大相撲力士名鑑』など)では何故か右四つ得意とされている。技能派で派手さは無いが、右前褌を取ると力を発揮する。出し投げなどで上手く相手を崩しながら寄り切る。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 04:08 UTC 版)
廻しを取ると力と技の両方が活きて強い。根は右四つではあるが、器用に右でも左でも前褌を引けば、引きつけの強さを生かして吊り寄り気味に前に出る。出し投げや切り返しなどで崩しつつ寄るテクニックもある。力を頼りに思い切った投げにいくこともある。気風の良さも技のキレに良い影響を与えているという評価があり、NHK大相撲解説者の北の富士は「豪栄道は自分の判断に沿って死ねる覚悟を持っている」と表現している。 技術や判断力が高いが、反面両手から払い落とすような引き技が多く重圧がかかる場面では取りこぼしを恐れて引き癖を露呈しがちである。差し身や前捌きが上手くない部類に入る力士でもあり、日本体育大学相撲部監督の齋藤一雄は大関昇進に時間がかかった要因としてそれを指摘している。2009年9月場所12日目の『どすこいFM』では解説を務めていた錣山(元関脇・寺尾)が「豪栄道という力士は本当に差し負けますね」と辛口の評を下した一方で「あそこまで差せないのに相撲が取れちゃうのは、相撲勘がいいんでしょうね」と返し、前述したような引き技の精度を絶賛した。初優勝以前は左前褌に拘り過ぎる嫌いがあり、左上手を取ると稀勢の里などに抱え込まれてしまうことがあった。大関昇進後は引き技は打たない傾向にある。2017年9月場所などは、12日目の松鳳山戦、13日目の貴景勝戦と続けて敗戦を喫しているが、その負け方を武蔵川(元横綱・武蔵丸)から「僕のいちばん嫌いな豪栄道だったな。同じことをやってるんだ。自分より小さい相手に対して引いても、簡単にはくわないよ」と批判されている。 また前に落ちる場面も目立つ。2011年までのそれほど大柄でなかった時期も含め、元来出足が鈍いことも弱点である。2013年3月場所まで廻しにこだわり過ぎて密着され上体が起き上がり、張り手を受けて出足が止まって離れたところで落とされる傾向もあったが、翌5月場所からはおっつけを多用しておりこの2つを幾分か克服している。寄りながら不意に外掛けを打つことがある。首投げも武器になっているが裏を返せば脇が甘いという弱点が備わっているということであり、元日本テレビアナウンサーの原和夫がは2014年11月場所前の座談会でこの点を指摘している。同じ座談会に出席していた元テレビ朝日アナウンサーの銅谷志朗はこの首投げについて「先場所(2014年9月場所)の稀勢の里戦のように決まる時は綺麗に決まっちゃうから、悪い癖を直すのもなかなか難しい」と評している。 全勝優勝を果たした2016年9月場所になると、体重が160kgまで増え、相手の攻めに後退する場面が減った。これについては高校時代から師事するトレーナーの岡武聡が「決して急に強くなったわけじゃないんです。ケガをした時は、ケガをしていない部分も強化してきました。でも、稽古でできる筋肉と、トレーニングでできる筋肉は別物なんです。秋場所前は、夏巡業から4週間近く稽古して、相撲の筋肉がついて、体の張りが良くなった。本来の豪栄道の体に戻っていたんです」と話している。また、この場所の相撲解説者達からは立合いが低い、引きがなくなったと好調の要因を指摘されていた。黒姫山は、立合いで右手をしっかり付いて腰を割った状態で左のチョン付きで立って右四つに徹底した相撲を取ったことが同場所で優勝した要因と分析しており、それ以前に見られた張り差しが頭にあって腰が浮いた状態で立っては張り差しが失敗してバタバタして安易に引く相撲が見られなくなったという見方をしている。 2017年9月場所前の黒姫山のコラムでは「密着できればいいが、相手と間隔ができると我慢しきれずにすぐに引きやいなしにかかる。まわしが取れなくても、おっつけながら密着していく攻めを心掛けてほしい」と評されている。黒姫山は11月場所前になると「豪栄道も正代や栃煌山に対し、自分から踏み込んで突き起こしている。なぜ、あのような相撲が日馬富士に対して取れないのか。委縮する部分があるのかもしれないが、そこがすごく気になった点だ」と指摘し「『打倒、日馬富士』という意識を強く持つべきだと私は思う。白鵬の時はこうだ、鶴竜のときはこうだということよりも、日馬富士対策一つに絞って稽古していくべきだろう(中略)それが白鵬、鶴竜、稀勢の里といった他の横綱戦にもつながっていくと思う」と雑誌の記事内で助言している。 大関昇進以降はけがで休場することが多く、西岩(元関脇・若の里)は「アクロバティックな相撲を取るわけでもないんですが、稽古を続けると筋肉が固まって疲労がたまるんですね。だから、親方も調整は本人に任せて、休みたいときには休ませる、治療する時は治療させるといったスタンスのほうがいいような気がします」と2017年5月場所前の相撲雑誌の記事で意見しており、同時に「全勝優勝した秋場所は師匠が九州場所担当でいませんでしたからね。あれがよかったんじゃないかと(笑)」と言っている。 右四つ得意ではあるが、白鵬など右四つで大横綱の地位を確立したクラスの力士を相手にすると対処しきれない部分があり、2017年5月場所11日目に白鵬に敗れた際には「誘われるように右を差してしまった。それが失敗」と反省の弁を述べている。 2017年7月場所3日目、4日目と変化して白星を収めたことを相撲ファンから批判されているが、二子山(元大関・雅山)は「優勝のチャンスが出た場所での勝利への執念」「変化した2番の相手は嘉風と栃ノ心で、豪栄道はやや苦手としているため容認できる範囲」と同年11月場所前のコラムで擁護している。 2018年1月場所は中日の千代大龍戦で立合いの威力に屈してそのまま突き出しによって負けており、本人も「立ち合い負けでした。相手が良かったんじゃないですか。これからです」と立合いの威力に優れる力士には苦戦するという面を自覚しているかのようなコメントを残している。 精神面に関しては2018年9月場所前の記事で花田虎上が、ライバルであった日馬富士の引退によって張り合いがなくなってしまったのではという分析をしている。 2019年3月場所中の7代高砂の分析によると、自分の体の大きさを把握せずに上手を取ることの重要性を忘れて変に二本を差して自滅することがあるという。その場所9日目の逸ノ城戦で小手に振られて負けたのが好例である。 2020年1月場所中に同じく高砂から、張られてすぐにカッとなり相手に応戦してしまい四つを磨けなかった高安とは異なり、大関からの陥落が決まっても自分の型で勝ち切り美学を貫いた部分が、5年4ヵ月の間大関を務められた理由だと分析されている。 現役時代、会食では白米やビールなどカロリーや糖質の高いものを避けてコンディションを維持していた。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 15:14 UTC 版)
名門・出羽海一門に限っては素質に恵まれた部類であることから、本人は入門当初より横綱になる使命を与えられたという。そのため、当初は徹底した横綱相撲が取れるように大きな身体を手に入れることを要求され、太りにくい体質だった佐田の山のために一門総出で増量を手伝ったと言われる。その一環として、不調を抱えてもいないにも関わらず盲腸を摘出したり、胃薬や漢方薬などを多量に服用させられるといった度を過ぎた手段が行われたが、うまく行かなかった。体格の不利を克服できなかったことに加え、足腰が固かった佐田の山は、長い腕を活かした突っ張りを繰り出す取り口に活路を見出し、この取り口を前述の猛稽古や使命感で培うことで完成させた。突っ張りが主体の取り口であったが、突っ張りで攻めきれない場合は左四つに組んでからの上手投げで対応していた。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 04:35 UTC 版)
2017年7月場所後の座談会で錣山(元関脇・寺尾)が語ったところによると、アマチュア時代は捌いて勝つ相撲であったが、角界入り後は立合いの当たりで一遍に決める相撲へ変わった。報道ではしばしば「力強い」と評されることがあるがどちらかというとパワー一辺倒ではなくバランス型に近く、突き押しの他に上手前褌を狙っての寄り、投げ、引き、いなしを使って相手を処理する。頭から当たって左を差すのが主な勝ち筋であり、猪突猛進でないためか2017年7月場所などは5秒以上10秒以内で終わった相撲が7番であった。懸念材料としては右膝の怪我があるが、錣山によると稽古熱心さでそれを補っているという。2017年9月場所前の座談会では舞の海から「押し一本だと、この先厳しいかもしれません。ひざの故障もあるし、ずっと押しだけでいくと限界があると思います。押して駄目な時は前みつを取って食い下がるといった相撲があれば、取り口の幅も広がっていくと思います。体質、体型もあるでしょうけど、もう一つ、プロとしての尻や太もも、膝の上あたりにこぶが欲しいですね」と言われている。おっつけの威力は相当のものがあり、2017年11月場所2日目に御嶽海を破った際には「おっつけが良く、相手の肩からみしみしという音が聞こえた。今年の(最高の)一番を更新ですね」と本人が取組後に振り返っている。そのおっつけが評価されて2017年11月場所は技能賞を獲得している。一方、2018年1月場所の相撲を14代二子山は、貴景勝、御嶽海、阿武咲とまとめて「自分はこれが強いというものがあまりないですね」と指摘しており、御嶽海以外の共通点として「押し込んですぐに叩きに行く」と相撲のワンパターンさを突っ込んでいる。2019年3月場所前に14代二子山は自身のコラムで、横綱・大関相手だと頭から当たる良い相撲を取るが、平幕が相手だと手を出して立合いを止めようとして星が挙がらなくなるという傾向を指摘した。2019年3月場所3日目の栃ノ心戦のように左おっつけ右のど輪で廻しを取らせずに相手を遠ざけて勝つ相撲が北勝富士の理想の相撲であり、本人も「まわしを引かれたらアウトだと思っていた。それだけ圧力をかけていくのが自分の相撲」と語っていた。2020年1月場所3日目に鶴竜から金星を奪った際にも右のど輪が決め手となった。2021年3月場所4日目、5日目のような、流血戦も辞さない精神力も持ち味。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 04:37 UTC 版)
基本的に機動力を生かした突き押しを得意とする。若い頃は出足が鋭く勝ち味が早かったが、ベテランの域に入ると出足が若干衰え引き技を交えるようになった。とはいえ総合的な動きは年齢を感じさせないものであり、2014年3月場所前の座談会では、大至伸行が「僕らの時代の琴錦関のようなタイプかな、突っ張ってスパッと相手の懐に入る相撲を取りますね」と評している。2016年11月場所前の座談会では中立から「周りが大きいから嘉風のスピードについていくのが大変なんだろうけど、中に入り方も一連の流れを持っているよね。普通、左を差したいときは右から張っていくんだけど、彼は左で張って潜って左を差すからね」とその異能ぶりを語られた。 2015年12月に出演したラジオ番組で得意技を聞かれた際に本人は「当たっていくけど(元大関)大受のような押しではない。(元関脇)富士桜のような突きでもない。相手の力を利用しながら、円の外に出す。足の裏以外をつけることです。そう言ったら『アドリブだね』と言われた。それなんです。自分の得意技はアドリブ!しゃべっても型がないから、すぐ脱線しちゃうし」と回答している。 上下の動きやフェイントを駆使した突き押しでも知られており、2017年1月場所前にお笑い芸人が集まって行われた座談会ではビッグスモールンのチロが「トレーニングをやってないとああいう動きはできないでしょう」と評していた。同年3月場所前の琴錦の論評では千代の国とまとめて「ただ動き回るという印象の相撲です」と言われ、同時に「嘉風も激しい相撲を取るので観客は沸きますが、いつも顔にケガをしています。相撲のうまい人はまず顔にケガをしないものです」と厳しい評価を下されている。 組むこともあるが左差し右おっつけが嘉風十分であり、2017年3月場所13日目に行われた高安戦の取組後にも「左を差されたら勝てない。それだけを頭に入れていた。突っ張られても気持ちには余裕があった」とがっぷり四つになると弱いことを自覚するかのようなコメントを出していた。 年齢を重ねてもあまり前に落ちにくい力士であり、2015年11月場所4日目の取組で、立合いから白鵬が張り差しに行ったところ右手が偶然後頭部に当たってそのまま右に動いて叩き込みで嘉風を破った際、白鵬は「何とも言えないけど、結果的にそうなってしまった。申し訳ないと言ってもねえ。とっさじゃないし。あんな(簡単に)落ちる力士でもないしね」とコメントしていた。2017年5月場所場所前にはふくらはぎを痛めたが、その影響を考慮して左四つ、右おっつけの取り口にした結果、その技術が評価されて技能賞を獲得している。 ある時知人の結婚式で、1993年・1995年の2度アマチュア横綱になった禧久昭広(鹿児島商高教員)に「僕は先生の相撲を参考にしています。相手の懐に入った時には、どういう意識で攻めていますか」と助言を求めた際に「俺は全部、吊り落としに行っている」と言われ、下手投げ中心の相撲から吊り寄り中心に取り口を改造し、デッドリフトでそれに必要な筋肉を鍛えるようになった。ベテランの域に入ってから力を付けて行ったことに関して本人は「例えばボディビルのチャンピオンは、40歳前後の人が多い。それに比べたら、まだまだ若いじゃないですか」と表現している。 2017年7月場所前のコラムで舞の海は白鵬戦での取組運びに関して「嘉風はただ当たって押し続けているだけではなく、突っ張りながら相手の出方をよく見ています。がむしゃらにこられるより、そういう相撲を取られる方が横綱としては驚異なんです」と評価している。 2018年の記事では稽古場では弱く、そもそも稽古をしないと冗談めかしながら話している。同年の別の記事では「365日のうち10日間」と1年の内に稽古している日を答えており、自分の稽古よりも指導をすることの方が多いという。 30歳を超えても激しい筋力トレーニングをこなす一面があった。ベンチプレスのセットは80kg×8回→120kg×4回→150kg×2回→170kg×5回、以上を3セット、デッドリフトのセットは120kg×6回→180kg×4回→200kg×2回→220kg×4回、を2セットであった。筋力トレーニングのメニューは本人曰く「本当は誰にも教えたくない」ものであるそうであり、引退後にメニューの詳細が初めて公にされた。 引退後、本人は「30歳を過ぎてから、33、34、35歳の時は若い時のように毎日相撲を取る稽古は行わずにトレーニングばっかりやっていた。トレーニングをやっていれば体は動くと勝手に仮説を立てていた」と後悔を口にした一方で「たくさん稽古をして成績を残すということに疑問を抱いていた。晩年は若い衆と同じ稽古量はできないなと思っていた。実際に自分が若い時の100分の1ぐらいの量だったけど質は高めました」と現役時代の経験や考え方を明かした。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 17:58 UTC 版)
基本的に突き押し一本の相撲を取り、四つに組むことはほとんどない。特に立合いのもろ手突きから一気に押し出す相撲が理想の流れである。2016年3月場所前の座談会で高崎は琴勇輝の突き押しに関して「上突っ張りですけど、結構効いているんですね」とその威力を評しており、振分も「十両の時に対戦したけど、あの突っ張りは重たいんですよ」と証言している。左膝の負傷で十両に落ちてから幕内に戻るまでは叩きが増えたが、幕内に定着してからはまた突き押し一本に戻っている。しかし170kgを超えたアンコ型であり前かがみになると苦しいことや変化されることが怖いことからもろ手突きに頼りすぎることが欠点であり、19代朝日山からは変化されることを恐れずにつんのめって頭から当たることと体重を150kg位に減らして膝の負担を軽くすることを助言されている。立合いで手をきちんと付かないことが目立っており、2016年10月28日に行われた土俵祭りの後に師匠の佐渡ヶ嶽が友綱審判副部長から注意を受けた。その後も2017年9月場所の十両優勝決定戦にて手を付いていないことで「待った」が2度かかり、3度目でようやく立ち会いが成立し勝ったものの、相手の安美錦が「あんなんじゃ、やる気がなくなるよ。手をつけってんだよ。こっちが気を使って手を合わせないといけない。(直前に決定戦があった)三段目の相撲を見習ってほしいよね。何十年ぶりに決定戦に来て、優勝どうのこうのより楽しんでいたのに、味わう前に台なしだよ。あんな立ち合い、するつもりじゃなかったのに」と支度部屋で記者に漏らすなど、立ち会いの手付きの悪さは変わっていない。突き押し力士であること、体重過多や膝の古傷の影響などから勝っても負けても相撲が速く終わる。2017年5月場所は14番中10番が5秒以内に終わり、3秒以内に終わったのは6番である。
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取り口
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もろ差し・右四つ・押しが得意である。2012年頃までは押し相撲を基調としていたが2013年に入ってからはもろ差しが主体の四つ相撲を取るようになっていった。現役終盤ではほとんど押し相撲を見せることがなくなり、後述のように差せなければ相撲にならないほどで、それだけ四つ相撲を徹底していた。栃煌山の場合は体を左右にぶらして右や左を差すのではなく頭で当たってから下から掬い上げるような方法でもろ差しを行う。おっつけも使用するが、これは入門前にはなかった武器で入門後に夜稽古で鍛えたものである。栃煌山はおっつけについて「高校時代までは、当たって体を活かして前に出るだけ。おっつけなんてできませんでした。でも、高校3年生の体験入門の時、ケガで幕下に落ちていた栃乃花関と稽古して、右から強烈におっつけられたんですよ。左肩が外れるかと思ったくらい。驚きましたね」「入門して間もない頃、電話番をしていたら、ケガで十両から序二段に落ちていた栃不動関が、復帰を目指して幕下の棟方さんとおっつけの稽古をしていたんですよ。それを見ていたら、『お前もやるか』と誘われて、教えてもらいました。廻しは締めないで、上半身裸になってでしたけど、あれが今の自分のおっつけの基礎になっていると思います」と後に話している。元隆乃若の尾崎勇気は差し身のうまさについて概して「押す力と最初に差した腕を返すことで相手の上体を起こして差し手争いを制する」と評している。 立合いが決まれば速攻相撲で勝利するが、相手十分の体勢を許すと全く抵抗できずに敗れることが多い。以前は相手の引き技や叩き込みに弱くバッタリと前から落ちることが目立っていた(琴錦はもろ差しに拘りすぎて攻め方がわからなくなるからと指摘している)が最近はそれが多少減り、逆に引きや叩きで勝つこともある(2012年9月場所の白鵬戦での金星など)。同じく2012年頃から差し身のよさを生かした肩透かしも新たな取り口として加わっている。 2013年から2014年頃は白鵬にとったりで負けるパターンが多かったが、裏を返せば横綱にとったりを行わせるほどの当たりの強さを持っていた。同時期の栃煌山は185cmの身長が数値ほど高く見えなくなるようなしっかりとした腰の割り方をしていた。それ以降も、白鵬はなにかと意識があるようであり、2015年11月場所では立ち合いに際して猫騙しを仕掛けたり、翌2016年1月場所から4場所続けて、横綱が変化したり手を出すような、他の力士相手ではあまり見せない立ち合いを見せることもあった。星取表に現れる特徴としては、序盤の出遅れが目立つ。 ベテランの域に入ってからは立合いから自然と変化する相撲も増えており、2017年3月場所10日目の大翔丸戦の感想について取組後に「なんかあんな相撲になっちゃう。変化しようとか、はたこうとか思っていないんですけどね」と述べている。脇の甘い力士や受けの相撲を取る力士に対して比較的合い口が良いが、右四つで受けが強い力士や怪力を誇る力士には手を焼いている。舞の海は2017年7月場所前のコラムで「栃煌山などは、白鵬の立ち合いのかち上げをかなり怖がっているように見えますが、それでも必ず頭でぶちかましていきます。手を出して距離を取って激しく突っ張るとか、横綱が出てきたところをもろ差し狙い、あるいは前みつを取るとか、いろいろと考えた方がいいのではないでしょうか」と助言している。 2017年7月場所後の武蔵川のコラムでは、相変わらず差せなければ相撲にならない点を指摘されている。2018年に入ると、ケガによる馬力の低下が専門メディアでも伝えられるようになった。2019年ごろには相撲に重みが出なくなったため、四股、すり足、鉄砲、股割りなどの基礎運動を見直して体を作るようにした。同年7月場所では「1歩目はよくなってきたんですけど、まだ2歩目以降でなかなか力が(相手に)伝わらない」とこぼしていた。 現役時代は師匠から「やりすぎだ」と怒られるほど稽古をしていた。そこまで熱心に稽古していた理由として、運動音痴な自分だからこそ好きで始めた相撲は強くなりたかったという気持ちがある。また、引退後に相撲の幅の狭さ、取り口の柔軟性の低さを自覚するところを語っていた。
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取り口
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低い身長と広い肩幅を生かした重心の低い押し相撲が持ち味。元鳴戸部屋の元関脇隆乃若(尾崎勇気)曰く手首、足首、首という具合に「首」と付く部位が総じて短く、それ故低い重心が生まれるという。立合いのぶちかましは強烈。その後、おっつけ、モロハズを駆使して一気に攻めきるのが理想。しかし脇が甘く体の小さい豪風には致命的ともいえる欠点である。基本的に廻しには目もくれない相撲を見せ、2016年などは年間46勝中寄り切りが0回であった。 一方、中学時代まで柔道をやっていたため一本背負いを得意としており、幕内では2004年5月場所千秋楽には金開山に対して、2017年1月場所8日目には魁聖に対してこの技を決めているほか、十両時代の2004年7月場所でも千代天山に対して決めている。一本背負いは数年に一度しか出ない大技であり、幕内で複数回決めた力士は2019年現在豪風が唯一である。足は短い部類に入るが内掛けなどの足癖を奇襲として披露することもあり、土俵際では首投げや突き落としで逆転することも目立つ。2010年頃からは差し身が良くなり掬い投げや肩透かしもたびたび決まるようになるなど、押し相撲以外でも器用さをみせる。 師匠の尾車親方は豪風の押し相撲について「当たりが極端に強いわけではなく、弱いところを正確に突き放す」と評しており、本人も研究を重ねて相手の弱点を付く押し相撲を心掛けている。元テレビ朝日アナウンサーの銅谷志朗は2014年11月場所前の座談会で「中村が尾車部屋に移籍してからは積極的に質問を行っている」と伝えており、35歳を迎えてからも進歩を遂げるところはこうした研究熱心さによるところが大きい。 30代後半に入ってからはいなしが目立つようになり、2017年7月場所3日目のNHK中継では自身の誕生日について取り上げられたが、その際テロップには「いなしの豪風」とあった。 怪我に強いことでも知られており、同じく件の座談会での銅谷の証言によると「支度部屋で怪我をした豪風を見かけた際に様子を尋ねると『こんなの、怪我の内に入らない』と睨みつけられた」といい、銅谷は「それぐらい気持ちの強い力士」と評した。
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取り口
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長身に胴長短足、深い懐を活かした四つ相撲が持ち味。2013年12月の報道では相撲が遅いことを指摘されており、これに関して本人は「昔は結構、土俵際での逆転負けが多かったんです。早く勝負を仕掛けて負ける。それがあったから、しっかり組んで慌てずにゆっくりゆっくり、というイメージでは確かにやってますね」とコメント。後述の通りお世辞にも稽古熱心とは言い難いが、体の柔らかさもあって隠岐の海の四つ相撲は幕内上位に通用する。かつては良くも悪くも右四つ一辺倒であり、2016年11月場所前の座談会では中立から「技術的には左四つに組んでからの攻めはないし、二本差しもそんなにうまい感じはしない」と評されており、これに対して同じ座談会に出席していた鳴戸は「浅いですよね。だから外から上手を取られてしまう」と評されていた。中立はまた「左四つになったら安心するのか、そのまま構えてしまうことが多い」と批判しており、西岩も「確かに自分から引き付けて寄っていったりとか、前に攻めながら投げを打つとことがないですね」と返していた。それでも鳴戸は「ただ、相手が上手を引いたら体をそっちに寄せるのは上手いですね」とフォローしていた。2017年1月場所前にお笑い芸人達が集まって行われた座談会では「この人は土俵際だね。逆転があるから最後まで目が離せない」とはなわが評している。一方で右でかちあげてから左を差す相撲があるとする2016年の文献もあり、その文献では「前君ヶ濱親方(元関脇・北瀬海)から『もっと気楽にいけ』と言われた。どっちみち今の相撲では横綱、大関には勝てないんだから、左からいって左を差すという一つの型を勉強するのもいいかなと」という本人の発言がある。 しかし、近年は右四つの相撲は影を潜め、むしろ左四つ得意の力士として認識されている。2021年時点では芝田山からも「隠岐の海は左四つになると強い」と評されている。大師匠にあたる北の富士勝昭も、同年九州場所5日目に左四つ右上手から大関・正代を寄り切った一番を評して、「隠岐の海は鋭い立ち合いで右上手を引き、左も差して得意の左四つに組み止めた。これは願ってもない体勢である」と述べている。 元々張りの欠ける体つきをしているが、本人は「体つきも幼少期のぜいたくでこうなっただけで、稽古してないからじゃない。体質ってあると思うし、輝だってあんなにけいこをしていてもあれだから。逆にみんなの体が張りすぎなんですよ」と話している。合い口を見ると、関脇以下でもかつては喧嘩四つだった宝富士に弱く、大関昇進以前から高安にも不利である。怪力の相四つつ力士でも碧山のように腰が軽く土俵際が脆い力士には強いが、そうではない栃ノ心にはやや分が悪い。大関以上に対しても相四つには比較的強い。2018年1月場所では6日目の支度部屋で「立ち合いは力が入り過ぎて、相手にうまく伝わらない。マッチしていない」などと千代翔馬戦の反省を述べており、立合いの感覚の狂いを自覚しているとも取れるコメントを残している。調子の良い場所だと相手の勢いのある突き押しを耐えて組み止めることができ、2018年11月場所13日目の松鳳山戦はその好例である。 投げの頻度は相当のものであり、2018年は44勝中13勝が投げでの白星で白鵬と並んで最多。2020年9月場所の隠岐の海は相手に「廻しを取られたら勝てない」と思わせる程四つに長けており、この場所7日目の正代戦で相手に攻め急がせて自滅を誘ったのはそれを如実に示した好例である。2021年11月場所5日目の正代戦では師匠の八角に「相撲が(大関と)反対だったよ」と絶賛されるほどの立合い、圧力を誇る相撲を取った。 2021年9月場所後、15代武蔵川は相手に合わせて取れることが仇となって、36歳になるこの年まで自分の型を持たないなまくら四つの取り手に甘んじていると指摘している。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 17:57 UTC 版)
相手の懐に潜り込み、鋭い左差しやもろ差しを決めての速攻相撲を得意とする。小さい体であるにもかかわらずまともに胸を出すような立合いをするのが弱点であるが裏を返せば169cmの小兵でありながら胸から当たっても幕内で通用するという意味であり、元和歌乃山は「176cmの僕より小さいのに胸から行く立合いをするので、それを考えれば器用だ」と評していた。豊ノ島の体質について尾崎勇気(元関脇・隆乃若)は「腰が強く柔らかいので土俵際でよく残された」と現役時代の取組の感触に基づき証言している。浦風は「内容的にはケガをしてもおかしくない相撲だね。見ていてヒヤッとするからね。土俵際であんなにエビ反って大丈夫か」と心配しつつ「そこが余裕になってしまっているから。残れるというね。そこがこの男の持ち味と言えばそうなんだけど」と反り腰・残り腰の強さを評している。朝日山(元関脇・琴錦)は2016年3月場所前の記事で、二本に入った時に肘を曲げているので小手投げを食いにくい点、腹を使って圧力をかけることが上手い点、中に入れない時に安易に組まずに間合いを取る点などが特徴として挙げられている。同じ記事では、下半身は硬いがどんな状況でも足が揃わず腹にためを作って必ず前に足を出していることにも触れている。怪我で幕下に落ちた際に「どうせなら最後ぐらい前に出る相撲で悔いなく終わろう」と意識が変わり、自ら突進して攻める相撲に変わった。引退に際しては「自分が、めちゃくちゃ(稽古を)やるタイプではないというのは理解している」と稽古態度について自覚するところを語っていた。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:55 UTC 版)
右四つ得意で右の下手が取れると強かった。スピード感のあふれる取り口で立合いの体当たりは相手を弾き飛ばすほどの強さがある上に前捌きがよく、出し投げや無双を駆使し相手に相撲を取らせないで勝負を決めることができた。寄り・投げなど廻しを取る攻めが中心であったが、突き押しでも相撲が取れた。そのほか相撲の基本的な技能を高いレベルで兼ね備えており、相手の突きを腕で跳ね上げる技術、廻しを切る技術は高く評価されていた。白鵬も琴光喜と組んだとき「上手く下手を取って勝ったと思ったら、すぐにまわしを切られて負けたことがある」と石浦外喜義に語ったことがある。石浦は「上手を切るのは難しくないが、下手を切るのは大変である。琴光喜はそれがピカイチと言っていいほどうまい」という趣旨の評価を自著で行っている。作戦面にも秀でており、特に琴欧洲は琴光喜が解雇されてから助言を受けることができなくなって全盛期の相撲が取れなくなったという。 内無双を得意としており、白鵬にも影響を与えている。白鵬は、2012年7月場所前にインターネットで琴光喜が内無双を仕掛けている動画を閲覧。その後、10日目に大関・鶴竜を内無双で破り、「記憶に新しかった。琴光喜関はよくやっていたから」と語っている。また、白鵬は琴光喜の取り口を絶賛しており、「角界一、相撲がうまいし、素晴らしい大関。一緒の土俵で相撲をとれたことを、誇りに思います」と評価している。 横綱朝青龍とはライバルであり大関争いをした時期もあった。土俵上では互いに闘志をむき出しにし熱戦が繰り広げられ、一時期は琴光喜が6勝3敗とリードしていた時期もあった。しかし琴光喜が両肘を故障したあたりから一気に水をあけられ2008年1月場所終了時点で対朝青龍戦はついに28連敗と幕内対戦成績での連敗記録のワースト記録にあと一つとなり(ワースト記録は栃光が北の湖に対して喫した29連敗)最終的な対戦成績は琴光喜の9勝36敗となってしまった。連敗中は悪夢に大声を上げて飛び起きたこともあった。だが、同年3月場所で5年半ぶりに勝って連敗を28で食いとどめた。朝青龍は琴光喜の才能について、「天才」「組み合いがわかってる」と高く評している。 極度の近視で土俵外では眼鏡姿がトレードマークだったが、レーザー治療を受け視力を大幅に回復させている。 後にライバルになった後輩の朝青龍や白鵬に対しても技術などに関する助言を行うなど、相撲人として角界の繁栄のために惜しみなく自分の力を使ったことでもしられている。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/02 23:24 UTC 版)
右を差して腕(かいな)を返し、胸を合わせて一気に寄る形を得意とする。とりわけ右のかいなを返す型は角界随一の威力があり、兄弟子の潮丸も「盛(高見盛)の右が少しでも入ったら身体が浮き上がった」と証言している。鉄砲柱に肩から当たることで右差しの威力を鍛えたという。下位に低迷するようになってからは左を差す形にも進境が見られ、左四つになることも多かった。 身体が柔らかく、また背筋が強く、土俵際で体がしなり体を入れ替えるなどして逆転勝ちを収めることが多かった。そのため一部では「土俵際の魔術師」と呼ばれることもあった。また、後ろ向きになったときに身体を半回転させて有利な体勢に持ち込んだり、立合いで動かれても対応するなど俊敏さも見られた。 その一方上体が硬く、さらに体が比較的軽かったために、突き押し相撲に弱かった。さらに顎が上がる癖があり、それがますます相手の突き押しを呼び込んだ。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 08:50 UTC 版)
丸っこい身体をしており、少々スピードに欠けるため土俵際で回りこまれ、逆転されることもあるが、その反面、身体を沈めて両差しの体勢を作ることが得意。また、相手を出し投げで崩して寄る、足技をかける、更には足を取るといったモンゴル出身力士らしい、器用さも見せる。関取昇進を果たした際の報道では先代放駒「前に出ろ」という教えが功を奏したと伝えられている。 再十両昇進を果たした2020年1月場所でも体格を活かした両差しの相撲は健在。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 01:25 UTC 版)
得意手は右四つ、寄り、上手投げ。下位時代は体重が110kg程度であったため足癖など様々な技を駆使して勝ちに行ったが、関取に昇進してからは離れて取って素早く動き、手繰りを活かして叩きやとったりで勝負できるようになった。2016年以降は右四つからの寄りが強くなり、2017年3月場所前の座談会で雷(元小結・垣添)が「右四つに組めば、横綱をも寄り切れるということですからね」と2017年1月場所で白鵬から金星を獲得したことを例に出している。同じ座談会で甲山(元幕内・大碇)は「もともと白鵬のミニチュア版というか、体も柔らかそうだし右四つの踏み込み方もどことなく似ている」と形容しており、同時に「前は軽いイメージがあったけど、もともと持っていたうまさに加えて重さも出てきましたね。それによって前にも出られるようになった」と評している。一方で胸が合うと馬力の差が出るため、上手を狙いに左に動くことがある。好角家で知られるアイドルの山根千佳など、著名人の中にも派手な投げ技に注目する人物がいる。2017年7月場所などは5秒以内で終わった相撲が15番中11番、3秒以内が4番であったなど、相撲の速さに磨きがかかった。立合いの当たりで流れを掴まないとあまり強くないようであり、2017年11月場所9日目の栃煌山戦で敗れた際には「自分の力負け。立ち合いで当たれず、無理に出ていってしまった。前に前にという気持ちが強すぎた」と振り返っている。
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取り口
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大きな体格を活かした突き押し相撲を得意とするが、大相撲解説者の北の富士は「180kgというアンコ型の大きな風体であるにもかかわらず器用な相撲をする」と評し、新入幕の場所では「新入幕なのに10年いるような外観だ」とも評した。みのもんたにもTBS『みのもんたの朝ズバッ!』において「この子本当に新入幕?」と評された。 一方で、廻しの締めが緩い、もっと前に出る相撲をすべき、と15代花籠(元関脇・太寿山)からは苦言を呈された。膝を故障して以降は本来の相撲を取ることができずに立合いでの変化が多くなり、解説陣からも厳しく批判されていた。
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取り口
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小ささに付け込まれ受け身に回ると脆さもあるが、立合いから鋭く低く当たる相撲を心掛けており、自身の低さを生かす取り口で、小兵ではあるものの過剰に変化に頼ることのない取り口は評価されている。
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取り口
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押し相撲は非常にしつこく粘っこく、対戦した寺尾に「接着剤」のようだと言われた。また、残る時が非常に巧く、この取り口に関して体毛の濃さと合わせ「毛蟹」や「毛虫」というあだ名も付けられた事もある。
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取り口
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新弟子時代の取り口はうっちゃり中心であり、自ら下がるような相撲が多かった。どちらかというと左四つであるが本人はなまくら四つを自認しており、幕下時代の中盤までは完全になまくら四つであった。その後、立浪から前廻しを取るように指導されて、若浪の左四つが形成されていった。右でも左でも廻しを取ったら投げやうっちゃりや吊りで仕留めた。幕内白星の23%が吊り出しによるものであり、うっちゃりが16%(幕内史上1位の56勝)、上手投げが11%と、その怪力ぶりはデータにも表れている。神風は1971年の対談で若瀬川や肥州山などの吊りの名手を思い出すようだとしながらも、彼らと異なりがっぷり四つになって吊ることが多く、もろ差しになってからの吊りは若浪の場合ほとんど見ないと分析していた。若浪も二本が入るとかえって体の自由度が下がると語っていた。義ノ花なら軽々と吊り上げるほど吊りの威力が高かったが、陸奥嵐など同じく吊りを得意とする力士は苦手とした。全盛期では握力が90㎏もあったが、現役末期になるとそれが60㎏程度にまで落ち、金剛や清國などの怪力の力士に敵わなくなることが多くなった。
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取り口
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立合い激しく当たってからの突っ張り、押しに始まり、前まわしを取れば食い下がりや出し投げがあり、その他にも足技、捻りと技が豊富であった。技が豊富であったが、技巧派よりも野性的な面を持つ業師だった。相手の肩口を両腕で固め自分の後ろにねじり倒す奇手、網打ちの使い手で、十両の土俵で4度決めた。自分より50㎏ほど重い相手を仕留めたこともある。しかし大きい相手にがっぷり四つで胸を合わされると技を繰り出せず、抵抗ができないという弱点があった。
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取り口
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前捌きの名人として知られた相撲巧者であった。若い頃は突っ張り、右四つからの吊りが得意だったが、次第に技巧派の取り口へと変わった。
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取り口
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基本的に左四つと寄りを得意としていたが突き押しもある程度こなせた。上手を引いて前に出る強かった。四つ相撲を取るがもろ差しは上手くもなく頻度も低かった上に、投げもあまりなかった。弱点は腰高と半身相撲であり、引退後に「これらが安定した相撲を取れない理由ですね。自分でも努力して変えようとしたんですけど、練習ではできても本場所では中々できないんですよ」と悔やんでいた。
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取り口
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幕下以下の力士としては特に変化が目立ち、場所に複数回変化することが非常に多かった。7番中6回も変化をしたことも複数回あった。元関脇若の里の12代西岩も、ファン目線に立って一目置き「普通の力士が変化したらブーイング。でも、水口は真っすぐいったらブーイングでしょう。お客さんも水口の変化を見に来てるんです」と、一芸を認めてしまうほどであった。2015年3月場所初日の1番相撲で敗れた際には高崎から「中に入る相撲は珍しい」と評され、NHKアナウンサーの大坂敏久からは「はたく、いなすだけでは駄目ですからね。負けはしましたがいい相撲でした。」と褒められるという現象がみられており、それだけ注文相撲が多い力士として認知されていた。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 16:45 UTC 版)
体格を生かした馬力相撲で、広い額でのぶちかましから出足鋭く攻めた。突き押しや左四つ、もろ差しからの寄りを見せほか、小手投げも強かった。このように攻撃面は強力だったが、腰高で上体が硬く、守りは脆かった。また、脇が甘く簡単に相手十分の四つに組まれることも多かった。
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取り口
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もろ差しと下手投げを主体とした相撲が得意であり、右四つになっても強い。四つ相撲一辺倒ではなく、突っ張りや引き技も持っているため、基本的に組んで良し離れて良しのオールラウンダーである。特に巻き替えからのもろ差しは大師匠の鶴ヶ嶺から師匠の15代井筒、そして自身に伝えられた伝統ある技術である。突っ張りに関しては、現役最末期の頃の寺尾常史に付け人として採用された中で寺尾の突っ張りを見て学んで覚えたという。 しかし引き癖は横綱らしからぬ取り口としてしばしば悪い意味で目を引き、千代鳳や妙義龍などの引き技に落ちない足腰を持つ力士に対して墓穴を掘ることも多い。これに関して15代井筒は「フロイド・メイウェザー・ジュニアのような、他の力士にないスピードだ」と評価している。機動力そのものに対しては評価が高く、2014年3月場所前の座談会では尾崎勇気(元関脇・隆乃若)が「土俵を丸く使うのが抜群にうまい力士で、うまく回り込まれて叩かれたりしました」と現役時代に対戦した際の感想を述べており、大至伸行(元幕内)も同じ座談会で「身体はそれほど大きくはないですが底力を感じます。突っ張りも荒々しいですね」と評している。機動力に対する評価としては他に、2016年11月場所前の座談会での15代鳴戸(元大関・琴欧洲)の「実際に取ってみた経験から、左右の足の動きは速いですね」という発言がある。2018年3月場所前には、舞の海から押し負けたり上体が上がったりした時の対処の仕方が良くないと指摘されている。 2014年11月場所前の座談会では元日本テレビアナウンサーの原和男が「鶴竜の相撲は軽くて、横綱相撲とは言い難い。はたきが悪いとは言わないが、それだけに相手に圧倒されているわけだから」と指摘しており、元テレビ朝日アナウンサーの銅谷志朗は「型がないよね。なんでもできるけど、器用貧乏というか」と、元文化放送アナウンサーの坂信一は「先場所(2014年9月場所)も仕切り線の向こうで勝負をつける相撲が少なかった」とそれぞれ返している。精神面に関しては2016年3月場所前に17代浦風(元幕内・敷島)が「違う意味で諦めがあるような気がしてならないんですよ。優勝争いに食い込むというよりも、自分は自分の相撲を取るだけみたいな普通の幕内力士というか。相撲ぶりももっと激しくてもいいかなという感じがします」とこぼしており、16代高崎(元幕内・金開山)は「もちろん、もっと自信を持ってやってほしいですよね。土俵入り一つ取ってみても、自信なさげに映っちゃうんですよね。上がってきたころはもろ差し速攻といういいものがあったんですけどね」と、16代振分(元小結・高見盛)は「横綱になったから勝たなければいけないという気持ちが強すぎるんでしょうか」とこれに対して返している。 2016年11月場所の鶴竜については15代井筒が「まず今場所は立ち合いの当たりが良かったと思います。スピードはなかったのですが、重みのある立ち合いでした。これまで何度か指摘したことですが、状態がのけぞらなかったのも良かった点です。(中略)それは、腰が良くなったことで背筋(背中の力)が強くなったからではないでしょうか。ですから、アゴは挙がりますが上体が起きないのです。押されても押し返すことができました。また、豪栄道戦で一度だけありましたが、待ったがほとんどなかった。立ち合いのタイミングもうまく取れていました。立ち合いが良くなったという印象が強いです」と論評している。2017年の時点でも引き癖は治っていないようであり、5月場所初日にも引き癖で御嶽海に白星を献上した際には、本人が「引いてしまった。一番取ってはいけない相撲。相手より自分に負けた」と反省の言葉を述べている。 2017年7月場所後の座談会では20代錣山が「稽古はよくやりますが、相撲が軽いというか、立ち合いのスピードがないです。幕内の平均体重からみると軽いほうです。その割には相撲が素直すぎるのです。たまには張ってもいいし、いい突っ張りを持っているので突っ張ってもいいです。突き出せなかったら引いてしまう悪いくせも持っています。ケガもありますが、ケガを治しながら稽古をしていくべきです。自分の相撲を切り替えていかないとだめです」と話していた。同じ座談会で12代阿武松(元関脇・益荒雄)は「みんながやさしい感じを受けるものですから、この横綱は倒せるのではないかという気持ちで取ります。鶴竜には100%以上の力で挑戦してきます。相手を怖がらせる相撲を取って見せつけることも必要です。やさしい印象を受けると攻め込まれて相手に自信を持たれてしまいます」と分析している。 2017年11月場所のコラムでは15代井筒自身が「鶴竜のことで頭がいっぱい」と休場続きの鶴竜のその行く末を案じた上で、怪我防止のための転んで受け身を取る稽古が鶴竜を含めてその時代の力士には足りていないと指摘している。同時期の19代朝日山(元関脇・琴錦)のコラムでは「横綱のプライド故に一気に持っていこうとするが、勝手が違うと思わず引き技で墓穴を掘ってしまう」「横綱になって以降は立合いで当たって突っ張りながら相手の中に潜り込む相撲を忘れて、立ち合いからいきなり前まわしを狙う守りの相撲になっている」という趣旨の分析をされており、同時に「思いきり頭から突き刺さるように当たり、猛突っ張りを繰り出す攻めを思い出してほしい」と若手時代の相撲に回帰すべきだと助言されている。同コラムで19代朝日山は「相撲人生に悔いを残さないようにすべきだ」「寄り切られて負けるよりは、前に落ちてもいいので前進に徹するべきだ」と述べており、正代や逸ノ城など稽古場で力を出さない一門の力士よりも阿武咲や貴景勝などの元気な若手と稽古すべきだと話している。 2019年11月場所を腰痛により休場したことについて本人は体重を160kg近くまで増やしてしまったことを反省点として述べていた。 2020年1月場所初日の様子を見た北の富士は「いかにも元気がない。体の張りもなし」と評していた。その場所中、14代玉ノ井(元大関・栃東)は「脇が甘く、簡単に中に入られる。早く勝負をつけようとして、強引に前に出過ぎだ。休場明けで相撲勘が戻っていないのが原因だろう」と自身のコラムで指摘している。 横綱としては非常に休場が多く、2020年7月場所を途中休場した際は北の富士に「あきれて物も言えない」「実によく休むものだ。おそらく休場は横綱の特権と考え違いしているのだろうか」と酷評された。 引退の際に18代藤島(元大関・武双山)のコラムで「体はさほど恵まれなかったものの相撲はうまかった。亡くなった師匠(元関脇逆鉾)譲りのもろ差しや突っ張り、引き技と多彩で器用だった。横綱にしてはこれという型がなかった。それだけいろんな相撲が取れたということで、前に出る圧力もあった」と評されていた。 明治神宮例祭奉祝 奉納70回全日本力士選士権大会 相手は隆の山関(2011年10月3日撮影) 横綱審議委員会稽古総見(2011年12月23日) 靖国神社奉納大相撲 土俵入り(2017年4月17日撮影) 靖国神社奉納大相撲 相手は白鵬関(2017年4月17日撮影)
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取り口
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基本的に右四つになって寄るか投げで勝負を決める。2016年3月場所前の座談会では振分親方(元高見盛)が「勝機を逃さないところがありますよ。受けて土俵際に詰まることはあるけど、勝機があると素早く動くというか」と話しており、高崎親方(元金開山)も「勝負勘はいいと思いますよ」と同様の評価を下している。こうした相撲が取れるのは稽古熱心さからであり、浦風親方(元敷島)も「稽古場では見ていますけどね、本当に淡々としてますね。コンディションなんかを考えて、その日にやるべきことをやるという感じで」と稽古態度の良さを高く評価している。復帰前は右四つ一本であったが、復帰後は少しずつ左四つやもろ差しも取り入れており、投げに頼らなくもなっている。それ以前までは立合いできちんと手を付かない傾向にあったが、2016年9月場所では親方衆の指導などによって幾分か立合いが改善されている。2016年の幕内の土俵で最も多く変化を行った力士であり、10回行って7勝3敗であった。吊り出しも得意であり、2015年1月場所に吊り出しを決めて以降、2016年11月場所に嘉風が吊り出しを決めるまで、栃ノ心と自身のどちらかしか吊り出しを決めていないという記録がある。立合いの威力は弱い部類にあり、2014年5月場所頃は荒汐が「全然ダメ」「十両の立合い」と辛辣に評価していた。喧嘩四つである豊ノ島に対しては右四つになってがぶって寄り切るのがパターン化している。
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取り口
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入幕当初は怪力・馬力を前面に出した荒々しい突き押しと張り手を武器にしていた。立合いのカチ上げからモロ手で突き放す相撲は威力が十分であった。そのボクシングのような激しさから、北の富士勝昭には「相撲じゃない」と眉を顰められたことすらある。その突きはワキを締めて手を「逆八の字」の形にして行うものであるというセオリーに反して、ワキを大きく広げる「八の字」の形に広げた手で行われるものである。当然ながらワキが甘く、四つ相撲の力士や突きを掻い潜ってくる技能派の力士とは分が悪い。また、この形は肘に負担がかかりやすく、しばしば肘の故障に悩まされている。すり足に難があり足が揃いやすいため、引きや叩きに屈する事も多い。一方で怪力は他の方面にも生かされ、武双山に引導を渡した上手投げや、引き技も強烈である。 現役終盤の頃には突き押しは影を潜め、左四つでの相撲が中心になっている。2009年は全勝利39勝のうち半数以上の勝ち星を寄り切りや上手投げで収めていた。 衰えも見られる取り口について、上述の批判をした北の富士は「昔の荒々しい突き押しを知ってるだけに」と残念がっていた。
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取り口
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得意手は、突き、押し、引き、叩き。2015年に大怪我をする前はとにかく引きや叩きが多かったが、それ以降は前に出る相撲が増えている。浅香山からは「もっと前に出ろ」と指導を受けており、魁渡は「劣勢になると、はたいて逃げる癖があるので、相手を押し切るような相撲が取りたい」と課題の克服を見据える。
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取り口
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前捌きが巧く、両前褌を取って拝むように寄り進む型や左差し右おっつけの型の鋭さ、変化や出し投げや切り返しなどの技の切れ味、いずれも超一級品の技能だった。自ら「入るときは小さく、入ったら大きく」と解説するような、もろ差しになるときの鮮やかさも素晴らしかった。 激しい廻し争いを物語るように両手の指先はたこでカチカチになっていたという。しかし新弟子の頃は春日野から一切廻しを取らずにひたすら押す稽古を仕込まれ、「お前は身体が小さいんだから、相手に廻しがあると思って相撲を取ってはダメだよ」「左差し手も深く差してはいけない。相手に上手を取られたら、小さいんだから勝てないよ」と指導された。稽古前の準備運動も入念にやらされ、四股と鉄砲の量がものすごく、とりわけ四股は立てなくなるぐらいやらされたという。稽古は厳しかったが栃ノ海は春日野に対して「感謝しかない」「栃錦関の時代は、師匠もまだ若かったですし、もっと厳しい指導をされていたんじゃないかなと思いますよ」と話した。 関取に昇進してからしばらくは、右上手を深く取りに行ったところをがら空きの脇に差されて腕を返され体が浮くことがあったため、脇を締めて前ミツを取りに行って出し投げで崩したり親指を相手の脇の下につっ込んで持ち上げる左ハズを徹底したりした。栃錦が師匠となってからは、栃錦は先代師匠の栃木山から栃ノ海を強くするコツを教わっていたそうで、それをベースにして栃錦は栃ノ海を指導していた。
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取り口
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基本的に左上手を取って振り回す相撲が持ち味であり、時折廻しを取らず叩き込みに仕留める相撲も見せた。通算296勝中上手投げで143勝(白星の48%)、叩き込みで42勝(白星の14%)を記録している。一方で腰高で受け身の取り口であるため突き押し力士に弱い部分があり、2011年頃までは立合いで体を起こされてそのまま土俵を割る場面も少なくなかった。2012年以降は肩越しの上手など外四つになる場面を控えて右四つになるまで辛抱する相撲が増えたことに加えて体重が増加したことでそうした弱点がある程度克服されていた。新十両昇進会見では「立ち合いはまだ通用しないので、腰を割ってどっしりした相撲を取りたい」と課題を自己分析していた。長い相撲になると不意に蹴返しを打って勝負を決めることがあった。 足首の怪我が慢性化しているのも弱点であり、前述の取り口の短所と合わせて希善龍を苦しめていた。2014年7月場所中日の解説では竹縄が「足首を痛めているならそれに対応する攻めの相撲をしないといけないのにわざわざ足首に負担をかけるような消極的な受けの相撲をやっている」とその弊害を厳しく指摘していた。
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取り口
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『平成二十二年度大相撲力士名鑑』(ベースボール・マガジン社)には、得意技が「左前ミツ、寄り」であると表記されている。守りの堅さを生かした取り口である。立合いの当たりはあまり強くなく押し込まれることも多いが、頭を付け低い姿勢を常に保って攻撃をしのぎ、前褌を取って攻めるなり相手の引きに乗じおっつけを活かして押し込むなどして反攻に転じる。この取り口は前に落ちることの少ない足腰の強さに支えられている。だが師匠の錣山曰く相撲勘が悪いことが弱点であり、稀勢の里と共に相撲勘の悪い好例として扱われたこともある。ややもすると受け身になりがちな取り口でもあることでいつしか「守りの豊真将」と言われるようになったが、2009年5月場所千秋楽に幕内皆勤全敗を回避した白星を得たことから心境が変わり、2010年7月場所では積極果敢な攻めを活かして初日から10連勝する、2010年11月場所の把瑠都戦などで仕切り線から大きく後退して相手がフワッと立ったところを一気に攻める奇襲を行うなど取り口にも積極性が増した。 5月場所と11月場所には相性が悪く、幕内では5月場所での勝ち越しは2008年と2014年の2度、11月場所での勝ち越しは2006年の1度しかない。逆に3月場所と7月場所には相性が良く、幕内では毎年9〜11勝を挙げて勝ち越していて、引退まで皆勤の負け越しがなかった。対横綱戦は22戦全敗と、対横綱戦未勝利の記録としては2019年7月場所終了時点ではワースト3位の連敗記録。
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取り口
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200kgを超えるほどの巨体を利した相撲だったが完全に脇が甘く、相手に二本差された後から腕を極めて出る取り口が目立った。 一方、貴闘力は太い骨格と丈夫な内臓のおかげで体重の割に動きは良かったと解説している。 稽古場では弱いが本場所では強い、所謂「場所相撲」の力士であり、幕下時代の貴闘力は当時幕内であった豊ノ海を稽古場であっさり負かしていた。部屋の力士たちは下積み時代に豊ノ海との稽古で自信を付け、貴闘力はこの事から「感謝しかない」と語っている。 序ノ口に付いてから引退するまで、一度も休まず、「1316番連続出場」の記録を残している。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/12 02:45 UTC 版)
立合いのかち上げから左四つ右上手を引いての速攻、前へ出ながらの投げあり外掛けありと躍動感ある取り口だった。引き技も早かった。また左脇が固く、右四つの型をもつ玉の海に右差しを許すことがほとんどなく、これは千代の山譲りといわれる。外掛けも自信があり「俺の外掛けを内掛けに返したのは玉の海くらいだ」と言っていた。勢いに乗ると手がつけられないが、反面守勢にまわると脆く、無謀な首投げや二丁投げをみせてかえって体勢が悪くなることもあった。四つ相撲の取り手であったが「ゆるいと気持ち悪い」という理由でカタフンにしていた。頭から当たるのが苦手で、新弟子の頃にぶちかましを行って脳震盪を起こして以来、ぶちかましではなく突っ張りを行うようになった。本人は後に2020年9月場所中日のNHK大相撲中継で「あんなこわい相撲はもう嫌です。人間のやることじゃない」と苦笑していた。 現役時代は稽古嫌いで知られており、サインを求められる際に「何か言葉を入れてください」と頼まれても、「忍耐」「努力」とは書かなかったという。本人曰く「『努力』と書いて努力しなかったらみっともない」「琴櫻関ならピッタリくるけどワシが書いても似合わない」。2016年になっても自身が乗ったタクシーの運転手から「親方、稽古しなかったでしょう」と言われたが、本人は後年自著で稽古しなくなったのは現役終盤期のことであって若い頃はきちんとやっていたと主張していた。特に出羽海部屋時代は佐田の山、栃光、栃ノ海などの面々が揃う中で稽古をやらされたという。玉ノ海梅吉からは「底の浅い現代相撲」とその取り口を評され、本格的な右四つの相撲であったライバルの玉の海が好まれたのとは好対照をなした。北の富士は後年「稽古を見ていない割には『稽古が足りない』とか言うんだよ」と当時の批判に対して反論した。出羽海部屋から破門された形で独立した九重部屋に移籍したことからか、相撲解説者の天竜三郎はさらに甚だしく、放送で「あいつは生意気ですよ」と言ったことがある。 体が柔らかいため怪我は少ない方であった。2021年3月場所13日目にNHK大相撲中継の公式Twitterで「きょうは急いできたから腰がちょっと痛い」とツイートすると「現役時代に腰のケガ?」とリツイートされ、これに対して北の富士は「ない!俺は昔からケガが少ない!そこまで真面目に相撲取ってなかったから」と返答した。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/13 22:46 UTC 版)
基本的には突き押しの力士だが、左四つの相撲もこなすことができ、巨体に似合わず変化やとったりなど機動力を活かした面も持ち合わせている。しかし相撲にムラがあるのが弱点であり、2016年9月場所前の座談会では35代木村庄之助が「いいときはものすごい馬力でもっていくんだけど、そうでないときはさっぱり。脇も甘いですね」と評している。同じ座談会で36代木村庄之助は「なまじ、(押し相撲も四つ相撲も)どっちも取れるから、どっちつかずというか」と話している。その後、四つ相撲に傾倒するようになり、2017年3月場所前の座談会では甲山(元幕内・大碇)が「もともとは突き押しだったと思うけど、最近は四つ相撲の方が多いですね。左四つでの寄りは重くて圧力がありますね」と話している他、竹縄(元関脇・栃乃洋)は「もちゃもちゃしたイメージがあるけど、土俵際でパッと体を離す感じがいいですね。寄りながらの突きというか」と評している。2018年の相撲雑誌の記事には、小手に巻いた自分の手で自分の廻しを掴んで打つ変則的な小手投げ、通称「青木スペシャル」が紹介された。 2020年1月場所中の取組を見た玉ノ井は「体重は180キロを超え簡単には押されないが、押し込まれても回り込むのがうまい。今場所は動きがいいので、相手に重さが伝わる相撲も取れている」と評している。同場所中に高砂は、攻めの姿勢を出せているからこそ残したり逆転の動きを見せたりできると評価している。 2020年1月場所中の報道によると幕下で足踏みしていた頃に一時期師匠であった北の湖によって突き押しから左四つに転向するように助言されたと伝わり、これで後に関取に定着する力士へと躍進したという。 2020年2月2日の『サンデーモーニング』で北の富士勝昭は「立ち合いからガンといかないで、引く相撲が多かった。だから評価が低かったんですよ、僕だけじゃなくてね」と幕内最高優勝以前の相撲を評しつつも「(2020年1月場所)千秋楽の貴景勝との相撲は今までの相撲人生の中で一番最高の形になりましたね。相手に上手を取らせないでね。真価を問われるのは来場所ですね」と話した。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/17 06:11 UTC 版)
入門以来、その長身と懐の深さを活かした右四つからの寄りや上手投げ、抜群の格闘技センスを活かして番付を駆け上がり、初土俵から最速となる所要11場所で入幕(当時。幕下付け出しを除く)。2005年11月場所終了後に大関に昇進した。 得意は四つ相撲で、特に左上手を取ってからの強烈な投げや寄りが得意であった。左四つでも右上手を取れば十分相撲が取れた。また、懐の深さを活かして外四つで廻しを取って引きつける相撲も得意であった。さらには、相手が二本を差して肘を張った状態にもかかわらず通常のように浅い位置の上手を取って引きつける相撲を見せたこともあり、関ノ戸(元小結・岩木山)は自身の対戦経験 を元に「嘘だろ、これはまずいと思って一気にがぶったんですよ」とその相撲ぶりを証言した。稀勢の里のような脇が甘い相手には立合いで両差しにしての速攻の相撲も取る。 上半身の力は横綱級と評される 一方で、総じてプレッシャーに弱いところが弱点とされていた。自身の精神面や体調に左右されすぎる面があり、調子が良い時には横綱をも負かすが、悪い時には平幕にもあっさり負ける面があった。大関昇進時には栃東と共に、当時無敵だった横綱朝青龍と互角に渡り合える力士として優勝・綱取りを期待されていた。 その腕が長い体格ゆえに概してとったり、腕捻りといった手繰り技を仕掛けられることが多く、少しの手繰り技であっさりと負けてしまうことが多かった。特に魁皇との対戦でその傾向がよく見られた。 何より右膝の不安が不振の主因となっていた。これは、2006年3月場所前に朝青龍との申し合いで傷める以前から慢性的に悪い状況にあり、三段目時代には右膝亜脱臼を経験している。 過去には朝青龍の相撲スタイルに対して非難をする発言が複数あり、「(興行である本場所上での)荒々しい相撲」に否定的で、客に対しては「綺麗な相撲を見せるべき」であるとの所感を持つ美観主義者である。屋山太郎など有識者の中には琴欧洲の品格を評価する者もいる。
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取り口
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照ノ富士は2015年2月の健康診断時の公式測定で180kgに達しており、モンゴル人力士としてはかなり重い部類に入る体重を活かした寄りが得意手である。基本的に正攻法の寄りに徹し、右四つに組み止めて左上手を引き付けて胸を合わせる相撲が照ノ富士の型でもある。 一方で上手投げも得意としており、慎重な相撲ぶりから引き技にも強い。一方で裏を返せば引っ張り込む癖や立合いが甘いという弱点を持っているとも言える。相手十分の体勢を許しておきながら、腰の重さで凌ぎ、そのうちに自分の体勢にもっていくのが巧い。2014年1月場所後に照ノ富士が「下がってからという感じで、自分から一気に攻める相撲が全然なかった」と振り返るように積極性を欠く部分もある。横綱時代の調子の良い時だと、左前褌右差しで206㎏(2021年9月場所当時)の逸ノ城を浮かせて寄り切るほどである。 また、右四つからの寄りのほかに極め出しも得意としており、2015年3月場所の豊ノ島戦などで極め出しで決めている。その引っ張り込む相撲は、鳥取城北高時代からの取り口である。『大相撲ジャーナル』2015年6月号55頁では相撲ジャーナリストの荒井太郎が照ノ富士について「意外とテクニシャンですね。相手の右かいなを手繰って左上手を取ったり、左上手を引きつけながら右のかいなを返して寄る相撲も強烈ですし」と評している。 しかし大関昇進後は大きい相撲を取ることや攻めの遅さなどから鎖骨、膝などの怪我に襲われており、高崎もそれを指摘している。 それでも膝の調子が良ければ全盛期ほどとは行かないまでも良い内容の相撲を取れることがあり、2017年3月場所後の座談会では錣山が「ケガをしてからは後ろに下がる相撲が多かったです。今場所(2017年3月)は災い転じて福となすではないですが、下がったらケガをするので、とにかく前へ、前へと出る相撲を取っていましたね。強引でもどんな形でも前に出ています」と取り口の変化とともに好調を指摘している。 2016年以降は怪我が多いため抱え込んで勝つ相撲は少なくなり、手堅く勝つには左の上手廻しが欠かせなくなっている。実際のところ、2017年3月場所12日目の遠藤戦を終えた後の支度部屋では「(上手まわしが)かかってなかったら、危なかったかもしれない。一瞬、持ち上げて崩れたから、足をかけた」と話している。2017年5月場所後には武蔵川(元横綱・武蔵丸)が自身のコラムで「体が反ってしまうのを直してもっと丸くなっていかなきゃ。膝が悪いなりに相撲を取っていかなきゃいけないんだから、そこを変えていかないと近い将来に限界が来てしまうと心配してるんだよ」という分析と懸念を寄せている。武蔵川はまた2016年9月場所後には照ノ富士に対して雑誌の記事で「もともと相撲は雑なんだけど、大関に上がってくるころの相撲といまに相撲とを比べると、もっと雑に、おおざっぱになってしまっているんだな。力で相撲を取ろうとしちゃダメだよ。力任せの相撲じゃ勝てない。これで終わっちゃうよ?だから、右四つをもっと磨いていくのが大事なんだ。相手が左四つできたから自分も左四つにと、相手に合わせ過ぎ。もっと自分の右四つの型に自信を持ってね」とアドバイスしている。2017年3月場所前の時点では好角家でも知られるアイドルの山根千佳の発言によると、大兵だが上手を切る技術に優れているとのこと。 十両復帰を果たした2020年1月場所では、初日の千代鳳戦で極め出しを記録しており、往年の怪力ぶりを見せつける結果となった。千代鳳は土俵を割った際に決められた両腕を抜いており、取組後に「(相手の)力がすごいっす。(腕を)抜かなかったら折れてる」と感想を述べていた。一方、同場所6日目のNHK大相撲中継の解説で師匠の伊勢ヶ濱から「まだ腰が高い」と指摘された。2019新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けてトレーニングジムでの筋力トレーニングを自粛したため、2020年3月場所の頃には筋肉の張りが衰えた代わりに柔軟性が増した。 2020年7月場所5日目の高安戦では上手を取れなかったため、右四つに組まれて黒星を喫した。高安は右四つ得意ではないが、それだけ上手を取れないと照ノ富士は脆いという意味である。 2020年7月場所後の記事では、肩越しの上手や下がりながらの投げといった力任せな相撲が改善され、踏み込んで廻しを取る相撲が増えたと評された。 2021年3月場所中、八角理事長は好調の要因として差されたらすぐに狙って極める相撲が取れていることを挙げた。また、玉ノ井のコラムでは「ケガをする前の照ノ富士は、下半身に負担をかけ土俵際で残ることが多かった。しかし最近は右を差して、左でまわしを取って前に出る自分の形ができている」と分析された。場所後の毎日新聞の記事では、膝に怪我を抱えているものの膝の周辺を筋肉で固めたおかげで膝を曲げた相撲を取れていると評価された。 大関時代の2015年7月場所から2017年9月場所までの10場所と関取に復帰した2020年1月場所から2021年5月場所までの8場所で、白星はそれぞれ95勝、93勝とほぼ同数だが、投げによる白星は25から14と半数近くに減った。また、高校時代に目立った引き癖も見せなくなった。 新横綱場所の2021年9月場所初日の逸ノ城戦で見せた相撲は、花田虎上から「大きな相撲を取らずスキがない。天狗にもなっていない、理詰めの相撲です」と評された。同年11月場所2日目の大栄翔戦では土俵際でほとんど棒立ちの状態から残して逆転勝ちする腰の重さを見せ付け、この一番には北の富士も自身のコラムで「爆弾を抱えているといわれるほど悪い両膝で、よく持ちこたえたものだ。あの執念には恐れ入るしかない」と驚嘆するばかりであった。14日目の阿炎戦では、敢えて土俵際まで突き押しを呼び込み、逆転の引き技を警戒して土俵際で相手が止まったところをこらえて押し返す作戦を成功させるという、驚異的な残り腰を発揮した。また、土俵際で相手の足の内側に足を掛けて残す技術は現役(2021年11月場所時点)では照ノ富士にしかできない技術であるとされている。11月場所後、武蔵川は照ノ富士の取り口の特徴として相手をよく見て常に自分の真正面に置くことを挙げており、対戦相手は立合いで顎を上げさせてから横や後ろを向かせるくらいに動き回ること、差そうとする手の方へ回り込むことを心掛けるべきだと話していた。2022年1月場所中、北の富士は自身のコラムで「まわしを引くと盤石の照ノ富士だが、押し相撲の力士にはけっこうてこずっている」と指摘していた。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/11 07:52 UTC 版)
力士としては決して恵まれた体格の持ち主ではなかったが、多彩な技を持ち、特に頭を下げながら脇を締めて相手を押し上げる左右のおっつけは栃東の代名詞だった。前廻しを引いてからの上手出し投げやタイミングの良いいなし、廻しを切るのも得意。このように技能派力士として素質は非常に高い一方で立合いの変化を上位の力士としては高い頻度で使用することがあり、時として優勝決定戦などの大一番でも躊躇せずに変化を行い、それがイメージを悪くさせることもあった。第11回横綱審議委員会稽古総見の『どすこいFM』で「ここだから言いますけど、私は貴乃花より栃東の方が強いと思っていた」と栃東を評価する敷島も「稽古場で自分の形で勝てるようにならないと、本番でも勝てませんよ」という栃東の意見に対して「稽古場で自分の形でやってたなんて言いますけど、そんなワケないですよ。優勝決定戦で変化するような人ですよ」と反発するなどその策士ぶりを表現したことがある。 横綱朝青龍に10勝15敗、大関白鵬(栃東の引退直後に横綱昇進)に5勝8敗(そのうち2敗は不戦敗)、琴欧洲に5勝6敗、安馬(改め日馬富士、栃東の引退後に横綱昇進)に5勝1敗と外国人力士にも引けを取らず、中でも当時全盛期を誇っていた横綱朝青龍にまともに戦える唯一の日本人力士であり、横綱昇進への期待も高かった。しかしながら、怪我が多いことも影響して、綱取りのチャンスを活かせず実現は出来なかった。対朝青龍戦の10勝は若の里と並んで幕内力士では白鵬(13勝)、魁皇(12勝)に次いで3番目に多い。
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取り口
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2020年は肩透かしで8番勝った。2020年11月場所13日目の常幸龍戦では頭捻りで勝利した。頭捻りが十両の土俵で出たのは24年振り。 2021年3月場所9日目は腕捻りで大奄美から白星を得たが、その内容は相手が土俵際で詰め切れずに膝から崩れ落ちたものであり、本人も「全然勝った感覚がなかった。ちょっとラッキーな勝ち。内容的にはあまり良くなかったが、審判を見ても誰も手をあげていなかった」と驚いていた。
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取り口
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全盛期には187cmの長身ながらも膝を割って腰を落とした低い体勢のまま鋭い出足を活かして前に出て繰り出す押し相撲を得意としており、これは強い下半身がもたらす卓越した型と呼べる。引き技にも落ちにくく、そのまま追尾して引き・叩きに乗じるように勝負を決めることも多かった。特に引きに乗じる相撲は上位陣に対して大きな威力を発揮していた。この押し相撲の型が評価されてこれまでに技能賞を6回獲得している。 押し相撲だけでなく右差しから寄る相撲もこなすことができる。一方で守勢に回ると脆く、突き押しを受けると後退しやすく廻しを取られると粘れない部分がある。実際のところ、10回以上幕内で対戦した最高位が関脇以下の力士の中での、もろ差しを得意とする力士やパワー型の右四つ力士との対戦成績は一概に良いとは言い切れない。逆に、左四つ一辺倒の力士や突き押しと左四つの折衷型力士には比較的相性が良い。2016年11月場所前の座談会では西岩に「以前は前に絶対落ちないのが持ち味だったんですけど、最近はそうでもなくなってきている」と評されており、同席していた中立は「稽古量がちょっと減ったというのはあるよね。目の手術やいろいろなケガとかでやりたくてもできないというのはあっただろうし」と前に落ちやすくなった理由を語っている。 2021年3月場所になっても、前に出る意識と持ち前のスピードは健在。2021年9月場所7日目の取組後、八角理事長は「前みつを取っていい相撲だったけど15日間、気力や体力がもつかどうか」と妙義龍の持久力を疑っているとも取れるコメントを残した。 2022年7月場所は、2日目、3日目と2日連続で「待った」をするなど立合いが合わない場面が目立った。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 20:58 UTC 版)
基本的に突き押しを得意としており、左四つ力士や突き押し力士相手には体当たりからの突き押しでそのまま押し切る。右四つ力士と取る際には右のど輪と左おっつけを駆使した四つ相撲を取り、左のおっつけを上手に変えることもある。組んでも取れるが本領は突き押しであり、親方衆からは突き押しに徹するように進言されている。その馬力の高さは同部屋の正代を凌ぐされており、新十両会見の際に時津風は「馬力は正代と違う。ぶつかり稽古でも、押す力は数段、小柳の方が強い。(正代とは)稽古場でも分が良すぎる」と笑った。引き技は得意ではなく、引いた相撲では決まって負けるため、2016年7月場所の4番相撲で若乃島に引いてしまって敗れた際には「(引くという)やっちゃいけないことをやった。そりゃ、負ける」と猛反省し「全然思っていないけど、今日の相撲がダサすぎる」とコメントした。恵まれた体格をしているが腰高が弱点であり、低く入ってくる相手には「大学時代から苦手。じっくりじわじわ調理されちゃいます」と相性が悪い様子であり、2016年11月場所3日目の里山戦などでその弱点を突かれている。2017年3月場所後の座談会では錣山(元関脇・寺尾)から「ただ小柳は中途半端な相撲が多いです。なぜかと言うと、突き押しが一番いいのですが、四つに組んだり、外四つでも強引に攻めたりしています」と指摘されている一方で「外国出身力士の碧山とか栃ノ心にパワーで負けないのが小柳ですよ。それくらい小柳はパワーがあります」と高く評価されている。新入幕の2017年5月場所で大敗したことに関して武蔵川(元横綱・武蔵丸)は太り過ぎと体の硬さが原因であると指摘しており、立合いを磨くことと減量することを助言している。2017年7月場所前のコラムでは二子山(元大関・雅山)が「豊山の体形を見ると、本来押し相撲でしょう。それなのに自分から組みにいったりしては何の魅力もありません。それに少し体が固いような気がします」と話している。2017年11月場所前の座談会では舞の海や阿武松(元関脇・益荒雄)から相撲に迷いがあり攻めが遅い、股関節や膝が硬いと指摘されている。2018年夏巡業中、豊山自身「立ち合いからの二の矢、三の矢がまだ上位の人に比べたら弱いので…」と欠点を認めている。基本は胸を出す立合いだが、2020年3月場所中日の朝乃山戦では珍しく頭から当たって廻しを取らせず掬い投げで下す相撲を見せた。2020年7月場所5日目のNHK大相撲中継の幕内解説で井筒が「相手に直線的に圧力をかけるのが魅力ですが、圧力が上に抜ける。本人にはすぐにできるようなもんじゃないから、来年、再来年にできるようになればいいと伝えています」と説明していた。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 17:51 UTC 版)
中学時代までは押し相撲であったが高校時代に恩師の浦山から四つ相撲を学び、これが後に大相撲で操る取り口となっている。 基本的に右四つになると非常に強い。右を差して胸を合わせて足を寄せて寄るか上手投げで仕留める速攻相撲が持ち味。懐が深く、廻しを取る手がよく伸びる。右差しを深くねじ込み左前みつを掴むと十分の体勢になる。しかし半身になる癖があり、2017年3月場所後の座談会で20代錣山が「右四つなので半身にならなければいいです。右四つならばとても強いですが、たまに半身になることがあります。それさえ直せば、朝乃山も小柳に負けないくらいの力士になれると思います」と指摘している。基本的に右四つ左上手に徹しており、四つに組めないと相撲が長引く傾向がある。下手からの投げはほとんどない。調子のよい場所では廻しにこだわらない右差しの相撲が光り、2019年11月場所11日目の宝富士戦で寄り切った相撲はその好例である。 2017年7月場所後の座談会では20代錣山が「朝乃山は右四つのいい形を持っています。ただ、大きい相四つの相手には通じません。左上手を深く取る悪い癖があります。魁聖戦でも胸を合わせて簡単に寄り切られています。もっと左の上手を浅く取って、すぐ頭をつける方がいいです」と論評をしている。錦木など並々ならぬ力強さのある力士には四つに組んで負けることもあるが、突き崩してから上手投げを放つと強く、2017年9月場所10日目などはそのような相撲で勝っている。2017年9月場所は5秒以内に終わった相撲が15番中2番にとどまっており、そのことから15代武蔵川(第67代横綱・武蔵丸)から場所後のコラムで「まだ相撲が遅い。いい体を持ってるんだから、早く動く稽古をすればいい」と言われている。2017年11月場所前の座談会で舞の海は「均整の取れた体型で、突っ張りもあるし、右四つに組んでも強引にかいなを返して胸を合わせていくあたりはすごく魅力があります。将来性を感じますね。悪い癖もないですし、このままおおらかに育っていけば、大器になっていくと思います。上背もあるし、膝のケガをしていない。これは大きいですね」と絶賛しており、12代阿武松も「朝乃山は本格派ですよ。秋場所は突っ張りが効いていました。また上手を取ると腰がぐーんと下がるのはかっこいいですよ。形がいいなと思います。上背がある人は立腰で寄るので、逆転されたり中に入られたりするんですが、朝乃山は四つになったときの形がすごくいいです。突っ張りも何番も出ていましたので、相当力をつけているように見えます」と高評価していた。同時期の黒姫山のコラム内では、相撲を覚えられて以前のように簡単に右四つには差せてもらえないはずなので、相手を弾き飛ばすようなものを身に付けるべきだと言われている。11月場所前の相撲雑誌の記事ではメンタル面が弱いことを公言していると書かれている。 2018年9月場所前の記事では花田虎上(第66代横綱・若乃花)から「腰も高くないし、まりが弾むような取り口で昭和のお相撲さんといった感じがしました」という評価をされた。同時期、舞の海からは「上背があって変な癖も小細工もなく、グイグイと右を差し込んで上手を取って、攻めながら自分の形をつくっていく取り口に将来性を感じます」と評されており、また「朝乃山のスケールの大きさが強く印象に残ったのも、ここ最近は押し相撲が増えているからです」とも言われている。同じ右四つ得意の力士に対しては左上手を取れないと脆く、2019年3月場所7日目の隠岐の海戦で右四つになったにもかかわらず敗れたのはその好例である。 2019年頃になると右からの掬い投げを武器とするようになり2019年5月場所5日目の輝戦はその好例である。だがこの取組をAbemaTVで解説していた9代陸奥は「この相撲では上に行ったら勝てない。自分が先に上手を取って、相手に上手を取らせない。そういう相撲を取らなければ」と注文を付けた。小学校時代のハンドボールの経験が活きているのか相手に対する反応が良く、2019年5月場所中の記事では反応の良さについて触れられている。師匠の7代高砂が同場所中に寄せた論評では、立合いの厳しさが増して左上手が取れない相手には突き放す相撲を取ると分析された。このように成長を見せたのは同年春巡業中に同じ右四つ得意の栃ノ心に稽古を付けてもらったのが関係している。同年7月場所中の記事で、16代荒磯(第72代横綱・稀勢の里)は8日目の遠藤戦について「馬力が技術力に勝った一番」と述べた。朝乃山の差し身の巧さにも触れながら「馬力は稽古でつけるしかありません。つらいことを繰り返した人間だけにつくものです」と場所前からの稽古の成果を評価している。 初優勝までに負け越しを繰り返して足踏みしていた頃はまわしを引いても安易な投げに頼ったりして墓穴を掘ることが少なくなかったため、これは高砂から「攻めろ。四つ相撲でも攻撃的にいかない限り勝てない」と注意された。2019年11月場所前には中々左上手という自分の型になれないことを舞の海から指摘され、「左上手をとれないときには左からおっつけるなどの工夫が必要。立ち合いで真っすぐ当たるのではなく、斜めから当たって相手の前まわしを引くようなひとひねりが求められる」と助言された。11月場所後、15代武蔵川は「いい相撲で勝ったと思ったら翌日にはあっさり負けてしまったりと、まだ相撲にムラがあるけど、それが直ったら大関もすぐだね」と期待を寄せる論評を行った。2019年冬巡業の様子を見ていた14代玉ノ井は稽古で四股、すり足が少ないと指摘していた。2019年12月26日に本人は朝稽古を行った際に「前に出るのが自分の相撲だが、この番付だと自分の相撲は簡単には取れない。まわしが取れなかった時の対策も考えないといけない」と話していた。2020年1月場所番付発表の際の時事通信の記事では「持ち前の右四つの取り口に磨きをかけ、突き押しが武器の相手への苦手意識も克服しつつある」と評されていた。 2020年3月場所初日の隠岐の海戦では突き落としが得意な相手を警戒して慎重な寄りで下した。2020年3月場所中、師匠の7代高砂のコラムで胸や肩からしか当たらないワンパターンな立合いを指摘され、右四つにならなくても勝てるよう相撲の幅を広げるようにと注文を付けられた。中日の豊山戦を観た16代荒磯は脇甘を治すことが大関昇進に向けての急務だと指摘した。大関昇進の際に13代境川は「上を目指してほしい。頑丈だし、前へ出る相撲だからけがをしない」と朝乃山を評した。大関昇進の白星数の目安を満たさずに昇進したのは正攻法の取り口が評価されたためであるという見方もある。 2020年3月場所後の稽古の際には「立ち合いの鋭い踏み込みや瞬発力が大事。そのために下半身を鍛える。前に出れば、自分の持ち味が生きる」と自ら課題を口にした。 2020年7月場所4日目の大栄翔戦では土俵際で弓なりに腰を反らせて残す柔軟性を発揮して逆転勝ちしている。 大関昇進後、師匠の7代高砂は「入門した当初は光るものがなかった」と朝乃山を語った一方で「正攻法の相撲を取れたからこそ大関になれたっていう感覚も、朝乃山は持ってるんじゃないの?跳んだり跳ねたりする相撲じゃないしな」と評している。朝乃山も「それは、やれと言われてもできないです(笑)」と、寧ろ飛んだり跳ねたりする相撲が苦手であるとしている。7月場所中、15代武蔵川からは体重をこれ以上(172kgより)増やさないこと、出し投げなどに頼らず前に出て土俵外に出す相撲を心掛けることを助言された。 あまり稽古熱心な力士とは言い難く、2021年1月場所12日目に照ノ富士に敗れて対照ノ富士戦4戦全敗を記録した際は「若い力士相手に、十数番で満足しているようでは、強くなる訳がない」と指摘された。 北の富士(第52代横綱)は、2021年3月場所2日目の高安戦で尻から落ちる相撲を見せたことを指して、下半身が弱体化していることを指摘した。4日目の阿武咲戦を辛勝したのを見た八角理事長(第61代横綱・北勝海)は「左から引っ張り込んで安易に止めようとしている。もっと苦労して、苦労して相撲を取らないと将来、伸びない。楽な勝ち方をしていると(成長が)止まってしまう」と押し相撲への対処の安易さを指摘した。場所後に武蔵川から、肩を使って当たることで組むという相撲の基本ができていないと評された。 2021年4月20日の合同稽古で御嶽海と三番稽古を行った際「相手は押し相撲ですし、相撲も器用なので右か左、どちらかを取れれば、深くではなく浅く取るように意識していけば、自分の形にできるし、相手も逃げられない」とイメージするところを語った。2021年5月場所中、14代玉ノ井は安易に組んで万全の体制になるまで待つのではなく、もっと自分から先手先手で攻めて相手を揺さぶり十分を目指すべきだと指摘した。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 11:03 UTC 版)
新入幕時の報道によると「10種類はある」という変幻自在な立ち合いが武器で、直近2~3年の相手の取組を研究して場所に臨む研究熱心さも備えている。一方、持病の腰痛の具合が悪い場所では不成績に終わりがち。 2021年9月場所2日目の魁聖戦で黒星を喫した後には「(体重が増え)重さは出たが、動きは少し鈍くなっている。絞っていきたいと思っている。(ここから)怖がらず、思い切り相撲をとりたい」と太り過ぎを自覚するようなコメントを残している。 2022年1月場所12日目の千代大龍戦では立ち合いで右フックのような強烈な張り手を披露(取組は寄り切りで剣翔の勝ち)しており、取組後に千代大龍がふらついたことからABEMA大相撲中継のコメント欄で話題になった。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 08:19 UTC 版)
得意手は左四つ、寄りで、左を差すと十分に力を発揮する。 花田虎上によると、引きつけて前に出る若元春の力は相当なもので、まわしを切るのもうまいとのこと。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 12:23 UTC 版)
スピード十分の突っ張りと相撲勘を主軸とした取り口を持っている。諸手突きで相手の顎を上げて前が見えないようにしてからの引き技も武器。2015年3月場所前には師匠から「突っ張って両手で引く取り口が一番似ている」と言われた。喉輪なども強く、土俵中央で繰り出してそのまま流れで出すパターンもある。一方で腰高なので入られやすく、組まれるとあまり残すことはできない。調子の悪い場所であれば引き技が裏目に出ることが多くなりがちである。 2017年に入ってからは食事と睡眠を増やしたことで体重が増え、安易に引く場面が減って勝負に対する我慢強さも出るようになった。とはいえ新入幕した頃になっても気持ちが載った時に突っ走るのを除いて基本的には突いては叩く相撲なのでやくみつるはそれほど評価しておらず、始めて敢闘賞を受賞したのを見てようやく「光明が差してきた」と2018年1月場所のコラムで見直している。同じ時期のコラムでは武蔵川は軽量を指摘しており、もっと増量すべきだと話していた。勝つためには変化も厭わない性格であり、2018年1月場所中、本人は変化をしたことについて「自分の勘を信じた」「勝てばいい」という趣旨のコメントを支度部屋で残している。2018年1月場所6日目に黒星を喫した相撲を、師匠の錣山は「足を出していないんじゃなく、手が回転してないから足が出ない。短距離走でも手を振れば足がついてくるでしょう」とNHK大相撲中継の解説で厳しく指摘。2018年9月場所前の相撲雑誌では14代二子山が「師匠の錣山親方の現役時代に比べると、突きの回転が遅いですね」と注文を付けられており、その上で「相手の体重を抑えられるくらいの筋力をつけて、もっとノド元を攻めていけば、他の技も出しやすくなると思います」と助言している。14代二子山は同じ記事で「まだ自分と相手の距離感がつかめていない感じがします」「立ち合いも仕切り線にやや近いような気がします。手足が長いので、最初のもろ手突きは手が伸びるくらいがいいのではないでしょうか」と指摘している。股関節が柔軟であり四股の足も良く上がるので、「四股王子」の異名もある。 2019年3月場所前のコラムで14代二子山は、自分が手を伸ばしやすい距離で相撲を取れるようになったと、距離の取り方について評価していた。2019年11月場所中に北の富士が中日スポーツに寄稿したコラムでは「立ち合い、もろ手突きしかないのが物足りない。体もできてきたので、体全体で当たる立ち合いが身に付くと戦力は増すだろう」と評された。一方、同場所中の毎日新聞では「安易な引き技で星を拾うことも多かったが、今場所は前に出る相撲が目立つ」と評価されていた。2019年冬巡業では150㎏強まで増やした体重を活かした四つ相撲に意欲を見せた。 2020年1月場所番付発表の際の時事通信の記事で朝乃山は「持ち前の右四つの取り口に磨きをかけ、突き押しが武器の相手への苦手意識も克服しつつある」と評されていたが、にもかかわらず2020年1月場所4日目の朝乃山戦では立合いで諸手突きが来ると分かっていた朝乃山をそのまま下しており、阿炎の突き押しの練度の程が窺える結果となった。 2021年9月場所中は突っ張りがよく伸び、離れて取って相手に何もさせない相撲が目立った。2021年11月場所中に8代尾車は、謹慎休場を経て前に出るひたむきな気持ちが芽生え、突きに重さが加わったと指摘している。場所11日目に花田虎上は自身のコラムで「不祥事を起こす前の阿炎は、攻めても引いて楽に取ろうという相撲で、三役のある程度まで上がった後は番付を下げていくんだろうなと思って見ていました。それが、何が幸いするか分かりません。あの不祥事から改心したことで相撲も変わりました。相手を起こして出るのはつらいことですが、土俵に上がれないつらさを味わったことで『絶対に引かない』と我慢できるようになったのでしょう。星3つです」とこの場所の阿炎を絶賛した。投げはあまり打たず、2022年3月場所4日目の明生戦で小手投げによる白星を得た際は北の富士から「阿炎の投げ技はあまり見たことはないが、いずれこんな相撲も取れるようになるだろう」と期待を寄せられた。しかしこの場所の9日目で2敗を喫した際に引き癖がまた見え、北の富士のコラムでも「今場所は先場所ほどの気力も馬力もない。ちらりと馬脚が見えたのは、目の錯覚だと良いのだが」と苦言を呈された。不祥事を経て対戦相手の研究も怠らないようになり、照ノ富士に勝てるようになったのはその事によるところが大きい。
※この「取り口」の解説は、「阿炎政虎」の解説の一部です。
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取り口
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短躯肥満を活かした速攻の突き押しを得意とする。基本的に組みも引きもせず一直線に出る相撲を取り、下半身のバネの強さを利用して相手を一気に土俵外へ出す相撲もままある。一方でバネが強いということは股関節が固いということであり、体重が重いこともあって簡単に落ちる相撲も目立ち、負ける時は大抵引き技で負ける。両足首が悪い場所は前に出る力も弱くなり、元々落ちやすいのがさらに落ちやすくなる。2017年5月場所で敢闘賞を受賞した際には「いいところも悪いところもあって課題が見つかった。立ち合いを磨いていきたい」と自身の相撲ぶりについてコメントしている。2017年5月場所などは相手を見過ぎて得意の速攻が見られず、武蔵川(元横綱・武蔵丸)もそれを指摘している。同場所では15番中10秒以内に終わった取組が13番、5秒以内が10番と、相手を見過ぎたとはいえ相撲は速い。2017年11月場所前の座談会で、阿武松は基本的に叩かれてもいなされても突き押しに徹するように阿武咲に指導しており、突き押しを交えながら相手の内側に入っていく方向で相撲を教えている、という趣旨の発言をしており、舞の海は同座談会で「阿武咲は一七六センチとあまり長身ではないので、絞ってこられたらなかなか下手は差せないし、上手を取ろうとすると押されてしまう。あの体型は武器だと思います」とコメントしている。同時期の別のコラムではそれに加えて「ある程度馬力があって動きも速い」「引き足も速く、廻しを取ってもいい。相手にしても見れば絞りきれない部分もあってやりづらいことでしょう」と絶賛している。タレントで好角家の山根千佳は2017年秋巡業のレポートで「突き押しはもちろん武器ですが、それ以上に判断力が素晴らしいと思ってます。押し相撲だけでなく組んでも相撲が取れるところも魅力ですね(中略)十両の時は見ていて力を持て余しているような感じで、前に出過ぎて負けてしまうような相撲もありましたので」と話している。一方、2018年1月場所の相撲を14代二子山は、貴景勝、御嶽海、北勝富士とまとめて「自分はこれが強いというものがあまりないですね」と指摘しており、御嶽海以外の共通点として「押し込んですぐに叩きに行く」と相撲のワンパターンさを突っ込んでいる。2019年5月場所頃の阿武咲にとって理想の相撲は差し手を封じて喉輪で上体を起こしてそのまま前に出る相撲であり、同場所6日目の朝乃山戦がその典型である。2020年3月場所10日目には白鵬のかち上げにひるまずにしぶとく前に出て押し出しで破っており、八角理事長(元横綱・北勝海)から「白鵬に勝つにはこういう相撲という、お手本のような内容だった」と評された。四つ相撲が全く取れない訳ではないことが却って災いし、廻しを狙う立合いをして当たりが弱くなることもあり、2021年11月場所2日目がその好例である。2021年の平均取組時間は4.8秒であり、この年の6場所全てで幕内在位した力士の中で1位の相撲の短さ。
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取り口
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長いリーチを生かした小気味良い突き押しが持ち味。2018年9月場所前の雑誌の記事によると、兄弟子の松鳳山は「相手をよく見て相撲を取れている。相手が見えない時には引いて負けているけどね。センスがあるし、基本的に物おじしない。いずれ(関取に)上がるでしょう」と勝負度胸の良さを評価していた。[要出典]2022年5月場所中の記事によると、横に動かれた時の対応力が持ち味であると見られる。同年7月場所中には「一山本が先場所(5月場所)あたりから相撲内容が激しくなって、前に出る取り口が目立ちます。阿炎に体つきも相撲もそっくりと言ってよいほどです。うまく育つと面白い存在になるかもしれません」と北の富士に評された。
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取り口
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入門当初は体重が87kgしかなく、圧力に欠けるため投げ主体の相撲を取り、引き技も多用していた。当初から投げが得意で取り分け上手投げが強みだが、幕下に定着する前まではまともな寄りや押しに屈する場面が多かった。幕下に定着するようになって120kgに迫る体格を手に入れてからは引き技が影を潜め、代わりに廻しを引いてのしぶとさが活きるようになった。組む時は両廻しを取ると特に強い。2014年1月場所後の稽古場では廻しの引き付けを活かし、体重180kgの千代丸に勝つこともあった。稽古場で強い反面本場所に弱いとされ、部屋の弟弟子である千代大龍が不思議がっている様子が伝えられたこともある。新十両会見では13代九重から「まあ、しょせん無理だろうけど。」とくぎを刺されたものの「(九重)親方みたいに前まわしを取って攻める相撲を取りたい。」と取り口についての抱負を語った。新入幕を果たしたころの相撲ぶりについては、2016年9月場所前の座談会で35代木村庄之助が「この力士も投げばかりという感じだね」と評した。阿武松には2016年9月場所後の座談会において「もっと上にいこうと思えば変化を減らして、踏み込んで速く上手を取る相撲を目指してほしいです。」と注文を付けられた。2017年3月場所6日目の取組後には「立ち合いだけしっかり当たって、あとは体に任せる。当たりが悪いと軽いし、何もできない。」と自身の相撲ぶりについて語った。入幕してからも引き技が強く、2016年11月場所などは勝った9番中4番が叩き込みによる白星であった。2017年3月場所6日目に北勝富士を叩き込みで破った際にも「立ち合いだけしっかり決めて、あとは流れに任せようとした。」と、あたかも引き技を前提としているかのようにコメントした。2018年3月場所前の寸評では、しぶとさと思い切りの良さで動きながら勝つ相撲を取りつつも、自ら「自分の持ち味がない。」と自分の型を模索している様子が伝えられた。張り差しも武器だが2019年5月場所9日目の佐田の海戦のように露骨に諸手突きで対処されて負けた相撲など、あまりに多用して相撲を覚えられてしまうケースもある。
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取り口
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立合いのかち上げや相手の胸をめがけての突っ張りを得意手とする一方で、とっさの叩きも見られた。非常に腕力と足腰が強く、がっぷり四つの力は横綱・大関を苦戦させる程だったが、概して力任せな場面が伺えた。入門当初の大嶽の評価は「腕力はあるが体が硬く腰が高い。上突っ張りなので下から突けるようになればいい。」と荒削りさを指摘したものであり、新入幕会見では「幕内力士はみんな強い。オレの相撲は80・90%がパワー。幕内の相撲とは全然違う。」と自身の相撲ぶりに対する認識を口にした。 かち上げについては特に2014年7月場所に積極使用したことと顔面目がけて横殴りに見舞うその変則の形から物議をかもしたことがある。以降、立合いのかちあげは基本的に控えていたが、上述の通り2017年11月場所11日目の剣翔戦でもかち上げを行い脳震盪を起こさせた。武蔵川には「自分の形になった方がいいんだけど、相手の形になってから無理をしてるんだ。だからケガしちゃうんだよね。自分の形になるまで時間が掛かってしまうという、この欠点が直れば、きっと三役まで行けるよ」と評されていた。 その荒々しい相撲が仇となり、特に2015年以降は怪我に苦しんだ。2015年1月場所から2016年11月場所まで、皆勤した場所は全て勝ち越したが、怪我をした場所では大敗や全休によって大きく番付を落とすという動きを繰り返した。2016年11月場所前にお笑い芸人を集めて行われた座談会では、好角家として知られるはなわが「腕力だけでいっているからね。基礎からやったとしても、癖が抜けそうもないし。そもそもの持っている癖が原因かもしれないし」と感想を述べていた。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 20:26 UTC 版)
2014年1月場所前に開かれた座談会で相撲甚句歌手の北脇貴士が証言したところによると、肩や胸の筋肉が発達しており意外と筋肉質であるという。2015年5月場所前の時点では、怪力で知られる照ノ富士よりも重い重量をベンチプレスで持ち上げることができたという。この体を活かした左四つの相撲が得意であり、2014年11月場所9日目の対戦相手である魁聖は取組後に「左四つになったら絶対勝てない。(宝富士は)左四つの化けモンだから」と感想を述べていた。魁聖だけでなく豪栄道も「左四つがっぷりにならないように」と2017年5月場所13日目の支度部屋でその左四つを恐れるコメントを残した。相手は左を差させないように突き放すことを心掛けるが、しびれを切らして脇が空いたところに差すのが宝富士の勝ちパターン。四つが通用しない場合であっても土俵際での突き落としや投げを武器に応戦する。 浦風は「相手の攻めを受け流して土俵際で逆転勝ちするイメージしかない(笑)」と評している。一方で立合いからの積極性があまり高くなく、腰が高いという弱点もある。小さい頃から体が大きかったため頭を付ける相撲はほとんどやったことがなく、新小結の地位を得た2015年7月場所前の稽古で師匠から頭を付ける相撲の指導を受けて戸惑う様子が伝えられたこともある。尾崎勇気からは「宝富士は、決して器用なタイプではありません。左四つのなり方にも、栃煌山の双差しのような工夫は無く、立ち合い、左肩で当たると、ひたすら左を差しこもうとする動きを繰り返すだけです」と、差し身がうまくないという評価を受けている。場所序盤に出遅れる悪癖もあり、終盤に星勘定を合わせるパターンがざらである。 2016年7月場所終了直後、日馬富士は宝富士の進歩ぶりについて「以前は気持ちが弱く、動き負けしていた。今はもともと持っている力に気持ちがついていっている」と評価。この頃には左を差せない時のための小手投げも体得していた。2016年9月場所前の時点では、35代木村庄之助が「小力というか腕力が強い。ただ、下半身が硬いね。でも、これは直らないだろうな」と座談会で感想を述べている。2016年11月場所前の時点では座談会で鳴戸(元大関・琴欧洲)から「膝が曲がって背中も丸くなれば、力的には大関ですよ」と伸び代を期待されている。2017年1月場所前にお笑い芸人達によって行われた座談会ではビッグスモールンのチロが「最近は押されなくなったというか、地味に強くなっていますね」と評しており、はなわも「僕は同じ左四つの稀勢の里戦を見ていると、徐々に力を付けてきているなという感じがする。昔は全然、通用しなかったから」と分析している。2017年3月場所前の座談会では雷(元小結・垣添)から「左四つに組んだら抜群の力を発揮しますからね。ただ、最近は対戦相手に研究されて、なかなか自分の形にならせてもらえないですね」と明かされている。合い口を見ると、関脇以下では富士東や北太樹といった相四つの力士や、豊響や玉鷲のようなさほど動かない一直線の突き押し力士に対して有利である。反対に、逸ノ城のように巨体を有する力士や碧山などの怪力を誇る喧嘩四つの力士には不利であり、妙義龍や嘉風と言った機動型の突き押し力士にも分が悪い。 30代半ばになっても持久力は衰えを知らず、2021年9月場所7日目には29歳となっていた翔猿と長い相撲を取って音を上げさせて白星を挙げている。これについて北の富士は、場所中でも朝に稽古場へ下りる伊勢ヶ濱部屋勢全体の稽古量を高く評価している。35歳の誕生日を控える2022年1月場所中の時点でも、四股や鉄砲などの基礎運動を欠かさずに行うことから、若い頃と変わらずパンパンに張った体をしているのも特徴。7月場所2日目でも敗れはしたがよく動く一山本に付いて行く機敏さを見せた。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 11:07 UTC 版)
「ひねり王子」との愛称で呼ばれるように、捻りが得意手。捻りであれば特に左右の区別なしに両方から捻りを繰り出す。また、上手下手も特には関係がないようであり、これまた両方から捻りを繰り出す。兄弟子の石浦が潜りこんで前ミツを取るのに対して、炎鵬はひたすら動いて横から崩すのが特徴で、師匠の12代宮城野からは「絶対に止まってはダメだ」と指導されている。 十両昇進当時から、体は小さいが圧力を掛けながら相撲は前に出る正攻法であり、稽古場では石浦とも五分五分で、勝つことこそできなかったものの白鵬を押し込むこともあった。新入幕の時点では、足取りは得意だが稽古土俵では特に足取りをやらないという。 滅多に変化をしない力士であり、2020年3月場所中日の阿武咲戦で変化した際には意外の意を示す報道も見られた。 2020年1月場所初日の取組では普段行わない張り手で宝富士の腰を引かせて寄り立ててから、宝富士が攻め返そうとしたところに下手投げを決めている。北の富士は自身のコラムで「よく考え抜いたと思われる頭脳的な相撲は、力強さも感じさせた。この分では今場所もやってくれそうである」と称賛していた。同場所中日の遠藤戦を見た14代玉ノ井は「幕内で経験を重ね、大きい相手とやることにだんだん慣れて、動きも良くなっている。左を差して投げを打ったり、前に出たり相手が嫌がる相撲を取っていることが今場所の成績につながっている」と分析した。 左を差してから頭を下げて右に付きながら抱える相撲は必勝パターンである。2020年1月場所2日目の取組では正代がこの必勝パターンを封じて上手投げで土を付けた。 19代朝日山は2020年1月場所後の記事で、投げを打つときに地面に付くリスクをいとわず頭を地面すれすれまで下げて遠心力を利用する点、投げた後に廻しを離してのしかかる相手を躱す技術について触れている。 2020年1月場所13日目の阿炎戦では自分より約50kg重い阿炎の右足を両手で取り、そのままスクワットの要領で持ち上げて土俵外に出している(決まり手は足取り)。下半身の力を存分に使ったからこそ、相手を持ち上げることができたのである。 7月場所は直前の5月場所が中止となった影響で動きが鈍くなっていると自ら分析していた。 9月場所7日目の琴奨菊戦で敗れた際に花田虎上は「相撲を覚えられてしまった。上下の運動だけで相撲を取っている。左右の動きもあると、相手を怖がらせることができる。体重が減ったというが、当たっていっているのでいい。ただ小さいので、上体が高くなれば一発で持っていかれてしまう」と話した。 巨漢力士のパワーをまともに受けると弱く、2020年9月場所10日目の逸ノ城戦で黒星を喫した際はABEMAの解説を務めた熊ヶ谷から「炎鵬からしたら体力差が出てしまった一番。力技になかなか残せない」とポイントを指摘された。 元小結の舞の海秀平(平成の牛若丸)と同じ小兵力士なので取り口が似ていることがあり、その舞の海にあやかって(令和の牛若丸)と呼ばれる。 炎鵬の高い技術は本人の素質も然ることながら、白鵬が持つ限りの技術を伝授していることによるところが大きい。また、部屋の兄弟子の石浦に教わって筋力トレーニングを行って鍛え上げた体幹も特筆される。白鵬早専門のトレーナーから教わったストレッチで磨き上げた柔軟性も備わっている。食事では好き嫌いが多い上に食が細く体重が増えない点はサプリメントをタイミングを考えて摂取することで補っている。一方、2020年3月5日放送の『櫻井・有吉THE夜会』での話によると大の稽古嫌いであるといい、ぶつかり稽古すらも角界入りしてから初めて経験したという説もある。 2020年11月場所中、元朝青龍は自身のTwitterで「日本レスリング協会の協力を受けてレスリングの足取りを修行するべきだ」という趣旨のつぶやきを行っていた。同場所、相撲が正攻法であるため相手に相撲を覚えられてきたこと、幕内に上がった頃に99kgあった体重が92kgまで減ってしまったことなどを14代二子山に指摘された。花田虎上はABEMAの解説でこの場所の様子について、動きが本来より鈍いこと、食いつく仕草が見られないこと、大きい力士に抱えられてしまうことを指摘した。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 02:30 UTC 版)
基本的に突っ張りから左四つになって寄る相撲を取り、大きな体を生かした豪快な取り口が持ち味。相手と正対して左四つに組み止めて、どんどん前に出る。新入幕の際に、尾車は「左を差して右を抱え、腹を出しながら前に出る相撲は下に通用しても上ではどうか。右上手を取って前に出てほしい。先場所のような相撲を取ってどれだけ通用するかでしょう」と天風に対してハッパをかけた。良くも悪くもワンパターンな左四つの相撲を取り、そのことから2016年9月場所後の座談会では錣山から「天風も左四つしかないですね。突っ張って出て行くだけなので、十両で通用しても幕内では通じないのではないですか。上手も取らずに左が入って、そのまま出て行くだけです。膝も曲がっていないです」と厳しい評価を下された。天風自身も2016年9月場所6日目から8連敗した相撲について「悪い相撲じゃないけど、腰が高いから力が入らない」と分析していた。腰痛もあって稽古量が少ないことから二所ノ関一門の親方衆に稽古場で叱咤されることもあり、2015年9月7日の連合稽古では、当時の一門の大関であった稀勢の里が天風に喝を入れるべく40分間続けて稽古相手になった。
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取り口
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突き押し力士であるが、大抵は動いて相手を翻弄してから土俵を丸く使った末に引き技で仕留める。動くと強い一方でまともに正面に引くとそのまま土俵を割ってしまう。 幼少期から多くのスポーツ競技を経験して磨いた運動神経は現役関取の中でも特筆すべきもの。 十両の土俵では体格差を突かれて負けることが目立ち、2017年7月場所初日の阿炎戦で突き出しにより勢い良く土俵下に落ちた際には「(負けて)飛びましたね、土俵下に」と笑いながら自虐的なジョークを言った。2017年7月場所中日の明生戦で黒星を喫した際には「今日は駄目な引きでした。正面に引いてしまった」と自らの相撲を反省している。 蹴手繰り、蹴返しも得意。 幕内昇進前の十両で低迷していた頃に基本の突き押しを見直すと同時に体重増加に着手。これにより十両昇進当初よりも確実に地力が上がった。2020年11月場所中のスポーツメディアの記事では「立ち合いは頭で当たって、脇を締めて低く前へ出る。決まり手ははたき込みが多いのだが、前へ出る力があるからこそ、繰り出す引きやはたきも決まるのだ」と評されている。 2020年9月場所7日目の千代大龍戦では体格差に怯まず真っ向勝負を仕掛けて白星を得た。この相撲で見せた度胸は北の富士勝昭からも評価された。 2020年9月場所で自ら切符を買って観戦した杉山邦博は「翔猿には驚きました。十両時代を知る者からしたら、全く別人が出てきたようです」と評していた。 2021年7月場所7日目の白鵬戦は出方ばかりを窺った挙句投了の如く左を差しに行って上手投げに敗れた相撲となり、北の富士勝昭から「あれは相撲じゃありません。あれは初切です」と酷評された。
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取り口
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得意手は押し、左四つ、寄り。体格を活かし吊り出しを見せることもある。力強さが持ち味だがスピードは低い。立合いの遅さについては2017年3月場所前の座談会で甲山(元幕内・大碇)が「皆さんもご存じのとおり立ち合いが遅い。とにかく後手に回るでしょ。それをクリアできれば、上でもそこそこ勝てるんでしょうけど。本人も意識しているんだけど、なかなかできてこない」と注文を付けられている。とはいえその力強さは並のものではなく、雷(元小結・垣添)は「立ち合い負けしても勝つんですから、ある意味、すごい」と絶賛している。2016年11月場所前の時点では座談会で鳴戸(元大関・琴欧洲)が「ごつい体つきで突き押しタイプはやりづらいでしょうね」「(2016年の)春場所のとき、うちの部屋に出稽古に来て胸を出したけど、押す力はある。でも、四つ相撲は全然だめだった。かいなの返し方とかまわしの切り方とか、その辺はまだまだという感じだった」と感想を述べている。押し相撲相手には押し相撲で応戦するというより右を引っ張り込み左を差して対抗し、それを嫌われれば右のど輪を放つ。脇が甘く、簡単にもろ差しを許す一面もあるが、腰の強さでそれをカバーし、そのまま抱え込んで対処する。怪我の少ない力士であり、2017年11月場所4日目に通算600戦連続出場を記録。これには巡業中でもバス移動の疲労を押して朝稽古の土俵に立つ熱心さや場所中でも毎日晩酌を欠かさずに行って体と心にゆとりを持つことが関係している。
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取り口
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元々は四つに組んで半身になることが多かったが、遠藤がスピード入幕を果たした頃に師匠から助言を受けて取り口を押し相撲に変えた。取り口を変えたことについて詳しく説明すると、2012年3月場所で序ノ口優勝を果たした際は左四つでも大相撲で通用すると考えていたが、新序二段として迎えた同年5月場所の2番相撲で当時35歳だった白乃龍と対戦し、左の相四つで大相撲初黒星を喫したことから突き押しに転向したという。以来突き押しを武器としている一方、立合いや下半身に改善の余地がある。 2016年3月場所前の座談会では、浦風(元幕内・敷島)から「力強さが出てきた」と評され、振分(元小結・高見盛)も「地味ですけど、突っ張りもいいものを持っていますよ」と話した。突き押し力士としての純度はあまり高い方ではなく、2016年9月場所前の座談会では35代木村庄之助からは「大栄翔もよく分からないな。いいときは突っ張りがあって、いい相撲を取るんだが」と残念がられているが、一方でもともと四つ相撲主体であったためか「立ち合いはきれいだね。遠藤にしろ、大翔丸にしろ、この部屋の力士はきちんと両手をつくし、いい立ち合いをするよ」と高評価を受けている。2017年の山根千佳のコメントによると、メンタル面は角界でも上位であるという。 2020年始めに八角理事長は時事通信の相撲記者の若林哲治と対談した際、大栄翔について「馬力はついてきたけど、まだ腰が入っていない」と指摘して、くたくたになるまで稽古して足腰を入れて押すことを覚えるようにと話している。 2020年7月場所の相撲を見た武蔵川は場所後に「まわしを取らせない押し相撲に徹している」と評価された。 2021年1月場所後の報道によると、新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から出稽古が禁止されている中、関取の多い追手風部屋で部屋での稽古相手に恵まれたのが優勝の要因であるという。 2021年2月の協会公式YouTubeチャンネルで測定したところによると握力は56kg。 稽古では仲の良い阿武咲、貴景勝の胸を借り、互いに競い合っている。 2021年11月場所2日目の照ノ富士を土俵際まで追い詰めてあと一歩のところまで大善戦した一番については、一部報道から立合いで先手を取って強く当たり、後退させて相手の上体を起こす力相撲を評価されている。 右のど輪と出足は照ノ富士から白星を稼ぐ武器として知られるが、2022年7月場所前には北の富士から、時には差し手を返して寄って出る相撲を覚えるのも良いのではないかと言われている。
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取り口
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左上手を得意とし、引いてからの出し投げで崩しておいての寄りと、強烈な上手投げがある。一方で馬力や出足にはそれほど優れず、巨漢や速攻相撲には弱い傾向にある。負ける時は大抵寄り切りや押し出しで思い切り土俵外に出されてしまう。この点は幕内昇進を遂げ体重が適度に増加した時期にはある程度克服が伺えた。重心が低いため投げや引き技で仕留められることはそれほど多くない。そのまま突き切ることはまずないが、突っ張りも得意である。
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取り口
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協会公式プロフィールによると、得意手は押し・いなし。頭をつけて左前褌右筈でじっくり攻めるのも武器の1つ。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 15:44 UTC 版)
アマチュア時代は四つ相撲だったが、大相撲入門後は部屋の兄弟子である御嶽海を目標として押し相撲主体に変えた。序二段時代の2020年3月場所では、もろ差しから寄り切った取組があった。
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取り口
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得意手はもろ差し、寄り。新十両会見において18代放駒は前に出る力とスピードを長所として挙げ、ぶつかり稽古でよく胸を出した兄弟子の松鳳山の存在が十両昇進を射止めた要因として指摘した。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/26 08:03 UTC 版)
200kgを超える体重を活かした突き押しが持ち味であり、十両に昇進した時期にはこの突き押しを活かしていた。引き技など小手先に走らず押し切る相撲が多かった。しかしX脚と体重のため足腰は脆く、手先で押すような突き押しであったため、引き技による黒星も非常に多かった。とりわけ土俵際での突き落としに弱く、相手を土俵際に追いつめながらの逆転負けも目立った。また突き押し以外にこれと言った武器が無く、組んで寄り勝つことも稀であった。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 16:37 UTC 版)
俊敏さを生かした突き押し相撲が持ち味で、目標とする力士は阿炎。アマチュア時代に体力温存のため多用していた立ち合いの叩きが悪癖となっており、その克服が課題とされている。実際、初土俵の2019年5月場所から2020年7月場所までの36勝のうち、15番の決まり手が叩き込みであった。 新十両昇進の際に師匠の玉ノ井はスピードを評価し、千代大海のようにどんどん前に出て回り込むセンスを認めた一方でもっと体を大きくすべきだと注文を付けた。 本人が認めているように、廻しを取られたら自分の相撲にならない。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 17:40 UTC 版)
得意技は押し、左四つ、寄り。軽量から2016年頃までは攻め切れない場面が目立ち、土俵際の網打ちでの逆転を図ることも比較的多かったが、2017年頃から速攻相撲が徐々にみられるようになった。 2019年5月場所9日目の栃煌山戦では、もろ差しが得意な栃煌山に対して逆にもろ差しを狙った(結果は押し出しで白星)。 2020年3月場所終了時点では十両以下の取り組みを含めて網打ちによる白星を7個記録している。7月場所3日目の明生戦では、土俵際ギリギリまで寄られながらも片足つま先立ちで耐えつつ逆転の上手投げを決める粘り強さを見せた。
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取り口
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入門2年目の2017年1月場所では、12日目の竜勢戦で居反りを決めている。居反りを決めた後の取材では「この技は初めてです。自分でもびっくりしました」「相撲の型はまだ決まってない」とコメントしている。
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取り口
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右四つに組み止め、恵まれた体格を活かして寄る師匠・父の初代琴ノ若譲りの取り口を基本とするが、リーチを活かした押し相撲も得意手とする。一方、師匠からは新十両や新入幕の際、相撲が大人しいと評され、立ち合いの厳しさや攻める相撲が必要と指摘されている。 非常に体質が柔軟であり、2020年3月場所で対戦した千代大龍は「かち上げにいったけど柔らかくて芯を捉えられなかった。白鵬関みたいな感じ。白鵬関に失礼だけど、白鵬関の次くらいに、当たっても押し込めない」と感想を述べていた。一方15代武蔵川によると、下半身は祖父・琴櫻譲りというのか硬いという。 部屋の兄弟子の琴奨菊は「琴勝峰の力強さ、琴ノ若の柔らかさが欲しい」とその才能を羨んでいた。 2020年7月場所の相撲を見た北の富士勝昭は「父の琴ノ若より相撲の速さでは、はるかに勝っている」と評した。 出足は14代秀ノ山から伝授されており、2021年7月場所中は立合いの強さに注目が集まった。一方2021年9月場所中に8代尾車は、頭から思い切り当たるなど立合いのがむしゃらさが必要だと指摘している。 2020年9月場所番付発表の際には「上に上がるにつれて簡単に自分の形にならせてくれませんし、稽古をしていて四つだけじゃ上がっていけないなと思って、四つになるための押しだったり、逆四つでも相撲を取れるようにと頭に入れていってますね」と、柔軟な取り口を意識している旨を語った。その9月場所2日目には押し相撲の大栄翔を押し出しで破る活躍を見せ、押し出しで敗れると予想した北の富士を感嘆させた。 2022年3月場所中に花田虎上は自身のコラムで、気持ちが表情に表れにくかった父の初代琴ノ若と異なり闘志が顔から伝わる点、廻しの切り方や二本を差された時の対処に優れる点を指摘した。同場所11日目に自身より体格の劣る貴景勝(自身が身長188cm・体重165kgであるのに対し、貴景勝は身長175cm・体重163kg)に対して立合いで張りながら右に変化した相撲を見た相撲ファンから、メンタル面など前途を心配する声が上がった。一方5月場所では、初日に貴景勝に勝った1番を指して花田虎上のコラムで「心技体の『心』が強くなった」と評される、2日目の正代戦で土俵際、右足一本で残り、正代を突き落としで破った1番に関して指導係の13代粂川から「(相撲が)良かった。(相手は)押しづらいんでしょうね。落ち着いているし慌てていない」と評価されるなど、精神面を評価される相撲が目立った。 8代尾車は2022年7月場所中の自身のコラムで、懐の深さと体の柔らかさは水戸泉ばりだとしつつも、がむしゃらに出る水戸泉と異なり相手によって相撲を変える引き出しの多さがあると評している。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 02:29 UTC 版)
44歳という年齢ながら、得意の右四つの型に持ち込めば関取相手に通用する得意の力相撲を発揮できる。長身でありながら腰高ではなく寧ろ低く構える型が備わっており、それ故に左上手も取りやすい。左上手を引き付けて腰を落とし胸を合わせた体勢から出る相撲が芳東の勝ちパターンである。だが立合いが鈍く当たりも甘くなりがちであるため幕内ではなかなか廻しが取れず、負けるときは引っ張り込む悪癖に乗じられる場合が多い。長いリーチを活かして遠距離から突くことで手堅く相手を後退させる相撲も見せる。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 18:14 UTC 版)
長身で懐の深い体型ながら、四つ相撲ではなく基本的には突き押し一本で勝負している。玉鷲は概して柔軟性に欠ける体質をしており、とりわけ下半身が固いため先代片男波(元関脇・玉ノ富士)は四つ相撲では大成しないだろうと考えたとされている。しかし足首は柔らかく、足首が柔らかいと長身で足の長い玉鷲は重心が下がり膝も曲がる。股関節が固い点は逆にバネと瞬発力を生む要因となっている。入門当時廻しを取りたがってい玉鷲に対して先代は耳に胼胝ができる程に一方的に前に出るように言い聞かせた。先代の考えは現師匠の片男波親方(元関脇・玉春日)にも引き継がれており、稽古場で四つに組もうとすると、師匠はその時点で取組をやり直させるというほど、徹底した押し相撲を指導されている。 長身だけあって、突き押しが決まったときの威力は強いものがあるが、立合いで必要以上に頭を下げて窮屈そうにぶつかっていくことも目立つことから、舞の海秀平は「押し相撲ではなく、廻しを引いての四つ相撲のほうが彼には合っているのではないか」とNHK大相撲中継の解説においてたびたび評している。大至伸行は2014年3月場所前の座談会で「頭で考えるタイプかなと。もっと思い切りの良さがあっていい」と心理面・頭脳面を分析している。鳴戸は2016年11月場所前の座談会で「右差しの相手に対しての左おっつけは強烈ですね。小手投げも強い」と評している一方で「右を差しに行くとおっつけられるけど、左から差そうとするとおっつけが左ほど強くはないから、中途半端な右四つに組んでしまう」と指摘している。2017年5月場所13日目に白鵬に敗れた際には「相手にうまくやられた感じがする。張られてから組む形で何度も負けているから、分かっていたはずなのに」と自分の負けパターンについて話している。それ以前までは立合いできちんと手を付かない傾向にあったが、2016年9月場所から親方衆の指導などによって立合いが著しく改善され、低い当たりから一気に突き放す相撲で9月場所・11月場所と連続して10勝5敗の好成績を挙げている。 最近では突き放す相撲に加えて引き技も時折決まるようになっており、前述の豪栄道戦などでもとっさに叩きを打って決まることも多くなってきている。最後の手段として小手投げもあるが、上位には効かないと本人が認めている。しかし小手投げは下位の力士にとっては脅威であり、2018年7月場所では琴奨菊、千代の国の2名が玉鷲の小手投げにより右腕を負傷。翌日より休場に追い込まれている。ただ、小手に振ったところを堪えられて上体が起きるのは玉鷲の相撲の中でも悪い内容の相撲であり、2020年7月場所7日目の炎鵬戦はその好例である。 2017年5月場所前の朝日山(元関脇・琴錦)の論評では、それ以前まで仕切り線から5cm離れていたところで手を付いていたため、踏み込んで手を出そうとしたときに相手に踏み込まれるため、自分が手を出そうとしたときに重みが乗らない状態で立つことが多かったというが、2016年11月場所からは仕切り線ギリギリで立つようになったため成績が上がったという。同じ論評で朝日山は、玉鷲のように体に恵まれた力士は手を出すだけで相手に重みが伝わると説明している。そして今後の相撲の取り方に関して朝日山は「相手によって立ち合いを、頭でいったり、もろ手突きでいったり変えていますが、どんな相手であっても頭から当たれば、もっと威力は増します。もろ手突きの相撲で大成をしたのは、私の知る限り、曙と錣山親方(元関脇・寺尾)くらいしかいません」「もう一段、立ち合いの威力を増すためにも、相手の変化を怖がらず、肘をバネのように曲げながら頭から激しく当たってほしい。そして、バーンと当たった瞬間に弾けるのです。その勢いで二発目、三発目の威力が倍増します。そうすることで、玉鷲の持ち味である長いリーチ、重い突っ張りが生かされます」「リーチが長いので、一発一発の手の引き、戻りを早くしてほしいです。それが遅いと手繰られてしまいます。つまり、弾いて戻る、攻めて戻る、という感覚です。そうすることで、さらに一発突き放せます」とアドバイスしている。 NHKの大相撲専属解説者の北の富士勝昭は、「30歳を越えてから力が増してきた、かなり珍しいパターン」と評している。30代になって力を付けた要因として、熱くなりやすい性格が改善されて冷静に取れるようになり、肝心なところで上半身が硬くなったり脇が空いたりしないようになったことを指摘する分析もある。幕内最高優勝を果たした際の記事では、尾車は稽古の甲斐があって張りのある体をしていると指摘した。2019年1月場所10日目の錦木戦が好例となっているように、間髪入れずに低く攻めて相手に反撃の余地を与えない相撲が持ち味であり、同日の支度部屋でテレビ中継を見ていた千代大龍が「二の矢が早い。攻めが早い分、相手は土俵際も残せない」と解説していた。2019年3月場所前に14代二子山は自身のコラムで、高い実力を持ちながら初優勝まで時間がかかった要因として、「上位は強い」というイメージを長年持っており自分もやれると気付くのが遅かったのかもしれないと、玉鷲の考え方についての私見を述べている。 2021年7月場所3日目の英乃海戦の取組直前にこの日のABEMA大相撲中継を解説していた大岩戸から「年齢を重ねても体の張りが衰えないですね」と評され、この1番でで幕内500勝目を挙げた際には「最近、頭で当たるのが定着してきたんですよね。ただでさえ突き押しが強いんですけど、プラス頭から当たれるというのは最高の武器ですね」と解説された。2022年7月場所中に花田虎上は自身のコラムで「常に前に攻めながら対戦相手によって攻め方に強弱をつけられる」と強みを評価している。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 18:05 UTC 版)
押し相撲、四つ相撲のどちらでも相撲が取れる万能型力士。恵まれた体格を生かした突き押しは威力十分で、柔軟性もあり土俵際の粘りにも定評がある。四つでは右四つ得意だが、胸が合えば左四つでも十分に取れる。 2020年の新入幕時点では突き押し、四つのどちらかに絞ることは考えておらず、「押すにしても組むにしても、自分から攻めていきたい。その時の流れを大事にしていきたい。両方を磨いていけたら」と"二刀流"を宣言している。 師匠の第13代佐渡ヶ嶽は「体が大きいぶん、右を差して投げを打ったりするのがですね。そうじゃなくて腕を返して前に出るという。そういう四つ相撲に育てて、そういう形をつくっていきたいなと思っていますね」と四つ相撲の取り手としての大成を望んでるが、「あの体で突き押しというのはものすごくいいものを持っている。私も先代の師匠からですね、上背があるし、手が長いし、体も柔らかいんだから、懐が深いんだから。だから突っ張ってから自分の四つに組むのがいいんだぞと私は教わった。それを琴勝峰にも教えていきたいと思いますよね」と、突き押しを交えた取り口を理想としている。 2020年7月場所の相撲を北の富士勝昭は「足腰の良さは、白鵬の若い頃のようでもある。立ち合いから積極的に前に出る取り口も魅力的である」と評した。同場所4日目の髙安戦の様子を北の富士は「私なら仕切っているうちにビビっていただろうと思う。大したものだ。恐れ入った若者である。この落ち着きはいったい何だ。無駄な動きが全く見られないのは驚くばかりである」と賞賛した。 2021年1月場所前に花田虎上は自身のコラムで「本場所の土俵でも稽古しているといったところです」「本場所の土俵でも修正できるのがいい力士」と評していた。 2021年1月場所の相撲を15代武蔵川は「後ろに下がってしまい、ほとんどの相撲で膝が中に入っちゃっているんだよね」と指摘しており、身長を考えれば体重は180㎏まで増やしても良いとアドバイスした。 2022年5月場所7日目の若元春戦では若元春の勝ちと北の富士が見誤るような攻め込まれた相撲ながら、驚異的な足腰の強さから繰り出したうっちゃりにより軍配差し違えで勝っている。 2022年7月場所前には、がっぷりにならず下から攻めたい旨を語っていた。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 17:59 UTC 版)
身長195cm、体重167kgという白鵬とほぼ同じ体格をしており、右差しと上手からの左前ミツという型が勢にとって理想の差し手である。秀ノ山(現:朝日山)はこの取り口に関して「正攻法の相撲であり幕内中位では十分通用する」と評価しながら「白鵬を真似て左足を引いて引いた足から立つが勢は足首が固いから同じように低く鋭く立つことはできず、前ミツが取れずに後退するしかなくなる」と指摘し、その上で「長身と手足の長さ、体のバネを活かして立ち合いから数発上突っ張りで体を起こしながら距離を詰めるべきだ。そうすれば四つ身の強さ、右からの下手投げが生きる」と解決策を提案している。 また、右小手投げも強く、2016年5月場所5日目の鶴竜戦と同年7月場所10日目の照ノ富士戦で右小手投げで勝負を決めている。この強さの背景には本人の熱心な稽古態度がある。 2017年3月前の座談会で甲山(元幕内・大碇)は「ただ、皆さんが言うようにやっぱり左手の使い方ですよ。どうしても右下手からの攻め、すくい投げもそうですけど、右一辺倒なんで本人も意識はしているんでしょうけど、そこが課題ですね」と話している。 懐が深いため引き技もよく決まり、2017年5月場所13日目に勢に叩き込みで敗れた宇良は「まあうまくいかなかったです。(上からはたかれて)あれはもう無理ですね。大きかったです。いや~大きく感じました。かなわないな」とコメントしている。 2017年のインタビューでは「とにかく僕はまわしを取らないと話にならない、得意の右をさせなくても、最近は右上手でも取れるようになったんです。立ち合いの当たりも重くなったんですかね、押されることが少なくなりました。ずっと筋トレは続けているので、その効果なのかもしれません」と自身の相撲ぶりを分析している。それと同時に「あとはちょっとした技術や経験。巧さというか、言い方は悪いですけど"ずるさ"というのかな。何気ないことでも、相手の嫌がるようなことをしたいですね。まともに当たって押す、引く、投げるだけではなく、もっといろんな工夫をしないと。例えば押すときでも、相手の嫌がる位置に手を置きながら押すとか」と自分の相撲に関する今後の抱負を述べている。 2018年1月場所7日目の取組後の支度部屋では「もっと足に力を入れないとだめです」と加齢による足腰の筋力の低下や立合いの甘さを自覚しているとも取れるコメントを残している。 時間一杯になると小走りで塩を取りに行く。これは十両に上がった時から取り入れているルーティンである。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 14:50 UTC 版)
立合いの諸手突きから突き押しを基本に相手の懐に入るかそのまま突き切ることが松鳳山の型である。元和歌乃山は2014年3月場所前の座談会で「当たる角度が良いから相手も起きる」と技量に裏打ちされた当たりの力強さを評価しており、「突っ張ってスパッと二本入る」差し身の良さについても話していた。一方で大至伸行は同じ座談会で「突っ張っているときに少し顎が上がり気味で、それを直せばもっと突っ張りの威力が増す」と指摘していた。他に、大型力士が相手であってもまともに寄りたててねじ伏せる相撲も得意である。 立合いで手を付かないことが多く、2016年10月28日に行われた土俵祭りの後に師匠の二所ノ関が友綱審判副部長から注意を受けた。2016年11月場所前の座談会では鳴戸(元大関・琴欧洲)が「松鳳山は四つ相撲になっちゃったのかな。前は突いたりしていたんだけど」と言っており西岩(元関脇・若の里)も「右からの上手投げは強いですね。そうは言ってもいちばんの持ち味は突っ張りですから、突き押しをもっと磨いてほしい」と話していた。2017年3月場所前の座談会では竹縄(元関脇・栃乃洋)が「投げ方がうまいですよね。足を寄せてから投げるのはこの人独特じゃないですか」と評していた。2017年3月場所中日の稀勢の里戦を終えた際の「大体の人はもろ差しになったら勝てるのに。いやあ、重かった」というコメントから、四つ相撲の取り手であることを本人も暗に認めている。 軽量のため格上が相手であればもろ差しになってもたつくと負けることがあり、2017年1月場所3日目の日馬富士戦で金星を獲得した際には「(2本)入ったら走るしかない。投げられても良いから前に出ようと思った」と前日に鶴竜に前に出られて負けたことを反省するコメントを残している。裏を返せばこの金星の例のように攻めが早ければ横綱クラスの力士にも対抗できる。合い口を見るに宝富士のような左の相四つ、豊響や豪風といった押し一辺倒の力士には有利であるが、碧山や栃ノ心のようなパワー型の右四つ力士や妙義龍や嘉風といった機敏な力士には不利である。2017年7月場所は5秒以内に終わった相撲が15番中7番、3秒以内に終わった相撲が15番中4番であった一方で、10秒以上かかった相撲が6番と、相撲が速い面もあれば遅い面もあると言ったところである。後述の通り上位陣を立て続けに負傷させたこともあるが、2017年9月場所の相撲ぶりを見て武蔵川(元横綱・武蔵丸)は場所後のコラムで「『ちびっ子ギャング』という割には、根性が今ひとつないんだよな(笑)。若い相手などにはにらみつけてガッツを見せるんだけど、日馬富士とかの上位にはやらないんだもん。上位陣にこそもっと見せてほしいんだよ!」と注文を付けている。2017年11月場所前の二子山(元大関・雅山)のコラムでは、貴景勝と共に叩きの巧い力士として名前が挙がっており、同年9月場所の12日目と13日目を豪栄道が連敗したのはこのように叩きの巧い力士との連戦であったからと二子山は解説している。張り手も強く、2017年11月場所2日目には元大関の照ノ富士が「くらっときた」と、この日の取組で松鳳山に食った強烈な張り手を振り返った。 雑誌『相撲』の2018年3月場所幕内特製番付では「34歳とベテランながら回転の速い突っ張りやモロ差し速攻は、まだまだ健在だ」と寸評が書かれている。 2019年11月場所は連日張り手を繰り出し、ベテランらしからぬその激しい相撲はAbemaTVで解説を務めた旭道山から絶賛された。2019年には35歳になったが、運動量と持久力は幕内随一で、炎鵬にも負けないスピードを持つ。2019年7月場所中には「自分がスピードNo.1と思ってますから。それに(炎鵬より)嘉風関の方がよっぽど速いですよ」と話していた。2016年に四つ主体の相撲であったところから一転、2019年には動き回る突き押し力士としての本領に戻ったといえる。 2021年11月場所中にABEMAの大相撲中継の解説を務めた花田虎上は、腰高なのでもっと基本に忠実に下から攻める相撲を取るべきだと注文を付けている。
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取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 16:52 UTC 版)
左四つの型を持ち、左を差し右上手を取り、がぶり寄りで相手を一気に寄り切るのを得意とする。上手が取れなくても右からのおっつけや右で抱えて相手の左差しを封じながら寄ることもできる。そのがぶり寄りの威力は尾崎勇気(元関脇・隆乃若)が「まわしを取らずに抱え込んだままがぶる力士は過去にいなかったのでは」と評するほどのものである。このがぶりは入幕からしばらくした頃ある場所の把瑠都戦でたまたま出たことがきっかけで得意技となったという。 一方、立合いで頭を下げて突っ込むことが多いため、立合いの変化にあっさりと屈してしまうことがある。大関を陥落し一場所での復帰を目指した2017年。関脇として出場した3月場所では14日目において「陥落直後の場所での勝ち星10勝以上」という復帰条件のなか8勝5敗と後が無いなかで大関・照ノ富士に立合いの変化を受け叩き込まれて負けてしまい、大関復帰を逃した。普段立合いで変化をしない稀勢の里でさえ2016年3月場所9日目の取組では立合いで右に動いて突き落としで勝ち、そのことについて稀勢の里が2016年9月場所前の雑誌のインタビューで「意識の変化というより、60回以上対戦していますから、そういう中でのことだと思いますよ」と語るなど、良くも悪くも猪突猛進の相撲であることが認知されている。相手を見ずにやみくもに突っ込む立合いであると批判する者もおり、元黒姫山などは2017年3月場所14日目に照ノ富士に立合いの突進を躱されて黒星を喫したことに関して「一部で『ヘイト』などと叫ばれているが、それは的外れな問題だ」「琴奨菊の立ち合いを見れば、相手からすれば当然、勝つために考え得る作戦だ」「過去には稀勢の里が琴奨菊に同じことをやっている。高安も決めている。しかし、その後もそういった反省が生かされていない。だから大関復帰に必要な10勝以上の星を挙げられなかった」などと切り捨てている。 廻しを取ることが苦手な力士でもあり、元文化放送アナウンサーの坂信一郎は2014年11月場所前の座談会で「廻しを引かずに圧力に任せてがぶるのでは安定した成績を残せない」と指摘している。他にこの座談会では元テレビ朝日アナウンサーの銅谷志朗が「廻しをしっかり取っていれば土俵際で逆転負けを食うことも無い」と話してもいる。 右を抱える相撲の結果として上述のように右大胸筋断裂の重傷を負い、師匠の佐渡ヶ嶽も「右を抱えるのは危険」と判断して右四つの稽古を指導するようになった。差し手を取っても相手を正面に置かないと脆い部分があり、2014年7月場所千秋楽の取組を終えた琴奨菊自らが「負けた相撲は全部(相手を)正面に置いていない」と場所を総括しつつ12勝3敗で優勝を逃した要因を口にしていた。右四つの相撲を模索していた時期もあったが左上手を取る相撲というのは本領ではなく、2017年5月場所前の相撲雑誌の記事では西岩(元関脇・若の里)が同年3月場所11日目の勢戦に関して「なぜか、立ち合いから左上手を取りにいきましたけど、あれは失敗だったんじゃないですか。苦しい時こそ、自分が積み重ねてきた相撲を信じて取った方がいいと思いますね。後悔してもしきれないですよ」と話している。 それ以前は前に出て馬力で相手を持って行き、悪くしても落ちずに渡し込みを決めることもあったが、大関陥落を喫する数場所前から前に落ちる場面や足がついていかない場面が多くなった。2017年5月場所5日目、照ノ富士戦で黒星を喫した後に「立ち合いからの流れはよかった?勝ち切る力がない。もっと集中力を高めないと…」と、自ら馬力の低下を認める発言を行っている。それでも2018年1月場所12日目のように、腹を突き出して前に出ながら腕を抱えると貴景勝のような押し相撲の力士に対して有利に立ち回れる様子も見られた。平幕陥落後は動きが改善されており、2019年3月場所10日目の阿武咲戦ではがぶり寄りで若い動きを見せていた。AbemaTVで解説をしていた旭道山は「えーっていうぐらい若い」と、その動きの良さに大きな声を出していた。2019年11月場所9日目の炎鵬戦では投げを決めきれない相撲が見られ、体力の低下がうかがえた。 投げられた時などの受け身の上手さには定評があり、転がる必要がある時に無理せずに転がることが長く現役を続けられる要因となっている。2010年代後半になって転がって受け身を取ることが下手でそのような稽古を積みたがらない力士が多い中では特筆される。 現役時代、相手の取り口をノートにまとめる熱心さがあった。
※この「取り口」の解説は、「琴奨菊和弘」の解説の一部です。
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「取り口」の例文・使い方・用例・文例
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