はら‐じょう〔‐ジヤウ〕【原城】
原城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/18 19:47 UTC 版)
原城(はらじょう・はるのじょう[注釈 3])は、長崎県南島原市南有馬町乙にあった日本の城。国の史跡。別名、春城、志自岐原城、日暮城、有馬城。2018年6月30日に世界遺産登録が決まった長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産の構成遺産である[1][2]。
注釈
- ^ a b 原城の海城としての性格は玖島城(長崎県大村市)に近いとされる(柴田2008、16頁)。
- ^ 虎口の種類としては、平入りや枡形が存在する(松本2004、284頁)。
- ^ レオン・パジェス『日本キリシタン宗門史』の原書第1編本文(Léon Pagès. (1869). Histoire de la religion chrétienne au Japon depuis 1598 jusqu'à 1651, Premiere Partie Texte. Paris: Charles Douniol.)にはFarounojo (p.844)とある。これはフランス語式ローマ字であり、ポルトガル式ローマ字ではFarunojo、当時の日本語表記では「はるのじやう」または「原(ノ)城」、現代日本語表記は「はるのじょう」となる。
- ^ 1990年から始まる発掘調査が開始されたが、近世城郭として整備された本丸周囲に石垣が残存し、破壊された石垣の下から島原の乱の犠牲者の遺骨も発見され、島原の乱以前の破城の痕跡も発見されなかった。
出典
- ^ “長崎、天草の「潜伏キリシタン」が世界文化遺産に決定 22件目”. 産経新聞. (2018年6月30日) 2018年6月30日閲覧。
- ^ “長崎と天草地方の「潜伏キリシタン」世界遺産に”. 読売新聞. (2018年6月30日) 2018年6月30日閲覧。
- ^ a b c d e f g “島原の乱最後の決戦地『原城跡』”. 南島原市. 2021年8月14日閲覧。
- ^ 千田嘉博「城郭史上の原城」(石井進・服部英雄編『原城発掘』新人物往来社、2000年)
- ^ 服部英雄「世界史のなかの島原の乱」(長崎県南島原市監修、服部英雄・千田嘉博・宮武正澄編集『原城と島原の乱―有馬の城 外交・祈り―』(新人物往来社、2008年)120頁
- ^ 神田千里『宗教で読む戦国時代』(講談社、2010年)
- ^ 松本2004、284・286頁
- ^ a b c 松本2004、284頁
- ^ 松本2004、286頁
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