原作者の謎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 02:55 UTC 版)
前述のとおり、清代には、作者は長春真人丘処機と信じられており、ティモシー・リチャード による初の英訳本(上海・1919年刊行)においても作者名は丘長春とされていた。 呉承恩作者説は、魯迅『中国小説史略』(1924年、訳書は平凡社東洋文庫全2巻)や「中国小説的歴史的変遷」などで提唱したもので、比較的新しい説である。それ以降、呉承恩が作者として扱われることが多いが、証拠はない。 日本では太田辰夫や中野美代子が、研究によりこの説を否定 しており、『世界文学事典』(集英社)でも、「小説『西遊記』の版本に、呉承恩の名前や別号を記したものがないため、呉承恩の『西遊記』が、小説の西天取経物語を指すのか、あるいはその戯曲、あるいは全く別の紀行文を指すのか、現在まだ定説はない」、「(呉承恩は西遊記の)最大限改編者であり得ても、<作者>ではない」と書かれている。日本訳では、現行の太田・鳥居訳の平凡社版でも、中野美代子訳の岩波文庫版でも原作者名は記載されていないが、君島久子 校訂/リライト、瀬川康男 画 『西遊記』など、呉承恩作と記載されている出版物も少なくなく、呉承恩作者説は未だ一般に広く流布している。21世紀に入った今日まで、西遊記の作者が誰なのかは決定的な確説は出ていない。
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