原作『対馬丸』
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「対馬丸 —さようなら沖繩—」の記事における「原作『対馬丸』」の解説
本映画は、大城立裕・嘉陽安男・船越義彰共著のノンフィクション『対馬丸』を原作としている。本作品は対馬丸遭難者遺族会の委嘱によるもので、ほぼ全編を生存者からの聞き書きにより執筆された。1961年(昭和36年)に『悪石島――疎開船学童死のドキュメント』として文林書房から出版され、1975年(昭和45年)には『悪石島――学童疎開船対馬丸の悲劇』としておりじん書房から再刊されたが、いずれもすぐに絶版となり極めて少部数が読まれたのみであったという。宇田川はインタビューで「先生に聞くと最初が三千で、次に五千刷ったらしいのですが、出版社がすぐつぶれて、どちらも印税を貰わなかったという話です(笑い)。こんど理論社から出したのはその復刻版なんですが(中略)こんどはじめて印税がはいるってよろこんでおられました」と述べている。 映画が公開された1982年(昭和57年)に全面的に改稿、『対馬丸』と改題されて理論社より出版され、現在に至っている。大城らは連名のあとがきで、「たんに少年少女の漂流記だけを書いていたのでは、冒険談に堕しかねない。(中略)親や教師や子の立場や境遇や、心情、そして国の姿勢を克明に描いてこそ、事件の歴史的、構造的な意味を明らかにし、何かを問うことができる。私たちは初版においても、対馬丸事件の歴史的全貌について、できるだけ感傷を排して事実を伝えることにつとめた」と記している。 大城は本映画製作に際しても深く関わり、宇田川は大城について「一度質問をしたり、草稿ができてコピーをお送りしますと、かならず懇切丁寧な答えと意見を送ってくださるんですね」と回顧している。大城からの唯一の注文はやはり「感傷的に描いてくれるな」というものであったという。
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