即位灌頂の終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 16:09 UTC 版)
江戸時代の後期になると、国学が盛んになるなどの社会の動きに対応して、仏教と神道が結びついた神仏習合に批判的な意見が見られるようになった。そのような中、即位式の仏教儀礼である即位灌頂に非難が集まるようになった。1847年の孝明天皇即位の際に行われた即位灌頂では、多くの公家たちが即位式に即位灌頂を行うことに拒否感を示した。また、即位灌頂の背景にあった須弥山説などの仏教的世界観が、地球球体説・地動説・万有引力の法則などに代表される西洋天文学の導入によってその正統性が動揺していくことになり、やがてそれらは仏教における固有の真理ととして位置づけられていく一方で、社会が共有する世界観としての地位を失うことになる。 1868年の明治天皇即位時には、即位式の神道儀礼化が追求された結果、仏教的な色彩は全て追放され、即位灌頂は廃止されることになった。
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