な‐でん【南殿】
なん‐でん【南殿】
みなみ‐どの【南殿】
南殿
南殿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/06 05:47 UTC 版)
南殿(みなみどの)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての女性。羽柴秀吉の側室。
- ^ 桑田 1979, p. 56.
- ^ 田中阿里子『歴史と旅』1981年1月号、秋田書店
- ^ 服部英雄 『河原ノ者・非人・秀吉』(山川出版社、2012年)p.667
- ^ 桑田 1979, p. 57.
- ^ 秀勝の没年月日は寺の記録等によりほぼわかっているが、生年や没年齢は不詳である。6歳や7歳という記載もあるが、そうすると秀吉が長浜城主となる数年前に生まれたことになる。天正元年もしくは天正2年とするものが「長浜城主の頃の側室が生んだ子」と言う説明に符合するが、いずれしても信憑性に問題のある寺伝等の記述などがあるだけで確固たる根拠はなく、没年から逆算したに過ぎない。
- ^ 楠戸義昭『豊臣秀吉99の謎』PHP研究所、1996年。ISBN 4569568564。
- ^ 寧々(高台院、北政所)、淀殿(小谷の方)、松の丸殿、三の丸殿、加賀殿の5人。
- ^ 豊太閤展覧会 著、豊太閤展覧会 編『国立国会図書館デジタルコレクション 豊公余韻』白木屋計画部、1939年 。
- ^ 日本博学倶楽部 編『戦国武将の意外なウラ事情 : 英雄たちの「秘められた事実」』PHP研究所、2004年。ISBN 4569661998。
- 1 南殿とは
- 2 南殿の概要
南殿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/15 07:09 UTC 版)
※この「南殿」の解説は、「佐太神社」の解説の一部です。
「南殿」を含む「佐太神社」の記事については、「佐太神社」の概要を参照ください。
南殿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/24 08:54 UTC 版)
南殿は蓮如の隠居施設と思われているが、2001年の発掘調査では2重の堀、土塁、柵列、溝、物見櫓風建築物跡などの防御施設が確認され、単純な隠居施設ではなかったのではないかという指摘もある。また内部は庭園、持仏堂、壕(ほり)等が現存しており、現在は南殿光照寺の南側、音羽伊勢宿町一帯に遺構が残っていてこちらも国の史跡に指定されている。
※この「南殿」の解説は、「山科本願寺」の解説の一部です。
「南殿」を含む「山科本願寺」の記事については、「山科本願寺」の概要を参照ください。
「南殿」の例文・使い方・用例・文例
南殿と同じ種類の言葉
- >> 「南殿」を含む用語の索引
- 南殿のページへのリンク