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北多摩郡とは? わかりやすく解説

北多摩郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/08 07:08 UTC 版)

北多摩郡(きたたまぐん)は、東京都神奈川県東京府)にあった


注釈

  1. ^ 田無市ひばりが丘団地
  2. ^ 幕末時点では羽前長瀞藩。明治に入ってから上総大網藩、龍ヶ崎藩と藩庁の移転を繰り返しているが、『旧高旧領取調帳』ではすでに龍ヶ崎藩と記載されており、郡内の所領の変遷は不明。
  3. ^ このうち右岸地域には旧荏原郡・旧北多摩郡の地名が今も残っているが、左岸地域については大部分が田畑であり住民が少なかった、後に河川敷になった、住居表示施行の際などに町名が改められたなどの理由により、現在は地名があまり残っていない。

出典

  1. ^ 『旧高旧領取調帳』では牟礼村・上連雀村を含まず、入間村を含む。また、現狛江市域については明治初年から彦根藩領となっており、武蔵知県事についての記述はない。
  2. ^ 『旧高旧領取調帳』では上谷保村・下谷保村を含まず、久米川村・中里新田を含む。
  3. ^ 角川日本地名大辞典』では現昭島市域の記述に矛盾点[要説明]あり。[要ページ番号]
  4. ^ 『角川日本地名大辞典』では明治初年から川越藩となっており、品川県についての記述はない。[要ページ番号]
  5. ^ 『旧高旧領取調帳』では龍ヶ崎藩領のまま。
  6. ^ 『角川日本地名大辞典』では、「長浜県」の項目ではここに書いた通りだが、地誌編の「狛江市」の項目では現狛江市域の全域が明治初年から彦根藩、のちに品川県に編入となっている。[要ページ番号]
  7. ^ 神奈川県県民部県史編集室 1983, 付表51頁.
  8. ^ 東京府 1935, 1033-1090頁.


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北多摩郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 07:19 UTC 版)

多摩地域」の記事における「北多摩郡」の解説

北多摩郡は、現在の武蔵村山東大和東村山清瀬東久留米西東京小平昭島立川国立・国分寺・小金井府中武蔵野三鷹調布狛江市及び世田谷区西部(旧 砧村千歳村)の区域1907年明治40年)に西東京市の旧保谷市区域埼玉県北足立郡より編入された。北多摩郡は1970年昭和45年)に村山町武蔵村山市昇格したのを最後に消滅した。旧郡役所所在地府中町同上

※この「北多摩郡」の解説は、「多摩地域」の解説の一部です。
「北多摩郡」を含む「多摩地域」の記事については、「多摩地域」の概要を参照ください。

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