加治の関係者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 06:41 UTC 版)
山本 真喜雄 加治元春の地元後援会会長。元春の死後、隆介の擁立に尽力、後援会分裂後も隆介の陣営に残った。警察官の息子がいたがカンボジアでのPKO活動の最中にパルパト派による銃撃の犠牲となった。 西 田丸 隆介の第一秘書。当初は地元・鹿児島の後援会の一職員だったがワシントンでの光田工業事件の疑惑追及を機に隆介の右腕的存在となる。元々は姓が「田丸」だったが弘兼のミスにより後に姓を「西」と設定してしまい、読者から指摘された誤りを認めるのも嫌だと思い、田丸を下の名前にして「でんまる」と読ませることにした。この力強い名前に設定し直されたことで苦肉の策ながらキャラが何倍にも濃くなったと弘兼は語っている。 田中 収 隆介の当初の第一秘書。もともとは錦江クラブの鹿児島支部長だったが後援会分裂をきっかけに隆介側の陣営に残り第一秘書となる。その後第一秘書の肩書きは西に譲ったようだが、隆介に同行することの多い西に対し事務所に残って後方業務などを一手に任されているようである。 加治 由起子 隆介の妻。息子一明をラサール中学に進学させるために夫の地元である鹿児島に帰る。婦人会「薩摩おごじょ会」を結成し、隆介の支持団体への一つとなっている。夫がカンボジアで行方不明中に解散総選挙になった際には、夫の代理として選挙活動をした。心の中で政治家の妻になることを望み、大物政治家の息子であった隆介と結婚をした。家庭を顧みない隆介に不満を持ち、下薗と不倫をした。 加治 一明 隆介の長男。医師を目指している。父の暴力団交際が報道された際には学校で孤立していた。社長島耕作で同名の国会議員が登場する(後述)。 加治 春彦 隆介の兄。東京大学、大蔵省を経て父・元春の秘書を務めながらバトンタッチのときを待っていたが、鳩村らの陰謀に嵌められて睡眠薬を飲まされ交通事故を起こして重傷を負う。弟・隆介から光田工業事件の賄賂性の高い金について聞かれたが、回答を拒否したまま死去。
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