初期義兵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 16:39 UTC 版)
1895年、日清戦争に勝利した日本は韓国内政への干渉を強め、同年10月に王妃・閔妃が殺害された乙未事変、続く12月に断髪令が出されたことをきっかけに同年末より発生した。1895年が干支紀年法で乙未の年であったため、乙未義兵という。忠清北道の儒学者柳麟錫や京畿道の李春永、元東学党であった慶尚北道の李康秊らが挙兵して各地で日本軍や親日派の政府軍などと戦った。翌年3月頃には義兵の動きが朝鮮半島全域にまで拡大するが、これに先立つ2月に政変(俄館播遷)が起こると、標的としていた親日派の失脚が相次いだために義兵は名分を失って解体していき、10月に最後まで抵抗していた柳麟錫・李康秊も満州に逃れて(後に恩赦で帰国)終焉を迎えた。
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