初期構想
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ブースト・グライドの基礎概念が初めて注目を受けたのはドイツの砲兵将校たちによってであり、彼らの「ペーネミュンダー・プファイルゲショセ」が高高度に放たれた際、砲弾をさらに遠くへと投射できることを発見した。これは幾何学や上層の薄い大気を理由として完全に予期できるものではなく、こうした要因を考慮してなお、彼らは射程の延長が見られるのを説明できなかった。ペーネミュンデでの調査により彼らはある発見に至った。これは、高高度の薄い大気中の長い弾道では、砲弾が迎角を持ち、超音速において揚力を生み出すという結果だった。当時これは非常に好ましくないものに思われ、理由はそれが弾道計算を極めて難しいものにしたためである。ただ、射程延長のための応用の可能性を研究者が捨てることはなかった。 1939年6月、ペーネミュンデにあるクラウス・リーデル設計局に所属していたクルト・パットは、ロケット推進の速度と高度を、揚力と航続距離に変換する主翼を提案した。彼はこの効果を算出し、A-4ロケットの射程が275kmから550kmにおおよそ倍加するとした。初期の開発はA-9の名称のもとで検討され、ツェッペリン・シュターケン社での風洞実験のほかに小規模な作業が行われ、以後数年間その状態が続いた。不活発な研究が1942年まで継続されたのちに開発は停止された。 真に長航続距離のためにブースト・グライドの概念を用いた最初期の提案は、1941年のジルバーフォーゲルである。オイゲン・ゼンガーによる提案であり、ドイツの基地からニューヨーク市を攻撃できるロケット動力機が飛行し、それから日本軍が確保している太平洋のどこかに着水するという構想だった。この構想では、機体の主翼を用いて揚力を生み出し、機を引き起こして新しい弾道飛行の軌道へと入り、大気を再び離れ、スキップの間に機体に冷却の猶予を与えている。のちに構想がデモンストレーションされ、スキップ中の加熱量は当初の計算よりももっと大きいもので、宇宙機を溶かすだろうと予見された。 1943年、A-9の研究に再び着手、今回はA-4bの名称のもとに行われた。これは、開発が今やその他の点では未改修のA-4に基づいていたこと、またA-4計画が当時「国家優先課題」であり、この開発がA-4の名の下で資金提供が確実化された立場に置かれたことを示唆している。A-4bはV2ロケットの射程を十分に延長し、ドイツ領内深くからイギリスのミッドランド、つまりイングランド中部地域の都市か、ロンドンに達するよう後退翼を用いている。A-9はもともと同様であったが、後には従来的な後退翼ではなく、長くて流線形の後退翼を装備した。この設計は有人のA-9/A-10大陸間弾道弾の上段用として採用されている。これは大西洋を過ぎたある点、ニューヨーク市を爆撃するのに十分な距離で滑空を始め、その後に乗員は脱出する。
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初期構想
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曽文ダムは全長138.47キロメートル、流域面積1,176平方キロメートル、年平均流量16億立方メートルの台湾第四の大河、曽文渓に設けられたダムである。ダムサイトでの年間平均流量は10億6,400万立方メートルである。曽文渓へのダム建設計画は嘉南大圳を設計した八田與一によるもので、曽文渓の支流 官田渓に烏山頭ダム、大埔渓に曽文ダムを設け、曽文渓の流量の25%を嘉南地方の灌漑に用いるものであった。八田は1939年に現在のダムサイトにダムを建設することを提案したが、戦時下では建設されることなく終戦を迎えた。
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初期構想
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同構想は20世紀の頃から議論が開始されたが、その最初は、1953年(昭和28年)12月の大阪府議会「大阪産業都建設に関する決議」で、大阪府・市を廃止して大阪都を設置し、市内に都市区を設置するとされた。これは1947年から大阪市側が展開していた特別市運動に対する大阪府側の対案とされた(特別市制度は実施されることなく、1956年に政令指定都市制度が施行された際に廃止)。 また、1967年(昭和42年)10月に左藤義詮大阪府知事(当時)が「大阪府を20区にする、現在の大阪の22区を9区にする、衛星都市を11区にして20区にする、そして区長は公選にする。そして20区になりました場合には、名称は大阪都となるかどうかわかりませんが、そこから選出したところの議員をもって、区選出の議員をもって区政の参議会というものをつくる」とする構想を持っていたことについて新聞で報道された。これについて政令市・大阪市の拡張を主張して「最終的には現在の府下全部を最終的に大阪市域にするのが好ましい」という考えを持っていた中馬馨大阪市長(当時)が反発し、対立した。 また、2000年(平成12年)頃に、太田房江大阪府知事(当時)が大阪府と大阪市の統合を掲げた大阪新都構想を唱え、2001年の「大阪府行財政計画」に「大阪都」という言葉が表現されている。この発言に対して磯村隆文大阪市長(当時)が大阪府をはじめとする都道府県から独立した「スーパー指定都市」、「特別市」を主張し対立した経緯があった。 太田の大阪新都構想は、2004年に最終案として府に代わる広域自治体として大阪新都機構を設け、政令市の枠組みは残したまま住民自治の拡充を図るという案に取り纏められたが、これらの構想はいずれも具体化まで進展することなく消滅した。
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初期構想
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「DCエクステンデッド・ユニバース」の記事における「初期構想」の解説
本来はシェアード・ユニバースとしては構想されておらず、DCコミックス最大のスーパーヒーローチームであるジャスティス・リーグの実写映画化シリーズとして、『マン・オブ・スティール』『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』『ジャスティス・リーグ パート1』『ジャスティス・リーグ パート2』『ジャスティス・リーグ 完結編』の計5作が構想されていた。 以上の構想に『スーサイド・スクワッド』などのスピンオフ作品を加えることで、DCエクステンデッド・ユニバースの形となった。
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初期構想
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「アンタレス (ロケット)」の記事における「初期構想」の解説
トーラスIIの初期構想は1994年にOSCが発表したもので、第1段及び第2段にキャスター120、第3段に当時開発中であったアリアン5の上段に採用予定のエスタスを用いるというものであった。この構想では軌道傾斜角28.5度、高度185kmの低軌道に2.3tの軌道投入能力をもち、また、補助ブースタとしてキャスター4を最大8本用いることで同様の軌道への投入能力を5tまで向上することが可能とされていた。さらに、オプションとしてスター48を第4段キックステージとして用いた場合には、GTOへ1.84tのペイロードを投入可能であるとされていた。 この構想はNASAの小型の衛星や探査機の打ち上げを目的としたMed-Lite契約に向けて発表されたものであったが、その後OSCは同契約に向けマクドネル・ダグラス(MD)と共同で同様のコンセプトをもつデルタ・ライトの構想を発表した。1993年初頭にデルタ・ライトはMed-Lite契約を獲得し、ディープ・スペース1号やFUSE、スターダストなどを打ち上げる予定となっていたが、1997年にMDがボーイングに吸収合併されるなどの情勢から計画は凍結され、これらの宇宙機はデルタIIロケットで打ち上げられた。
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