初期の青研
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/09 20:31 UTC 版)
「全国青年問題研究集会」の記事における「初期の青研」の解説
参加者がレポートを持ち寄り、少人数の分科会にて議論するというスタイルは現在とほとんど変わらない。しかし、第一回の青研は各県代表5名(女子2名以上を含む)とオブザーバー5名以内という人数制限が設けられており、参加者には旅費(当時の国鉄三等料金の半額)が支給されていた。なおこの人数制限は第二回で緩和され、のちに撤廃されている。 最も異なるのが参加にいたるプロセスである。まず参加者は郡・市の青年団で開催される研究集会に参加し、郡・市の代表(上限30名)に選ばれなければならない。そして県の青研集会に参加し、県代表に選ばれた際に「中間報告」というレポートを主催者に提出する。このレポートは司会者、助言者の添削を受けて一旦参加者に返却される。参加者は返却されたものを元にもう一本レポートを書き上げ提出する。それを主催者がレポート集として印刷して参加者に送付し、それを読んで参加者は県内でさらに議論を深めた後、ようやく全国青研に参加できるという流れになっていた。
※この「初期の青研」の解説は、「全国青年問題研究集会」の解説の一部です。
「初期の青研」を含む「全国青年問題研究集会」の記事については、「全国青年問題研究集会」の概要を参照ください。
- 初期の青研のページへのリンク