初期の歴史(シンハヴィシュヌ王まで)
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「パッラヴァ朝」の記事における「初期の歴史(シンハヴィシュヌ王まで)」の解説
3世紀末から4世紀初めにシヴァスカンダヴァルマン(タミル語版)(またはスカンダヴァルマン)がカーンチープラムを都として、北はクリシュナ川から西はクンタラ地方まで版図を広げ、アシュヴァメーダ(英語版)を行なったこと、4世紀半ば頃、ヴィシュヌゴーパ(タミル語版)が、カーンチー付近でグプタ朝のスカンダグプタ(英語版)の軍に敗れたこと、5世紀半ば頃のシンハヴァルマン2世(英語版)が、西ガンガ朝(英語版)に対して宗主権を持っていたことについてはほぼ確実と考えられている。 また、交易を盛んに行い、東ボルネオにクタイ王国、ジャワにタルマヌガラ王国というヒンドゥー王国が現れることについて、中国との交易船の寄港地であったためパッラヴァ朝の影響が強く王名が「 - ヴァルマン」になったという説もあるくらいであった(近年は碑文の書体から同時期のカダンバ朝(英語版)の影響と考えられている)。 パッラヴァ朝はこの後、5世紀末以降マイソール地方から勢力を拡大してきていたカラブラ朝(英語版)の勢力下に入ってしまったため、王朝の歴史がはっきりしなくなるが、6世紀後半の王シンハヴィシュヌ(英語版)(在位:574年 - 600年)以降の記録はしっかりしている。シンハヴィシュヌはカラブラ朝を破って王国の領域をカーヴィリ川まで拡大し、パーンディヤ朝やセイロンの君主たちと抗争した。
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