初期の地上波中継
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/09 18:07 UTC 版)
「アメリカ合衆国のボクシング中継」の記事における「初期の地上波中継」の解説
1920年代から1930年代にかけて、テレビ局は実験的にボクシングを中継していた。初のテレビ中継は1939年6月1日、WNBCがヤンキー・スタジアムのマックス・ベア対ルー・ノバ戦で行った。この年はニューヨーク万国博覧会で初めてテレビ受像機が紹介された年でもあった。1941年4月4日に行われたベアとノバの再戦は、マディソン・スクエア・ガーデンからテレビ中継された初のボクシングの試合となった。第二次世界大戦が終わるとNBCが定期的な中継を再開し、テレビ局は退役軍人病院に受像機を設置して技術を磨いた。1946年にはNBCによるプライムタイムでのテレビ中継は数回のみであったが、この中にはラジオ中継番組から引き継がれ月曜日と金曜日に中継された『ジレット社スポーツオンパレード』(Gillette Cavalcade of Sports) が含まれていた。この年6月のジョー・ルイス対ビリー・コン戦はテレビで初めて生中継されたヘビー級タイトルマッチとなった。1948年には2時間の中継番組として、NBCが『聖ニコラスアリーナからのボクシング』、CBSが『ウエストチェスターからのボクシング』、デュモント(英語版)が『ジャマイカアリーナからのボクシング』を毎週放送した。1949年にABCが『明日のボクシングチャンピオン』で参入、デュモントは『サニーサイドガーデンズからのボクシング』『デクスターアリーナからのボクシング』『マディソン・スクエア・ガーデンからのボクシング』を追加した。1948年6月のジョー・ルイス対ジャージー・ジョー・ウォルコット戦のような注目試合はテレビで生中継された後もニュース映画が劇場で長期間上映された。この頃、パラマウント映画が劇場でのニュース映画の配給とテレビ中継を関連付けるシステムを開発し、タイムズスクエアのパラマウント・シアター(英語版)ではルイスとウォルコットがヤンキー・スタジアムで対戦する映像のテレビ信号を66秒遅れでニュース映画に変換して流したが、このシステムは短命に終わった。 1940年代終盤から1950年代にかけて、テレビ局はボクシングを好んで中継し、ローカル局を除いても1週間に5回から6回の中継が行われていた。製作費はバラエティ番組の半分で済み、1950年代半ばで5万ドル程度だった。この頃、ボクシングのテレビ中継を主導していたのはNBCで、スポーツ中継の2番手であったCBSはケンタッキーダービーやプロのサッカーや野球を中心に中継していた。1954年には毎日のようにプライムタイムでボクシングの試合が中継された。月曜日にはABCがブルックリンから、デュモントがニューヨークから中継、水曜日にはCBSが中継を行った。金曜日にNBCがマディソン・スクエア・ガーデンから中継した番組は絶えず高視聴率を上げ、ABCは土曜日にもボクシングを中継した。これらは全米に中継され、ローカルでは毎週、ロサンゼルス、モントリオール、デトロイト、メキシコシティ、ハリウッド、サンフランシスコ、フィラデルフィアなどから試合を中継した。
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