初期の商品
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 05:20 UTC 版)
淘汰されずに生き残り、後世の成長の元になった初期のRCカーは、トイラジコンとしては1955年に日本の玩具メーカー増田屋齋藤貿易(現:増田屋コーポレーション)が世界初の無線操縦型の玩具としてラジコンバスを商品化した。コヒーラ制御によるもので、増田屋は立て続けに無線操縦できるセダン型自動車や戦車の玩具も商品化している。また、同様に初期のRCカーとしては1960年代中頃に出現した、イタリアのRoggio EmiliaのEl-Gi (Electronica-Giocattoli) 社のものが知られ、最初は1/12縮尺のフェラーリ250LM車で、イギリスでは1966年12月にロンドンで、「Motor Books and Accessories」輸入のものが、1967年初めにはスワンシーのAtkin's 模型店経由のものが購入できた。El-Gi社は、1967年初頭のミラノ・トイ・フェアに、1/10縮尺のフェラーリP4車を出品している。 1968年後半には、イギリス・レスターのMardave社が、RCカーの商業生産に成功している。グロー・エンジン車で、1970年には一部地域で販売された。 1970年代には、アメリカの小企業がRCカーに参入した。これらは、元はスロット・レーシング車のメーカーで、それが衰退したのでRCカーの分野に鞍替えしたものである。このグループには、Associated Electrics(英語版),Thorp,Dynamic,Taurus,Delta,Scorpionの各社がある。このグループの初期のキットは、1/8縮尺のニトロ燃料車(当時は「ガス」と呼ばれた)で、アルミ・パン構造であった。エンジンは0.21立方インチ以下で、K&B、Veco、McCoyが多かった。ボディーはポリカーボネート製で、Lexan社の製品が多かった。この種のRCカーの競走を初めて組織・裁定した団体は、Remotely Operated Auto Racers (ROAR) である。 1973年 - 1974年にかけて、ワシントン州のJerobee社がCox049エンジンを使った1/12縮尺のニトロ燃料車を製造した。この車のために、後発メーカーがLexanの透明ボディー、ヒートシンク、大容量の燃料タンクなどの付属部品を製造・供給した。1976年 - 1977年になると、Associated Electrics社がRC12Eを発売し、1/12縮尺車の電動レースを始めた。Jerobee社もJomac社になり、独自の電動車キットを製造した。
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