初期のポピュラー音楽
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「アメリカ合衆国の音楽」の記事における「初期のポピュラー音楽」の解説
"The Star-Spangled Banner" 「星条旗」。フレッド・ウォーニングとペンシルベニアンズによる演奏(1942年)。 "Stars and Stripes Forever" ジョン・フィリップ・スーザの星条旗よ永遠なれ。アメリカ海兵隊楽団による演奏。 "Dixie" 「ディキシー」。エイダ・ジョーンズ、ビル・マレーとメトロポリタン混声合唱団による演奏(1916年)。 これらの音声や映像がうまく視聴できない場合は、Help:音声・動画の再生をご覧ください。 アメリカ合衆国の独立の際の、トマス・ペイン作詞の「自由の樹」などの民衆による愛国音楽はポピュラー音楽界の始まりといえる。ブロードシートに安っぽく印刷された愛国歌は植民地中に広まり、家庭や集会で歌われた。ファイフ(en:Fife 横笛の一種)を使った曲が特に好まれ、独立戦争の戦場でも演奏された。ファイフ曲で最も長く流行したのが今日でも有名な「ヤンキードゥードゥル(日本では「アルプス一万尺」として有名)」である。この曲は1755年に生まれ、アメリカ・イギリス両軍の兵士の間で歌われた。愛国歌の多くは、イングランドのメロディを元にしながらも、イギリスの植民地主義を批判する替え歌をつけたものであったが、その他にも、アイルランド・スコットランド由来の曲を使ったものや、通俗曲を使用していないものもあった。有名な「コロンビア万歳」は、「星条旗」の採用までは非公式ながら国歌として通用していた。これら初期のアメリカ音楽は、セイクリッド・ハープ(en:Sacred Harp アメリカの南部に伝わるアカペラ音楽)の曲目の中にいまだ残っている。 アメリカ中の兵士が混成された南北戦争の中で、アメリカ音楽の様々なスタイルが混じり合って互いに影響を与えることとなった。また鉄道産業の成長などの技術的な発展により移動やコミュニケーションがより簡単になったことが、このプロセスをさらに助長した。国中のさまざまな地域出身の人々が集まった部隊の人々は、どんどん曲・楽器・技法を交換していった。南北戦争は、アメリカ特有の歌が作られて広く不動の人気を獲得していくきっかけとなったのだ。南北戦争時代に最も流行した曲はダン・エメット(en:Dan Emmett)作詞作曲の「ディキシー」である。この曲は元々“Dixie's land”というタイトルで、あるミンストレル・ショーのエンディングのために作られたものだったが、ニューオーリンズに伝わって出版されると、「南北戦争以前の大ヒット曲のひとつ」になった。またこれらの愛国歌の他にも、多くのブラスバンド作品が生まれた。 南北戦争後、ミンストレル・ショーはアメリカ特有の音楽を表現する初めての場となった。ダン・エメットとヴァージニア・ミンストレルズが発案したミンストレル・ショーは、寸劇・様々な出し物・踊り・音楽からなるエンターテインメントで、通常、出演者は黒人に扮した白人であった。ミンストレル・ショーの音楽パフォーマンスには黒人文化の要素があったが、黒人は単純化されて描かれていた。後に奴隷制度廃止運動に巻き込まれるまで、ミンストレル・ショーの筋書きは黒人を生まれながらの奴隷・道化として描くものであった。ミンストレル・ショーによって、現在にもよく伝わるスティーブン・コリンズ・フォスターなどの作詞作曲家が生まれた。ミンストレル・ショーの人気が落ちた後にも、クーン・ソングスという同様の試みが1880年から1920年にかけて人気を博した。 作曲家ジョン・フィリップ・スーザは、19世紀末アメリカのポピュラー音楽における、もっとも大きな流行と深く関係している。元アメリカ海兵隊軍楽隊(en:United States Marine Band)のバンドマスターだったスーザは、星条旗よ永遠なれなどの「故郷と故国への郷愁」を反映し、「活発で男性的な特徴」をもったメロディの行進曲を作曲した。 20世紀初め、主にミュージカル劇場からポピュラー音楽作品が生み出された。これらの作品は、ブルース・ジャズ・カントリーなど、現在も残るポピュラー音楽のスタイルに影響を与えた。ミュージカルのスタイルが確立する中、中心地となったニューヨークではブロードウェイ劇場が街でもっとも有名な場所になった。ジョージとアイラのガーシュウィン兄弟などの作曲家・作詞家は、アメリカ特有の口調や音楽を使った、アメリカならではの劇場のスタイルを作り出した。ミュージカルが目玉にしたのは、ポピュラー音楽と、主に恋愛をテーマにした展開の速いプロットであった。
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